日々是好日・身辺雑記 2005年 5月
(下にいくほど日付は前になります)

 
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5月某日「その名は『談話室 滝沢』:その3」
    
「まあ、今回はセリフもないし、プールサイドだけのシーンだけどさ。」
はす向かい8人掛けには、4人の女の子並べて、くわえタバコの男1人。
もう、見るからに三流芸能プロダクションだ、女の子たちはみんなきれい。
「でもあの○○ホテルのプールだよ、手前を☆☆クン(当時のトレンディー・スター)
が横切ってって、その奥だから小さくしか映らないけど、チャンスってのはここから始
まるもんさ、そうだろテレビの世界って。」
んなわきゃないこと、いまどき三歳児だって知っているわよ。
前に4人、声は右左ひとりひとりの娘に行き渡っているけれど、分るのよ、目線で。
本命はひとり、この娘だって。
      
携帯電話普及前夜(持ってるのは地上げ屋とヤクザだけ、しかもでっかいショルダー
型でバッテリーが付いていた)、貼り紙には「おそれいりますが、店内呼び出しは3
回までとさせていただきます」。
いきなりペンネームで呼び出されて慌てる私。
『ごめっ! いや、急に記者会見入っちゃって、まったく、松田聖子がさあ・・・』
「いいですよ、待ってます。」
『済んだら直(ちょく)、行くから!』
やった、これで2枚分は時間稼げる。
ホッ。 ついでに手洗いに立ちました。
    
新宿滝沢2階化粧室。
濃グレーの大理石の個室で、打ち合わせに煮詰まって何べん頭を抱えたろう。
当初の計画はガンガン変更になってくし、ボツになったり、すっぽかされたり、お金払っ
てもらえなかったり、逃げられたり。
しょっちゅうスタッフが清掃しているのは(デパートの3倍くらいの回数)もしかしたら、
鏡にルージュで「バカヤロ」とか書く客いたからかも。 笑い話ですけどね。
     
個室から出ると、さっきの女の子たちの1人が化粧直ししている最中。
本命じゃない、隅の席の娘。 
さっきまでの「みんなと同じ笑顔」じゃない、鏡に映る瞳が言ってる、
「わかってるわ私」って。 バカじゃないのね、ふぅん、よかった。 
彼女はさっきまでの笑顔に戻ってカッカッヒール鳴らして化粧室を出て行く。
私は蛇口でヒートした左腕をひじから冷やして、真っ黒になった左手の平小指側の鉛筆の
粉念入りに洗い落とす。 さも「仕事はとっくに出来てましたよ〜。」ってように。
     
あの頃の新宿東口滝沢2階。
シックで柔らかな店内には、触ると火花が散る連中がひしめいていました。
携帯もインターネットもやって来る前、時間は速く、ゆるく、熱く、流れていました。     
    
    

5月某日「その名は『談話室 滝沢』:その2」
    
「談話室 滝沢 お茶の水店」にボーイフレンド(けっこうイイ年だけど)と入ったときは
驚きましたね〜。 静かな店内に、なにやら正月開店のデパートのような琴の調べがどこ
からともなく・・・・奥の席に・・・振り袖着ているお嬢さんを交えた数人連れ、
「あ・・・あれって・・・もしかしてモノホンの『お見合い』!?」
そんなことがあってもおかしくない、格調高い店でした(いっぺん行ったきりだけど、雰
囲気に気圧されて・笑)。
    
魔窟・東京梁山泊は、東口2階店でした。 そこが私の本拠地?でした。
ありとあらゆる「いかがわしい連中」(つまり税務署なんかと仲良くないような)がとぐ
ろを巻いていましたよ。 なんか「人間版:ハブとマングースのショウ!!」みたいな。
    
「やっぱり猫が好き」って番組、覚えてますか?(私、これ大好きでねー。 脚本が三谷
さん一人に絞られる前からビデオで撮ってました。 しかも標準で。)
この中のある回で「宇宙人は実在するか?」という会話があるのですが、室井滋さん扮す
る「レイちゃん」がもたいまさこさんの「かや乃姉ちゃん」にのたもうのです。
「お姉ちゃん、宇宙人はもう東京に来てるのよ! 平日の午後2時に『滝沢の』2階にい
けば、必ず2〜3人はいるってば!
はーい、いっぱいいましたよー。
      
「バカヤロウ! あと十億で、必ず一週間以内にカタをつけろッ!!」
「ス、スイマセン、専務。」
て、並の専務じゃないわね、黄金の、目の部分にルビーはめ込んだ蛇の指輪してるもん。
向こうの席は地上げ屋さん。
私はカリカリ、ペンの手を止めない。
今日の1時の待ち合わせまでには出来ているはずのネームを、描いているのだ、今12時
45分、あと3枚。
店の人に悪いから消しゴムのカスはティッシュにくるんで。
      
「だからこれが、ですね、新製品の『飛び出す・・・・ガサゴソ
「わっ、ま、まずいですよ、表でこんな・・・」
「平気、平気」
何が平気なのだ、後ろのテーブル(私は手を止めない)。
「・・・だからね、このスイッチ押すと。 こっちがビヨヨ〜〜〜ンッて。」
「やばいですよ、い、いくら『滝沢』店内とはいえ。」
そんなにやばいものなのかしら。 きっと、見たら笑うシロモノだと思うけど振り返らない。
カリカリカリ。
    
隣は有名プロレス雑誌の編集者とカメラマンの打ち合わせだ。
「だからさー、このまま売り上げさがっちゃさー、ウチとしちゃーまずい訳よ。」
「そりゃわかりますけどね、このあとの試合日程じゃ、めぼしいのが・・・」
「だーかーらー、だよ、!」
?」
「額割ってドバーッてアップを表紙に持って来てインパクト取ろう。
 目標、流血度30%増量!!」
「わかりました。 赤インキ大量に用意して待っててください。」
ね、人間じゃないでしょ。 こりゃ吸血鬼の打ち合わせだよな〜、まるで。
(さらに「その3」に続くのであった。)
     
      

5月某日「その名は『談話室 滝沢』:その1」
   
とにかくそこは「宝物のような」場所だった。 様々な業界の人にとって、様々な意味で。
    
東京「談話室 滝沢」は今年3月31日閉店した。
新宿東口、ビアホールの2階、同じく地下1階、お茶の水店、あとえーと・・・池袋にも
あったかな、全部で何店舗あったのかわからないけれど、そこは本当に居心地のいい、メ
ニューは高いけれども安心して長居の出来る喫茶店だった。
「ご商談にも、ご会合にも、お見合いにもどうぞ。」ってね。
    
ゆったりしたスペース、シックな内装、スタッフは男女とも仕立てのいいスーツ姿、落ち
着いた、感じのいいものごしで、あとで知ったが全寮制、茶道華道なども店員教育の一環
として(無料で)教えてくれたそうだ。
「わずか1時間の研修でパートの貴女も今日から寿司職人!」の某寿司チェーンの逆を行く、
インスタントではない「じっくり人材育成」の奥深く柔らかな理念がそこにはあった。
   
・・・というと、さぞやシックな高級喫茶店、と思うでしょ。
    
ええ、店の造りはシックでした。 スタッフも洗練されていました。
しかし、各店によってあんなに雰囲気の違うチェーン店というのを、私は他にはちょっと
知らない。 客層がガラリと異なるんである。
  
新宿東口地下1階は濃厚に「文学の香り」がした。 インテリっぽかった。
コーヒーを飲みながら岩波文庫をひもといている初老の紳士もいたし、演劇、特に舞台の
人たちの顔合わせにも使われていた。 たとえて言うなら十年位前の加藤治子さんや仲代
達也さんみたいな人と、演出家と脚本家と初顔合わせ・みたいな。
(チェーホフっぽい、みたいな・笑)
漫画家の篠原烏童さんに波津彬子さんを紹介してもらったのもここだ。
    
2階は・・・・そう、東口2階店こそが「嵐を呼ぶ談話室」
「へっへ、ここは天国と地獄のY字路さぁ」
「兄さん、ク・・クスリ(麻薬ではなくカフェイン・モカ錠のこと)持ってない?」
な異空間だったのであり、しかし内装はシックで、スタッフはあくまでも(悪魔相手でも)
物腰おだやかな、柔らかな微笑みを絶やさない、そんな店なのでありました。
(長いから「その2」に続くのであった。 だって、濃ゆいんだも〜ん。)
   
   

五月某日「雨催(あめもよひ)」           
      
ほほに降りてきた一粒目の雨のしずくを      
私はあなたの涙かと思い
夜空を見上げる
   
星ひとつない藍色の闇に
もうすぐ本降りになりそうな
ほの甘い予感が風吹く
   
降る雨粒の数だけのあなたの瞳を
私は夜の高みに見る
    
この腕(かいな)が届くならいっそ
地上という名の天の底から
私はあなたの涙をぬぐってあげたい
     
千のまぶたを千の指先で
千億の瞳を千億の口接吻(くちづけ)で
おおいつくしてあげたい          
    
      

五月某日「竹林ひとりおばかさん
    
ただ漠然と
「音楽をやりたい」とか「海外留学したい」
って言ってる若者は、うらやましいなあ、若者=バカ者だとしても。
具体的にその「スキル」をどう使って「何」をやりたいのか、「何」に向かう「メソッド・方法」
を増やしてゆきたいのか、考えずに口に出来るのは、砂糖菓子のようにさらりとした夢だから。
    
最初から「具体的にこういうものを創り出して、自分の外に出したい」という殻の中に生まれて、
創りたいものを創り出す方法を探すのに、本人あまり自覚ないまま必死で(無意識にオリンピック
の写真集1冊まるごと模写しちゃったこと、ある。)、創ったものを外に出すために、自分の卵の
殻の中、あちこちガンゴン。 
でも私の卵の殻はいびつで、ところによって厚かったり薄すぎたりした。
そうこうするうちにも、創りたいものの幾つもが古ぼけて、また新しい、やり方のよくわかんない
ものがタケノコの芽のようににょっきり座っているお尻のしたに芽を突き出す。
     
竹林をご存じの方なら、その新芽がどんなにせっかちなものかお分かりでしょう。
ちょこっと芽が出た、その次の日には高さ1〜2メートルに
なりやがるのである、これは。
自力でまっすぐ立ってられないからしんなり曲がってはいても、
新竹はこの先何年も私の中に
しぶとく居座り、太くなり、枯れる頃には地下茎からまた新しいタケノコをだしやがるのだ。
魔の永久運動よ。 地上の私の肉体には、寿命ってもんがあるってのに。
    
私という卵の殻の、厚いところは内側から体当たりしても、金槌ガンゴンやってもなかなか割れ
なかったし、逆に薄いところは、むこうから割れて入り込んできて、どんどこ私の「社会人とし
ての経済活動」の領域で、時間と労力と知識とコミュニケーションの技法を要求しだした。
まあ、よかったよな。
おかげで、街中のタダ配りティッシュもらう以外、自分で描いてまかなってこれたもん。
話芸のおかげで、座持ちのする女になれたし。
とにかく、何が何でも、描いて生きてきたもの。
でもね、今がこれじゃぁね、どうしたものだかね。
   
砂糖菓子のような、さらりとろりとしたまなざしで天を見上げて、
言ってごらん、「何」になりたいか。
「世界征服」でも「小説家」でも「吟遊詩人」でも「声優」でも、
口にしたとたん、私の上には隕石が16トン降りそそぐだろう、きっと。
(ソンナ甘イモンデハ、ナイ)
「スーパーのレジ係」でも「介護ヘルパー2級」でも「朝刊配達」でも、
口にしたとたん、私の足首はひっつかまれて、ぐずりずぶりと
暗い沼に引きずりこまれるだろう、きっと。
(ソンナ甘イモンデハ、ナイ)
         
私はなりたい、「私」に。
そんな単純な言葉を、天にも地にも向かって口に出せない。     
    
それだけ私はカサブタだらけの、泥んこになちゃったってこと。
    
問題は、泥沼住まいのくせにタケノコの新芽がつんつん、まだ芽吹くことなのよ、ねぇ。
またガンゴンやるための、新しい金槌と叩き方を探している。     
しぶといね、私は。
               
      

五月十三日 「 誕生日の夢 シロや
      
家中にある時計は全部狂っているから(あるいは止まっているから)、一番標準時間に近そうな
やつを枕元でつかまえると、どうやら約1時間55分前に、日付が変って私は43才になったよ
うだ。           
そのことに気がつく前は、ドッコイ(モハヤ「相棒」越エテ「スットコドッコイ」ノ略)と2人で
1枚っきゃないふとんにくるまって眠っていて、その前は、ドッコイがぶらさげて持って帰って
きた小さなケーキをちゃぶ台で食べていた。  ラズベリとかブルーベリとか刻んだイチゴとか乗っ
てて、ポロポロフォークから逃げて、美味いけど食いにくいったらないの。
小市民には不釣り合いよ。
洋菓子は不二家〜♪でいいのに。(いや、最近は不二家も高級化してあなどれないか。)
    
「5才」をやめて3週間後に、この街に越してきた。 
通った公立小学校は、地域中で給食費免除率ナンバーワンだった。
大人になってしばらく横浜に行って、またもとの街に帰ってきたら、こんどは東京都の「町内犯罪
発生率ナンバー2の町」なんだってさ、こないだ医者の待合室にあったバタバタになった週刊文春
に載ってた。いまさら別に驚きゃしないけど。
そんな街だったもん、子供の頃から。
殺人事件こそなかったけれど、あとはいろいろあったじゃないの、空き巣、当たり屋、集団万引、
ひったくり、嬰児遺棄、よく行ってた郵便局に強盗入ったこともあった。
そういや、白昼路上で包丁振り回して女の人刺してた男の人もいたなぁ。 
小学校の同期生93人の内、少なくとも2人は、二十歳になる頃ふっと自殺してるし。
私たちはちょっぴり豊かだったり、うんと貧乏人だったり、あったりまえでぐちゃぐちゃだった。
そんな、東京の端っこの街だ、ここは。
      
中学からミナト・ヨコハマの私立女子校へ行ってびっくりした。
みんな「お金持ちでいることがあたりまえ」だったので。
同級生148人のうち、戦前に爵位持ってた家の子3人いた。
(それは本人は口に出さないけど、なんとなく周りから知れるんである。)
きっと誕生日すぐの土日の午後には、元町の「菊屋」や「ジャーマン・ベーカリー」の、バラの
花束やグランドピアノの形した特注ケーキ(名前とメッセージ入り)が置かれるんだろう、応接
間のテーブルに。    
お友達呼ぶのはまだ小市民。
おじいさまとか、ひいおばあさまとか、おばさまとかいとことか、来るんだろうな。
その人たちは、白昼路上で女の人刺してる男の人の、瞳や吐く息、知らないんだろうな。
それはそれで、幸せでも不幸せでもない、ただの、経験のあるなしよね。
私は、一族戦争でバラバラになっていたもので、自分のおじさんとかいとこ(母方の)という人
たちと初めて会ったのは25過ぎてからだ。(金持ちはいない。 いい人たちだった。)
       
現実に43才になる直前の夢の中の話をしよう。
外はやたら晴れていた。 私の姿はまだ20代後半だったね、夢だから。
その時の婚約者が、ウチへやって来た、不二家の苺ケーキ持って。
「いやぁ、やっぱり『洋菓子は不二家〜♪』(CMソングまで歌う)ですよねぇ。」
と、若い浅草っ子の彼は、明るい声で、明るい笑顔で私の家族たちに言う。
しかし私は(43なので)知っていた。
母一人子一人の彼は、この直後、いきなり最愛の母を亡くすのだ、脳溢血で。
彼自身、明るい表情の下には、おそろしく難しい病気を抱えていて、一度発作が起きるともう
激痛で体が動かせなくなるのだ。
だから「定職」につけない。 プロデューサーとしての才能があるのに。
一度回り出したら一分一秒を争うTVの世界で、「動けなくなる持病」は不合格のシャチハタだ。
じゅう と身を焼き焦される烙印ですらない、玄関先の簡便ハンコだ。 ポン。
     
ベランダに吊り下げてある鳥かごで、白文鳥が「チヨチヨチヨ。」と鳴いている。
買ったのではない。 ある日ベランダに飛んできて、物干し竿に居座って自分から飼い鳥になっ
たのだ。 名前は単純に「シロ」とつけた。 ふっくら真っ白で、嘴が紅色で、つぶらな黒い瞳
の器量よしだった。 
「シロや。」「チヨチヨチヨ。」
     
私たちの家はおそろしく狭い。 雨漏りはするし、壁にヒビはいってるし、畳は浮いてブカブカ
している。 窓を開ければすぐ目の前が隣家の窓壁であること、白黒時代のイタリア映画の如し
である。(夢の中だ、夢の中。) 
ネオ・リアリッスモ映画、「鉄道員」「道」「自転車泥棒」「屋根」「米」。
マイケル・カコヤニス監督の「その男ゾルバ」はギリシア映画だったっけ。(藤田まことが日本
でミュージカル舞台化してたな。)
どの白壁も汚れていて、板は斜めに打ち付けられてた。 いったい当時の地中海人は「垂直」を
知らなかったのだろうか?
     
夢の中では、父が黙ってレコードをかけている。
75回転、SP版レコードだ。
「白ーぉい 花ーぁが 咲いーてたーぁ♪」 
「チヨチヨチヨ。」
GHQの命令で、アキバが秋葉原に定住させられる前、神田から秋葉原の焼け跡線路沿いに、壊れ
た米軍部品のまだ使えそうなとこバラして売っていた闇市にたむろしていた、「正真正銘・アキ
バ少年1号」なのだ、彼は。 「チヨチヨチヨ。」
蓄音機は当然手作り、ブリキ箱のあちこちにダイヤルや真空管が、腕の悪い職人の作ったケーキ
の飾りように、甘すぎる飾り物のように、ごちゃごちゃ並んでいる。
     
       
「さよならーとぉ言ーったらぁー、黙ぁってうつむいてたーおさげー髪ー♪」
古い布巻きコードと真空管を寄せあつめた「自家製ガタボロ蓄音機」はすぐヒートして、ときどき
柄杓で水をかけてやらねばならない。(水は電気の大敵なのに!? 夢、これは夢だから。)
しゅうしゅう湯気が立って、むしむしうっとおしい。
「チヨチヨチヨ。」
狭い、狭い我が家なのだ。
母はケーキの彼と愛想良く話し、兄は部屋の隅で飯島耕一の詩集「ゴヤのファーストネームは」を
読んでいる。 ゴヤのファーストネームは・・・・シャンタル? それともフランシスコ・デ?
     
今はもう死んでしまった白文鳥が鳴いている。 「チヨチヨチヨ。」
    
そうだ。
最初に見合いの話が来た相手は、それからたった1ヶ月で、脳腫瘍でポロリと死んじゃったっけ。
絶対音感の持ち主だった恋人は、すでに結婚相手がいた。(別にかまわないけど。)
苺のケーキの婚約者は母親が突然死して、自然に(自然になるようにお互い振る舞って)別れた。 
十年前、すったもんだの末にドッコイといっしょになる前から養母の介護は始まっていて、それで
結婚してすぐに横浜に越したんだ、私。
お互いに一緒に暮らしてみて、もう充分お互いのこと分っていると思っていたのに(なにしろつき
あい長かったから)、ふたりとも改めてびっくりした。
「こんなに危険な海外出張だらけ(湾岸戦争にもイラク戦争にも巻き込まれてる)な人とは。」
「こんなに昼夜逆転不規則な仕事で、体中病気だらけで、それで老人介護ふたり分やってるとは。」
お互いに、自分にとって相手の置かれている状況が負担だなんて思いはじめたら底がないから、
「あっぱれなヤツよ」
と心に言い聞かせることにした。 
せつない分だけ仲良くして、あとはそれぞれ互いの世界にそっと放っておくにかぎる。
でないと、傷つけあって、互いの血で濡れてしまうから。
お互いの血でできたカサブタはがすの、やだもん、ふたり分痛いから。
     
あっという間の十年だった。 加速度ぶんぶん上げて回っている回旋ブランコみたい。
十年「たった」という気がしない。
十年「回っていた」としか思えない。
自分が生きてくことにカウントするにはまだその意味がみつけられないから、とりあえずそこらへん
に放っておこう、湿った空気のように、ほの暗いすみっこにでも。
    
白文鳥が鳴いている。 「チヨチヨチヨ。」
    
というわけで、わたしは十年すっぽかして、33才になった。
ということに、今日はまだ、しておこう。
    
        

五月某日「春は口紅(ルージュ)」
      
いきなり「春はあけぼの!」と鮮やかに口ずさんだのは、いわずと知れた清少納言である。
     
みんな一応「古文」の授業でやったよねー、「枕草子(まくらのそうし)」。
「源氏物語」ほど読み解くのが難しくないし(「頭の中将」呼び名コロコロ変るんだもんっ)。
「徒然草」ほど理屈っぽくないし。
ああ、やっぱり「枕草子」は日本中世古文の中で、とっつきやすくて、言ってること軽やか
でおもしろくて、好きだなぁ、私。
     
と、「枕草子」のハナシではないのでした。
口紅なのよ、ルージュのことなのよ。
     
コスメ業界の季語は
「春はルージュ・夏はファンデ(含・UV )・秋はアイメイク・冬はスキンケア(保湿)」
ま、新作発売が集中するのはこの順番であると見てまちがいない。   
「春はさくらのくちびる、夏はカンナの褐色の肌、秋はマリアの哀愁の瞳、冬はレニの透き 
通った淡雪のような頬」と言っとくとサクラファンのみなさん御納得いただけて?

      
抜刀おばちゃんが年頃の娘さんやってたころ、とかくルージュは落ちやすいものだった。
「カラーに口紅 -Lipstick On Your Collar(コニー・フランシス)」なんて名曲もあったし、
「8時だよ全員集合」じゃ桜田淳子か研ナオコがこれをネタに、志村けん相手の新妻熱々おの
ろけコントやってたし、梅干しバアチャンは「ルージュ」どころか「口紅」どころかどころか
棒紅がねぇ・・・」なーんて言ってたんだもんね。 
簡単に言えば昔の口紅(ルージュ)は、蝋(ろう)に紅の色粉を混ぜ固めたよーなもんだった。
中島みゆきがあの!ちあきなおみに提供した名曲「ルージュ」(1977)を聴いてたOLさんが
「あたし1年に2本半はルージュ喰っとるわねぇ、飲み食いと舌なめずり分で。」
とのたもうてたし。
      
メイクというのは、やたら落ちるものだったのである、崩れるものだったのである、剥げるも
のだったのである。 そう、高分子吸収体さまや超微粒子さまが登場なさるまでは。
「落ちない口紅 〜♪ 貴女が彼の胸元にロマンチックにしなだれかかって、Yシャツにくちびる
寄せても、ホ〜ラ、大丈夫ぅ♪」
なんてぇキザったらしいCMは、「専用・ルージュ落とし液」とコミであった。
以前は専門のメイク落としジェルなんてなくても、洗顔石鹸ひとつで(それすらなければ、
えーいっ、百歩譲ってフツーのせっけんでもよろしい!)顔面のカンバスはなんとかなった
んである。 荒っぽいね。 わしだけかい。      
    
先日バスの中で「おみごと」なものを見かけちゃったよ。
乗ってきたそのおねえさんは、最初はファンデぱたぱたはたくだけだったの。
「あ、今日は陽気いいからなー。 UVケアかなー。」
と思ったら、ルージュ、かなり濃い色のを、揺れる車内で、鏡も見ずにスッスッスッ。
仕上げはアイメーク、シャドウだけじゃなくてマスカラまでヒョイヒョイ。 いよっ名人芸!
(しかし鏡も見ずに「落ちないメーク」で失敗しちゃったら、どーするんだろう?)     
       
          
とにかく抜刀おばちゃんが「若いおねーちゃん」だったころ、ルージュはほんとよく落ちた。
娘さんたちはオフィスの、レストランの、飲み屋の、化粧室で紅を引きなおし、崩れ押さえの
ために紙一枚を二つ折りにして、キッとくわえて、鏡に向かって
「出撃 OK !」
のまなざしを自身で確認して席に戻っていったのでありました。
    
それは「村さ来」みたいなデカイ安酒場の女子トイレ。
先客ふたりは奥の座敷で騒いでいる大学生グループのメンバーの様子。
聞くとも無しに聞える会話は、そうよ、青春の特権、「恋」とゆー狩人の打ち合わせ。
インターネットもケータイもメールもない時代、近場でなくてどこに「獲物」がいるっての?
「ねえ、もうミカと先輩のことは気にしなくていいと思うけど。」
「どうかな、先輩マジメだから、まだ・・・」
「ミカが一方的に熱上げてたんだよ、もうさめたってば。 ふたり今日、自然に席かなり
 離れてるじゃん。 
 間に座ってる高橋クン、もすぐつぶれるよ。
 先輩の隣りにさりげなく座れるきっかけになるじゃない。」
「うまくいくかしら。・・・あなたこそ、渡辺先輩どうなのよ。」
「私たち帰りが一緒の電車なの。 大丈夫、ちゃんとチャンス作れるわよ!」
「上手くいくといいよね。」
「うん、あんたこそね。」      
   
個室を出た私の前、洗面台に、「ほろ酔いしてるフリしてる真剣な女狩人」がふたり、
仕上げにルージュを引きなおしていた。
ふたり揃って二つ折りのティッシュにキッとくちびる結んでゴミ入れにポイ、出ていった。
手を洗いながら、私は思わずふたりの今捨てたティッシュを見下ろしちゃったの。
     
それは、甘い甘いキスマーク「 Lipstick On Your Collar 」じゃなかった。
勝負を賭ける女狩人ふたりの血判状のような鮮やかな紅ふたしるし。
人は「惚れた」時点で自分に降参するのよ。 相手に「降参する」んじゃなくて、
「『こんなにも相手に惚れてしまった』自分の『心』そのものに降参する」のよ。
      
口紅の血判状は、同時に「惚れたオンナ」の白旗なんである。       
     
     


      
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