日々是好日・身辺雑記 2005年 1月
(下にいくほど日付は前になります)

 
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一月某日「禁色(きんじき)」      
    
とはいえ三島由紀夫さんの小説じゃありませんよ、「禁色」。
戦前、軍国主義が、国家神道が、国粋主義が社会をきびしく制限していた頃、
美術の世界にあった
「絵の具はあるけど作品に使用することは許されない」
そんな「色」のことです。    
    
年が明けて、そろそろ気の早い人形店では「おひなさま」の陳列、始まってますね。
「お内裏さまとお雛さま。」 その「お内裏さま」の着ている服の色、覚えていますか?
浅い山吹色に少し黄土色が混じった、輝くような「黄色」。
これが戦前美術界での「禁色」でした。 「天皇の服の色」だったからです。
当時「天皇=現人神(あらひとがみ)」国家にとって「人間」の形をした「神」でした。
だからその服の色は、いつの間にか「禁色」、画家にとっての使用禁止の色になって
いきました。
      
「え〜、信じられない〜。」
でしょ? でもね、ふだんのお弁当箱包む新聞紙(物のない時代でしたから)、それに
「天皇の写真」が載っていたりすると、勤労動員で駆り出された中学生が、教師や憲兵に
「不敬」の罪で、みんなの前で、鼻血吹くまで、口の中切って血を吐くまで、ボコボコに
殴られても文句言えない時代があったんですよ。
     
「サクラ大戦」は「大正デモクラシー」をベースに、「明治」から「昭和」への「薄日の
射す渡り廊下の時代=太正」を描いています。 ゲーム、楽しいですよね♪
でも、実際の帝劇の客席には「憲兵席」があったはずです。
舞台の脚本にちょっとでも「自由主義・体制批判」が見えたとき、マリアとさくらが、
ちょっとキスシーンをにおわせる演技をした時、憲兵が立ち上がってホイッスルを吹き
「中止ーっ!!」と大声で叫ぶ。 そこで舞台は中止、お客は全員帰されます。 
その後には劇団関係者への厳しい尋問が待っています。 
なにもかも検閲づくめ、「表現の自由」は、なかったのです。
     
「禁色」に話をもどしましょう。
戦後日本で初めて「禁色」を使用したのは「S多 芳郎」さんという日本画家でした。
終戦が1945年の8月15日。 翌月9月1日には日本画壇の中でも一番大規模な美術展。
審査は8月30・31の2日間。 執筆に、残り正味10日しかありません。
しかしS多さんはその10日で、禁じられていた歴史上の天皇、禁色の装束を身にまとった
肖像画を描き(これはとんでもない力技です。 正直言って奇跡に近いです)入選しました。
明けて9月1日、日本画家たちはS多さんの作品を見て思いました。
「悪夢の戦争は終った。 新しい、自由な表現の時代がやってきたのだ!」と。
     
S多さんは戦争被害者でした。 空薬莢の残り火薬の暴発で指の先三本を飛ばされて、
不自由な手で絵筆を握り続けていました。 そうまでして、彼は「画家」でした。
繊細な、美しい絵を描く方でした。 生前一度だけお目にかかって挨拶したことがあります。
背の高い、背筋の伸びたおじいちゃん、暖かい大きな手の方でした。
握手する手の指先三本、ありませんでした。
     
確か今ごろ、この季節です。 S多さんが心筋梗塞で急逝されたのは。
     
もう二度と「禁色」のない時代が続きますように。 
            
       


一月某日「牛丼屋強盗は、牛丼を食べたのか?」
     
牛丼はお好き?
「狂牛病」騒ぎで、いわゆる「牛丼」が吉野家のメニューから消えて久しいのですが、
その騒動直前のスクラップがペランと出てきました。
     
この「雑記」ご覧の妙齢?の女性の方、ひとりで吉野家に入ったことありますか?
私、その昔ひたすら肉体労働だったころ、まだ男性客ばかりの、どんより暗い牛丼屋に
出入りしておりました。 ビンボ(笑)でしたし。
      
ま、それはさておきスクラップ。
仕事場での休憩時間、新聞見ていたA嬢(オヤジ好き)が、ふとこうのたもうた。
「あのさ、名古屋に「吉野」って名家あったっけ・・・?」
「はぁ?」
「いや、この記事、『名古屋の吉野家に強盗』って・・・・」
どうやら京都の「冷泉家」かなんかと思っていたらしい、名古屋駅そば「牛丼の吉野家」。
強盗が入ったという記事だったんですな。 大笑い。
     
まあ、牛丼屋のカウンターで「金を出せ」と。
20万円くらいでしたか、売上金奪って逃げた、と。
ここでハタと考えてしまったんですね、わたくしは。
牛丼屋のカウンター、「並、ツユ少なめと、おしんこ」と注文、そのあとで。
私は食べ終ってから「ごちそうさま」と払う方。
しかし「キャッシュ・オン・デリバリー」、注文着払いのお客もちらほらと。
   
さてこの名古屋の牛丼強盗、どっちだったんでしょ。
空腹きわまっての犯罪だったら、食べてから「金を出せ」ですよね。
でも「さりげなく客を装って」の犯罪だったら・・・「並」一杯食べて「お勘定・・・」
その間、はたして「牛丼」、味がしたのかしら。 口から心臓飛び出そうにバックンバッ
クン状態で、でもフツーの客のふりで淡々と牛丼を咀嚼する、その心境。
私だったら・・・・私だったら「淡々と食べてから強盗」はムリですは。
お札ひっつかんでも、お腹一杯じゃ走って逃げられないしねえ(笑)。
     
元気になったら、牛丼食べに行こうっと。
「ツユだく派」じゃなくて「ツユ少なめにね!派」です、わたし(笑)。
もちろん強盗の予定は、ございませんともさ!(笑)
       
      


一月某日「回線切断」
     
薬飲んで横になって、薬飲んで横になって、「安静」ってある意味「重労働」(笑)。
まあ、本当に危ない72時間は脱したので、あとはひたすら回復を待つのみです。
「急性肝炎」ってこんな病気。 再発だから驚きゃしないけど。
    
しかし「72時間」の間は、かなり冷静に「死」をカウントしておりました。
「はたして1ヶ月後の今日、私の肉体は地上にあるのかしらん。」と。
なくちゃ困るんですけどね(笑)、まだやんなきゃならないことあるし。
ただ、「本当に命が危ない」と、意外なほど「冷静このうえない」型(タイプ)なんだと
自分で自分を再発見。 外傷性記憶喪失の時もそうでしたが、「恐くなった」のは喉元
過ぎてから。 人それぞれなのでしょうが、私はどんづまりの危機に際してはクールに
なる性分のようです。 自分でも、改めてビックリ。
    
それにしても今回の急性肝炎再発の理由が「過労による」だったのには驚きました。
「過労」は20代からずっと、仕事をしている私にとってはあたりまえの状態だったので
(何度も倒れましたし)γ-GTPの数値にまで食い込むものではなかったのです。
72時間ぶっ通しで仕事して、2時間仮眠とって都心へ出て打ち合わせ、TV局の取材
2つこなして29時間後に7時間眠って、養母の介護して36時間起きっぱなし・・・・
と、「1日=24時間」の日はまずなくて、72〜29〜36〜7〜40〜22〜・・・
画学生になった時点で、体内時計の通用しない生活をスタートさせ、20年余過ごしてき
た私には、「過労」はまず基本設定だったのです。
「始めに言葉ありき」じゃなくて「始めに過労ありき」。
(不健康だなぁ〜・笑)不規則な時間拘束の連続という商売柄、しかも「介護」という
もう一つの揺るがしがたい24時間時計を持ってしまった以上これは宿命。
       
別にそれを幸とも不幸とも思わず、ひたすらこなす連続だったのですが、ここへきて
いきなりまたクラッシュするとは。
「心労」ともはっきり宣言されました。 体と心、よりあわされば、ここまでこじれる
ものなのねー。 って、14才の時腎臓患って以来、幾度も充分心得ていたはずのことを、
この期に及んで忘れきっていた自分が、ああコワ〜。
     
一番恐いものは「自分自身に対する警報スイッチの回線切断・感覚麻痺」なのだと、今回
しみじみ実感いたしました。
      
       


一月某日「まったく 雪ってぇものは・・・・」
    
気付かないうちに降り始めるもの、ですね。   
     
暮れてきた気配に振り向いたら、
私の住む街、藍色闇に しんしんと 白い花が舞い散るように雪になっていました。
暖冬とはいえ、小さな小さな「二月」にむかうこの季節。
一番小さなこの月は、試練月(しれんづき)、別名「渡小月」(としょうげつ)。
そんな粋な言葉を教えてくれたのは、いったいどこの誰だったかしらん。
    
センター入試(昔は「共通一次試験」っていったのよん♪)チャレンジの何十万人が
白い息吐いて足元確かめながら渡って行く径(みち)。
風邪ひくなよ〜、若者よ、そしてみなみなさまも。
    
薬飲んで、ひたすら安静に、しん、としている夜。
あぁ、こんな夜こそ池波 正太郎さんの「剣客商売」(新潮文庫)主人公
秋山小兵衛じいちゃんと、ふたりでしっぽり「たらちり」でも囲みたい〜。 ふぅ。
     
     


1月21日「おっしゃ、γ-GTP 888 、セーフッ!!」
   
ハイ、いらっしゃいませ!
(ここ、「毎日見に来る」人って、まずめったにいない・・・けど、もしもあなたが「あれ?
昨日と違うな?」派でしたら、ごめんなさい、ちょっと「消しゴム」
・苦笑い )   
    
年に一度の健康診断って、受けますよね、まず保険証が「」で、ある一定の年齢になったら。
で、採血して、結果出て、「γ-GTP(ガンマジーテイーピー)」が・・・・」って言葉、目に
あるいは耳にしたことあるあなたは「ものすごい残業派」か「お酒大好き派」・・・・・・・・
じゃありませんか?
    
ハイ、四十もつれのお年頃なはず(たぶん・?
)じゃ、ありません?
あるいは、結構重い内臓系で入院したことあるあなた(たぶん)が要チェックなこの数値は、
「肝臓・かんぞう」
の・・・・まあ、他にもいっぱい数値あるけど一応「総合評価の通信簿」です。
(体重「かなり」なアキバ系青年の君も、一応医者に行っとけや〜。 保険証「国」でも!)
   
男女とも:γ-GTP 16〜73 U/I が基準値、たぶん「 100 」越えたらお医者さんからアドバイス
が入ります。 
「・・・・・お酒・・・はねえ・・・・」って脅す口調で、あるいは「『残業』・・・・まぁ、
 お仕事大変でしょうから『定時に』をはねぇ・・・・でも、増やさないと、『お休み』を。」
と、なんだか医者だか俳優だかインタビュアーだか裁判官だか解らない口調で言われたり。
     
「抜刀質店」という「私」も、まあ「ひとりのヒト」として肉体はあるわけでγ-GTP
888です。
     
私肝臓タフなんです(笑)人並み以上に!
腎臓で一ヶ月登校できなかった頃も、十二指腸潰瘍の時も、
「やばっ!! 宿酔い(ふつかよい・・・・実は注射針刺される6時間前まで呑んでた・ヲイ。)」
と内心思った時だって〜♪     ・・・・・・あのなぁ・・・・・まぁ、「過去」はさておき
タフだったんです。
    家にいて、座っていて、パソコン・ON になってて、キー叩いています。 ゆっくり。
さっき夕方5時のチャイムが聴こえたので、あと1時間で父が車で迎えに来て、母が台所に立って
「ただいまー」
と言って部屋に入り、おとうさん・おかあさん・わたしの3にんで、ばんごはん。
「3夜」連続ってこのシチュエーション、えーと、電卓・・・・
9年ぶり。 あら まあ  ・・・・・。
   

      
      
      
     
    
   

               ふぅ ドサリッ 。
                  
(座る)
ヤレヤレ、「クウハク」ノ ジカンスウ イキルカ シヌカ  ダッタ  ノガ・・・・・・
       
      
・・・・・すわってても  だいぶ  つらく  なく なって きた 。
  惜しかったなあ、炊き立ての「豆ご飯」何年ぶりかで
絶対おかわりすると思ったのが、半ぜんしか食べられ・・・・・まっいいか
明日チン♪すりゃ。 タッパの中だし、冬だし、傷まないし。
一人暮らしはじめて初めて自分で作って、筍ものなら安いし、意外とカンタンだし、
昔は・・・・昔は「ごちそう」だったんだけど。
「えぇ〜♪ お母さん、今日、何で『豆ごはん』なのっ!?」・・・て。
     
あ、「健康診断書」どこに貼っとこ。   よしっ、と。 888
888 からカウントダウン・スタート。 
 !
   
       
       


一月某日「迫力あったわよ、岩平先輩」       
       
「小なりと言えどここは我が校のジャーナリズムの現場です。」
岩平先輩はこう言った。 4年生、高1だ。
「入部したからには、あなたは小なりと言えど我が校のジャーナリストです。
 ゆえに今日からウーマン to ウーマンで、あなたを指導します。 ついていらっしゃい。」
内心
「うわああぁ、新聞部に入部してよかったのかな〜 」
な、こないだまで小学生だった私。    
でも岩平先輩、おっかなかったけど、どっかユーモアあって、チャーミングな人だったの
よね。 「報道文の基本=5W1H 」に始まって、とことんしごかれたは。
高1が中1にする指導ったって、今思えば高校レベルじゃ無かったな〜。
大学入試レベル飛び越えて、その後、新聞社に入社した新人記者に科せられる訓練の、そ
の内容をぎりぎり中1に付いて来られるように焼き直したものだったもん。
ものすごい教育、それを「教師→生徒」じゃなくて「生徒→生徒」でやっちゃう。
小学校からの90人は12年制、中学からの60人が6年制、修道院の学校って、バンカラ
だったのよ。 意外? 今でも思い出す岩平先輩は、やっぱりチャーミングだは。
      
      

一月某日「桜の雪崩る丘」
    
昔々の文章です。        
     
 先日テレビでビートたけしさんが
「俺は桜の花が大嫌いだ。」
と言っていました。
「あれを見ていると、血が騒いじゃうから。」
なんだそうです。
たしかに、日本人の脳みその中には、実は先祖代々「桜スイッチ」とい
うものが内蔵されていて、桜の花が咲く季節になると、自動的にカチン
と「ON」になるのかもしれません。(全員が、とは申しませんが。)
 わたしも、桜の花を見ると、意味もなく     
「ああ、うれしいなあ。」
と思ってしまうクチです。
それはもう、おなかの底から、「ウレシイの素」が、じわぁっと湧きあ
がってくるようなカンジなのです。
「ウレシイの素」というのは、湯気の立つホット・レモネードのグラス
の底に沈んだ金色のハチミツが、ゆーっくりと溶けのぼってくる、その
「ハチミツ」みたいな気持ちのことです。
 しかし、その「ウレシイの素」には、ほんのちょっぴり、「カナシイ
の素」も混じっているみたいです。 いったいなんでなのかは分りませ
ん。
これもたぶん「桜スイッチ」に組みこまれたものなのでしょう。
    
 映画「櫻の園」は、桜の花がたくさん咲いている女子校の話でした。
あの画面から、山盛りの櫻の木を、中庭に一本だけ残して、あとはみん
な学校の外に持っていってしまうと、わたしの女子校時代になります。
 始業式の校庭で、一本きりの桜が散って、その花びらが、くるくると
回りながら降ってきて、前に並んだ友達の肩や髪に、ちょこんと乗っか
るのを眺めるのが好きでした。
いかに、新学期にあたってのお説教をうわの空で聞いていたか、バレて
しまいますが。
   
 わたしは、横浜の、港のすぐそばの、丘の上にある学校に通っていま
した。 横浜港のあたりは、わたしの住んでいる内陸の町より桜の咲く
のが早くて、(通学に片道1時間半かかる距離だったのです!)毎年始
業式の日が、散り始めでした。
 4月、登校1日目、桜木町からバスに乗って、坂を登りきると、ちょ
うど山手の丘から外人墓地と元町公園の「谷間」を見降ろす形になるの
ですが、それは、まさに一面「桜の谷」でした。 うす桃色の桜の花が、
港にむかって、雪崩るように咲きほこって、風が吹くたびに、花びらの
白い霞がふわりふわりと立ちのぼって散っていくのは、美しくて、すこ
し恐ろしい眺めでした。
    
 丘の上には、以前女優の夏目雅子さんが住んでいたという、モダンな
造りの西洋長屋があって、その近所に住んでいた友人たちは、
「ユニオン(丘のふもとにある、外国人相手の食料・雑貨店)の紙袋か
かえて、よく歩いていたわよ。 とてもきれいな人だったわ。」
と話してくれました。
    
 そのせいでしょうか、いまでも、桜の花が散るのを見ると、わたしは
あの桜の雪崩る丘と、夏目雅子さんを思い出します。 美しくて、もっ
ともっと眺めていたかったのに、風にさらわれるように、ふわぁっとい
なくなってしまった姿が重なるのです。
    
 ですから、わたしの「カナシイの素」は、正体は不明ですが、とりあ
えず「夏目雅子さん印」のラベルが貼ってあります。 それはそれで、
なかなかカナシイけど、好きなものです。
    
     

一月某日「『屁のつっかえ』と直木賞っ!」
   
第132回目の芥川賞と直木賞が決まって
「ああ、そーいや1月だったんだっけ〜。」
と思う私はただのおばちゃん。 じゃなくて。
かつて酔っぱらった勢いで、ある殿方に「50になったら直木とりやっす・ッヒック!」
なーんて、とんでもないコト約束しちゃったとゆー、人には言えない(書いちゃってる
けどさ・笑)スネに傷持つ身でございます。
    
20代も後半のことでございました。 あたしゃオトコと呑んでました。
双方そろそろ大ヨパライ状態。 その時彼がこう言ったんです。
「おめえ、ヒック、エッセイ書け。 エッセイストになれや。」
(これは「セミプロ」という形であっさりクリア。)
「でなぁ、ヒック。」
その後です。
「小説にシフトして、50までに何かでっかい賞ぉ獲れやぁ、ヒック。」
「小説で賞ぉ〜?ヒック。」
小説なんてほとんど読んでませんよ当時の私。 エッセイと専門書と美術書と漫画と
・・・・あとは森 有正の「経験論哲学」にハマッてたなー。(ちくま文庫で全5巻出
ています) 小説ねえ・・・辻 邦生・・・アン・マキャフリー・・・、アントニア・
フレイザー・・・うぅ〜ん。
えーと、「大きい文学賞」って、なんじゃらほい?
「あ〜、んじゃ、ヒック、芥川賞狙うってコトで・・・・」
「バカヤロ、ヒック! あんなもんは純文学サマってヤツでぃ、
屁のつっかえにもな
 りゃしねぇ
やいっ!!」
(すみませんね、歴代芥川賞受賞されたみなみなさま。 ヨッパラってたんです。)
「いいかぁ〜、おめーはな、直木とれ、直木賞、ヒック。」
     
酔いの回った頭で必死に考える私。 「直木賞」・・・山口 瞳さん、エッセイ「酒飲
みの自己弁護」おもしろかったなー。 彼が確か獲ってたっけ。
あと脚本家の向田 邦子さんも受賞してたなー。 「時間ですよ」に「寺内貫太郎一家」。
なーるほど、明るいホームコメディー小説か。 よっしゃ、いっちょやるか〜。
    
「わっかりやした、ヒック、『50で直木』と参りやしょうぜ。」
「よっしゃぁ、ヒック、よく言った。 じゃ、50で直木賞な、約束だぜ。」
「あいよぉ、サムライ(なもんか)に二言はありやせんぜ、ヒック!」
          
ま、とりあえず銀座でさよならして(2004年12月の「雑記」に書いた「抜刀質店
の作り方・いきなりその4」の「旦那」です。)帰宅途中本屋へ。 飛行機事故死した
向田さんの、最初で最後の小説、短編集「想い出トランプ」を手に。 
目にした瞬間それまでの酔いが
サーッと醒める。
ついでに血の気が
ザーッと退く。
「え、え、えらいこと約束しちゃったよぉっ!!」
    
50才まであと何年?
え? 小説? 聞かないでっ!(笑)
(それにしても「屁のつっかえにもなりゃしない」って、全然文学的表現じゃないわね。
 某所でペロっとしゃべった折り、某お方にビックリされました、こりゃ。)

   
   

一月某日「掟破りのサイトですから・・・」
     
やーれやれ、ここ数日のドタバタは凄まじい物がありました。
まず i-Mac がダウン。 速攻で iBook G4 を入手、ところがソフトが言うこと聞かない。
なんとかしてドドッとアップしたら、今度は修正がきかない。 上書きが出来ない。
で、別のソフトで強引に上書きは成功、修正はやっと今日、いまさっき。
    
結局、明日から1ヶ月半の中南米出張(!)の我が相棒が昨夜3時までかかって i-Mac
の方を奇跡のように復活させる、という荒技を使いました(エライ!)。
ありがと、相棒。 しかしもう入手できるソフトの都合上、i-Mac は限界。
だましだまし使いつつ、i-Book G4 覚えなくちゃね。(覚えた頃にはまた新型が・・・)
    
今回の一件に関しては、私は相棒とかなり強烈な言い争いをいたしました。
体も精神状態もグチャグチャで(ばーちゃんの法的後始末とか抱えてるしね)、それで
もなんでサイトにこだわるのか。 最初相棒には分らなかったみたいです。
「だからこそ、サイトが、『雑記』が、必要なのよっ!」
と言っても。
相棒にしてみれば、文章だって一応セミプロ(だった)私に
「出版社に持ち込めばいいじゃないか。 それがイヤならメルマガ出すとか。」
       
それじゃダメなのよ。 不特定多数の、顔の見えない相手に対して常に発信し続けないと。
何で1999年の9月から(中ぬけ長かったけど)延々やっているこのサイトに、掲示板も
カウンターも(ねぇ・笑)ないのか。     
一見「サクラ大戦」のゲームサイトに見えて、実はメールでの手応えは全然別だってこと。
ここを読んでいる人の内半分以上は「サクラ」知らないんじゃないかなぁ、多分。
    
このサイトは小さな「カラクリ忍者屋敷」、迷路か双六みたいなものなんです。
いらしてくれた方々が、そして誰より私自身が、積極的に「迷子」になるためにあります。
だからガイドも何もないの。 わざと迷うように作ってあるのです。
あえて、世の中の「サイトの基本」を崩しているんです。
掟無用のサバンナなのじゃ。 白いマットの〜ジャ〜ング〜ル
(わは)なのじゃ〜。
    
    

一月某日「と、思ったら」
    
どうやら奇跡の復活したみたい、ウチのパソコン。
これで休みなしにアップできるわい。
めでたしめでたし。
    
    

一月日「『わ』なの?『は』なの?」
         
みなさ〜ん、こんにちは〜♪
ですか、それとも、こんにち
わ〜♪ですか?
ここで十数年ぶりに再会した兄貴と「論争」。 濃ゆい兄妹じゃのう(笑)。
兄貴古来日本語正統派文法、私、百年以上続いた横浜お嬢様学校サロン派文法。
決着なんて付けられません。 「引き分け」・カーンッ!。
      
私、口が裂けても「こんにち」なんて言えないの。 そんな強い言葉=音。
「江戸っ子(えでっけ)」と「ハマっ子」の意地よ、なまってんのよ、えぇ確かに。
パリジャンが「パリ」じゃなくて「パヒ」って言うようなもの。
「フランス」じゃなくて「フハンス」なのよ、発音が、あの連中は。
      
そうよ、なまってるのは私。
     
だから「こんにち
」じゃなくて「こんにち」って言っても許してね。
次回の「こんにちは♪」は、たぶん2月末か3月頭です。
でもその間もザックザック書き続けておきますわよ、ごきげんよう。
          
       

一月某日「どっちがコシノ!?」
      
いやはや、キョーレツでしたは
「コシノものがたり〜心はいつも乙女のように」
明治座。
明治座自体がひとつのアーケード商店街のよう。 2度の、30分と25分の幕間休憩と
公演後は、お食事&ショッピングタイム。 「人形町」だから「人形焼き」どころじゃな
いのよ、ゴーヤー茶あり、甘納豆あり、かまぼこあり、鮭の西京漬けあり、アクセサリー
ショップにブティックまであり。 しっかり混んでるのよ。 おばさまたちで。
「観劇&グルメ&ショッピング」でひとつの「劇場という巨大装置」が完成して機能して
いるの。 そうよね、演歌歌手が「座長公演&歌謡ショウ」やっちゃうトコなんだもん。
お手洗いで「前はいつだっけ・・・ああ、そう、五木ひろしの新春歌謡ショウ!」って言っ
てたふたり連れはしっかり「クジャク柄のセーター」に「ヒョウ柄のラメ・シャツ」姿。
舞台そばの天井には巨大ミラーボール、いつだって「マツケン・サンバ」O.Kよっ!!
     
しかし・・・濃かったわ〜♪
赤木春恵さんに池畑慎之介さんに萬田久子さんに牧瀬里穂ちゃんで「コシノ母&三姉妹」。
役者が濃ゆい! けど、実際の「コシノ母&三姉妹」も充分濃ゆいっ!!
制作発表の写真て、だいたい原作者や実在のモデルが前に座って、後ろで出演者がスタン
ディングでしょ。 でも普通、前列が、後列の俳優さんに負けるわよね。
「負けていない」のよ、コシノの女性は、パンフ写真見たら。 つ、強いっ・・・・・!
どっちが舞台に立つのか分らない、そのド迫力ッ!! さすが岸和田のオンナは強いっ!!
      
「リアルな女形目指す」という池畑さんの女らしさったら、最高だったわ!
そういや私、10年近く仕事カバンに「MICHIKO LONDON 」使ってたのでした。
ガッツのあるいいバックだったわねー。
「コンビニで、気軽にコンドーム」ってのもコシノさんのおかげだったわよ。
いい仕事してるオンナって、ホント、ナイス!だは〜。
とにもかくにも明治座新春公演なのでした。
           
そうそう、仲良しこよしの脚本家&女優さんたちが3月12日(土)に厚木でミュージカル公演!!
公式ホームページは当サイト名物、秘密の抜け穴が・・・・・・

                            
 
                           
ここだっ!!   
           
       

一月某日「恐怖の大進化」
     
怪談をひと〜つ。
このサイト、2代目 i-Mac 「 Page Mill 3.0 」で作っております。
ま、木こりで言うなら「チェーンソー」じゃなく「斧」で木切っているようなもの。
それが・・・・私が眠っている間に「こびとの靴屋」じゃないけれど、心優しい相棒が
バージョンアップしてくれた・・・・んですは。
結果。 サイトとメール機能がアーメン。 ご昇天あそばしました。
       
で、中南米出張を1週間後に控えている相棒に、「 iBook G4 」その他モロモロソフト
調達してもらって(ホラ、わたくしそーゆーの、まるで分らないからぁ〜
ってイバんなよ!
3連休中特訓! ・・・・のはずが。
進化しすぎてて、このスタイルでは続けられないことが判明。
ってことは、ナンですかい、こっちで作文して、コード繋いで向こうに情報引っぱって、
それでアップ・・・・ぅ〜??!!  め、め、めんどくさっ!
   
しかも3連休最後の今日は、昼間お芝居見に行くのよ、「明治座」へ。
「コシノものがたり〜心はいつも乙女のように」よ。
池畑 慎之介さん(ピーター)がコシノヒロコさんやるのよっ♪
特訓どころじゃないは、こりゃ。
と、いうわけで、あと数日真夜中の特訓がダメな場合、
このサイト2月末頃までいったん
ストップしましてー、いきなり「2月の雑記」がドドドッとアップ、そのまま3月に突入、

という怖ろしい未来がただ今見え隠れしておりますの。
      
恐竜時代からいきなり明治維新にすっ飛ばされたような恐怖を、味わっているわたくしは
そう、「
帰って来やがった・抜刀質店」おばちゃんです。 トホホのホ〜(涙雨)。
    
    

一月某日「誰も問わないことだから」
     
私が問います。
あのさ、「サクラ大戦」の帝劇って、銀座にあるってことになっているでしょ?
銀座って、昭和、たしか戦後しばらくまでは4丁目までしかなかった・・・・わよねえ。
つまり、4丁目の端、「服部時計店(いま「和光」)はすむかいの帝劇は、5丁目、銀座
じゃなくて「尾張町1丁目」なのでは・・・・?
その先は「竹川町」(現7丁目)「出雲町」(現8丁目)だったのでは・・・・?
間違っていたら御免なさい。 でも「銀座は4丁目までだった」は、故・殿山泰司さんの
「三文役者あなあきい伝」1巻目(講談社文庫)に、確かに出てきます。
殿山さん、銀座のおでん屋の息子でしたから。
「勝鬨(かちどき)橋から続く晴海通り一本隔てて、実は銀座じゃなかった帝劇。
初めてゲームやったときからの大疑問です。
「無理を承知で押し通した」なら、大物〜?!?○井プリンス〜?!?。
「調べないで書いちゃった」なら。 いいかげんにしろや、○○ほり ○○○〜〜〜。
小説「前夜」間違いだらけじゃないの〜。(っとにもうっ!)
     
     

一月某日「実弾ぶっぱなすよ。」
   
常日頃、私はたいへん貧乏な、つつましやかな生活を送っております。
もうヒトが見たら笑っちゃう位ね。 私は小く、非力な、杖ついて、流れの傍らでのん
びり(?)そぞろ歩きしている「ビンボウなおばちゃん」なのです。
ただし。
いざとなったら「実弾」使う。 もちろん合法的に、ですよ〜(笑)。
ぶっぱなすんです。 ズギューンッ!て。
今回のパソコン故障巡るゴタゴタでは、30発位撃ったかな。 もちろん大人ですから
当然相手の急所を確実に狙います。 「実弾」で解決できることならば、即刻やります。
    
と、いうわけで「帰ってきた抜刀質店」はビックリするほど早く復旧したのでした。
     
兄貴に言わせると私は
「まんまる眼鏡の小柄なおばちゃんです。 目だけが異様に輝いています。 
今し方敵陣に切り込んで血刀下げて壕に帰ってきた『夜戦切り込み隊長』か『アメリカ
大使館玉砕占領に向かうヴェトコン』です。 会わない方がいいです。」
なんですって。 何者なのよ、私。
    
フツーの、街のおばちゃんよ。
ときどき「アンタ
西原 理恵子だっ!」って言われるけどさぁ。 
「実弾」撃つときは、いつでも合法的な場所で、合法的に。 
だって〜、
善良な市民なんだもーん!(笑)
    
       
一月某日「どこへ行くの?」
     
家へ、とりあえず家へ。
痛む脚も、薬の副作用出まくりの体も、心も、ひきずるようにして。 家へ。
決められた薬を飲んで横になる。 その先は?
どこへ行くの? 行きたいの? 生きたいの? 逝きたいの?
わからないけど、とにかく家へ。 答はそのあと、考えましょう。
      
     

一月某日「マリアのスリッパ」
        
ネタばれまずいけれど、これアップする頃には終っているわよね、「サクラ大戦・新春
歌謡ショウ」。 わたしが観たのは初日。 さるお方がチケット取りご尽力下さいまし
た〜! で、その方のお嬢さんのHさんをエスコートする!などという特典付きで(5
才といえども立派なレディーよ、Hさん! だから「ちゃん」って呼ばないで「さん」
って言うのよ)ファミリー席で楽しんで参りました。
            
その中に・・・・あのね、マリアが、あのマリアが、スリッパ片方手に持って、ある物
をペシペシやっちゃうシーンがあるんだな、これがっ!! ああ、当分夢に見そう♪
マリアにスリッパ・・・・・似合うのよ〜、これがなんとも!(笑)
    
     

一月某日「歩きやすい街」
     
銀座は、有楽町は、歩きやすい街です。
歩道の道幅が広い。 歩く人の数がほどよい。
残念だけど、新宿と渋谷はダメ。 人数多すぎ。 人が行きたい方向に行くスクランブ
ル交差点を私は上手く渡ることができません。
     
体が不自由になって、杖をついて歩いて初めて分ったこと。
「全体進め!」の号令の残酷さ。 全員一定の速度で走らせる体育の授業の傲慢さ。
人はそれぞれ違います。 
私よりも重度の障害を持ちながら、あえて杖を使わない人もいます。 
それはその人の「歩き方・生き方」。
     
歩行に障害のある人間同士は、チラリとアイ・コンタクトを交わしています。
そのとき、まれにですが「自分より障害軽いのに杖なんぞ使いやがって。」と来る事も。
私の場合、左半身にいきなり力が入らなくなって、倒れてしまう可能性があるので、杖
です。 寒いと、お天気悪いと、踝(くるぶし)から下ねじ切れそうに痛むことあるし。
障害者同士でも、いや、障害者同士だから、切実な問題として「差別意識」があります。
これは、現実として受け止めるしかありません。
    
銀座は歩きやすい街です。
それぞれの人が、それぞれのペースで歩いて行くゆとりがあります。
携帯電話かけながら歩く「心ここにあらず」の人も少ないです。
ただね。
どの店もお高いのが難点(笑)。
       
      

一月某日「放火予告」
    
いや、冗談じゃなく。
かかって来てたんです、ばーちゃんちに放火予告電話が。
ばーちゃんもパートナーさんも日本画家。 ○術年鑑に名前も住所も電話番号も載って
います。 特に出世したパートナーさんは写真入りで。
かかって来るんです、放火予告電話。 何度も何度も。 ちょっと有名になって住所が
出ちゃうと、「画家になりたかったけどダメだった、アタマ少しいっちゃった系」の人
のターゲットになる、らしい。 しかも高齢女ふたり所帯。 足元見られて。
いいかげんにしてよね。 電話、私が出ました。 わざと少し話をひっぱって、「逆探
知」ちらつかせて。 それで、ピタッと止みました、放火予告電話。
     
八百屋お七じゃないけれど、放火は重罪なのよ。
一軒だけじゃなく、囲りにも火が回ったら大変なことになるのよ。
そんなもん、電話で、愉快犯でかけてくるなって。
      
職業画家って、めんどくさいです。
本人たちはケロリとしてるけど(90越えたらそりゃ恐いもんないわよねー)周囲が大変。
一人は死んで、一人は老人ホーム、もう家に帰ってはこられない状態。
想い出深い、深〜い家だけれども、そろそろ壊して更地にしなければなりません。
窓ガラスとか割られているし、「廃屋状態」ですので。
あーあ、嫌よね。 大好きだった、あの画室、あの庭。 まっさらな土地にしちゃうのって。
      
       

一月某日「ペットショップ・サル・カメ合戦」
      
ウチの近所にペットショップができました。
それぞれ得意ジャンルってありますよね、「ウチは犬専門」とか「小鳥」とか、中には
「熱帯魚専門です」とか。
ここがね、どうしたわけか「サルとカメ専門」なんです。
なんで?
なんで「サルとカメ」なの?
    
まー、考えられるのは、よっぽどのマニアか「金持ち坊ちゃんの道楽」じゃわいな。
開店時間の遅さからいっても、後者っぽい。
しかしなんで「サルとカメ」?
    
相棒曰く、「『サルとカニ』じゃ、マズいでしょう。」
    
おお、技あり、
一本っ!!    
     
           

一月某日「あえぐ魚」
    
いかんいかん、今朝から「能面症」とでもいうのかな、表情や声の抑揚が効かない。
     
なもんで強い薬飲んで仮眠。 でもまだダメ。
とはいえ今日は銀座の弁護士事務所に予約入れているので、外出しないわけにいかない。
踝(くるぶし)から先がちぎれそうに痛いけれど、もいちど薬飲んで銀座へ。
まったくもって私の脚は、冬と梅雨と季節の変わり目には気象庁より正確です。
表情は、とりあえず少し笑えるようになったので、これでなんとかいたしましょう。
いや、弁護士さんとの相談の内容は、「笑い事」どころじゃないんだけどね。
下手すりゃ裁判沙汰。 費用とんでもない額かかるらしい。 どこにあるのよ、そんな金。
あったらくれ、私に! じゃなーくーてー、とにかく面倒この上ないコトになってるワケ
だわいな。 ひとりの人間の死で、ここまでこじれるかね、相続問題。
(別に十億百億の額じゃなくてもよ。)どーなっとるんじゃ、日本の法律ッ!!
    
問題は、当事者が全員体に障害をかかえていることです。
聴力や視力、高齢者、肢体不自由。 
健常な若い衆しかスムースに相続できんのかいな、日本の
民法。 高齢化が進む日本、高齢者が高齢者の介護して、高齢者が高齢者の遺産相続する。
年若い健常者以外は大変な不自由。 意思の伝達すら難しい。
一方では、まだまだ古い因習に、「家中心・男中心制度」にとらわれている地方社会。 
現行法で通るべき話が通らん。 「血の濃い者が偉い」ってさ。
     
小雨のそぼ降る中、ブルックボンド・ティールームでスコーンにクロテッド・クリーム
塗りながら考えましたね。
「生きている」って、「困難」だは。
     
酸欠になりそう。 今の私はあえぐ魚。
     
                

一月某日「パソコンのない日々・斬り捨てるスピード」
      
気がついたら生活の一部、いや、かなりの部分を占めていたのね、パソコン。
私はイラストレーター兼漫画家ですから当然手でも描きますが、最近文章はパソコン頼
り。 気がつけば生活必需品。 なのにカラクリが分らないのよ、全然。
こんな、ちょいと気取った小難しげなカオしやがった電気カラクリ箱に翻弄されている
私。 誰かなんとかしてくれい。 こんなもんに人生左右されたくないぞぉ。
     
と、まあ悪口はこっちへ置いといて。
文明の進化速度が、もうとっくに「人間の自然な速度」を越えてるんじゃないのかい?
人間は、ゴールの見えない猛スピードのジェットコースターに乗っている、ような気が
します。 文明は両刃の剣。 「正」に進化すればその分「負」の刃も鋭くなる。
インターネットで注文すれば、明後日にも貴方の所に実弾付きピストル届くよ。 バズ
ーカだって宅急便で着いちゃう。 麻薬でも、毒薬でも、「食用・美容用」の、ヒトの
胎児でもね。
コロコロ変るサイト・アドレスさえ上手く掴めば。
      
あなた、携帯電話持ってますか? 仕組み分る? 分らないよね、多分。
だけど会話して、メール送って、ムービー画像撮って転送していますよね。
ベルの作った電話1号機はシステム単純。
カメラだって、その気になれば(簡単なヤツなら)子供の夏休みの宿題に作れるのよ。
8ミリカメラなら、ちょっとの故障は機械に強い人なら直せちゃう。
でも「携帯電話」は。 一部のエンジニアを除いて、誰も知らない。
    
文明は暴走しています。
このカチャカチャやっているコンピュータは、元は敵の基地や街に正確にミサイルを
飛ばすためのもの。 TVゲームはジェット戦闘機のパイロット養成のシミュレーター。 
軍事は文明を飛躍的に伸ばす。 伸ばしはするが、「文化」を破壊もする。
先月の雑記で私は「携帯電話で話し中の歩行者は、背中にウィンカーを付けて!」
と、冗談めかして書きました。 でも、実際は冗談ではない。
文明は人の行動様式を傍若無人にする。 人は、自分しか見ていない。 怖ろしい。
自分しか愛していない。 自分をしか、考えられない。 「他人」は「他」である。
行動様式に「共感ごっこ」はあっても、いざ都合悪くなったら「排除すべき・他」で
しかないんです。
     
私はそれをいっぱい体験してきました。
「相手の都合で、あっけなく斬り捨てられる、自分」。
それも、「私の耳の不自由」や「それまで向こうから夜中にジャカスカ電話かけてき
たのにこちらが理由あって夜半にかけるといきなり『私の生活を乱さないで!』とか
などなど、ほとんど「いちゃもん」のような理由で。
ホントは理由なんてどうでもいいのよ、飽きたから「ポイ」するのよ。
いい年した大人だって、やるときゃやるのよ。
罪悪感もなく「自分が、自分こそが傷つけられた!」ってね。
     
文明に踊らされて、文化的じゃない人を、私はかなりな数、知っています。
そうじゃない人も、まだまだ沢山!いるけどね。
    
流れの傍らで杖ついて立っている、私は「抜刀おばちゃん」です。
     
      

一月某日「あーらら、オシャカだわ。」
      
いきなり壊れました、パソコン。 メール機能とネスケがご昇天あそばしました。
どうするよ、ワシ。 来週すぐに相棒中南米出張で、修理も、新しいの入れてるヒマも
ないぞよ。 というわけで、しばらくお休みします。
とはいえ書くことは止めないから。 1月か2月の中頃になって、いきなり再開の際に、
あまりの書き込みの多さに「ひょえっぇぇ〜っ!」して下さいませ。
    
前にも申しましたとおり、私は「回遊魚」、書かずには生きてゆけません。
     
泳ぎ続けまっせ。 さあ、乞うご期待!
     

一月某日「『黒電話』の携帯」
    
NTTの陰謀であまりにも公衆電話が減りすぎたもんで、ついに買っちゃいました、携帯。
ストラップ可愛いのよ、革でね、アリさんが行進してるの。
ただ問題は・・・・
1・自分で自分の番号を知らない。
2・相手の番号を登録できない。
3・留守番録音を聴けない。
4・ましてやメール機能なんぞ使えるわきゃナイッ!!
つーまーりー、昔の「黒電話」、あれを「持って歩いている」ってわけさね。
以前は聴力障害で、携帯電話ダメでした。 音がザラついて。
でも、今のって音質良くなってるのね。
(ちょっとまだ相手の声、聴き取りにくいけど。)
というわけで私の携帯は、メールも留守電もカメラも機能付いているにもかかわらず
「黒電話&カレンダー&時計」の役割しか果たしておりません。
出かけるときは忘れずに、アドレス帳をね。
     
  

一月某日「お家賃 いくら?」
      
一人暮らしを始めた頃、家賃19000円でした。 和室ぶちぬきで十畳(なんせ日本
画は油絵と違って、床に寝かせて描くもんで場所くうの)キッチン5畳半、風呂場付き
風呂桶給湯設備なし(ヲイ)。 安かった。 当時の相場から言うと4畳半、キッチン
と押し入れ各半畳、トイレ共同、風呂なしもしくは共同風呂の感覚です。 
とにかく安かった!
    
私は町田に住んで、鶴川の大学に通っていました。 ないんです、銭湯、鶴川。
だから「1・高級アパート風呂付き」と「2・共同風呂付き」に別れてて、ウチの学校
の生徒は例外なく「2」でした。3〜6畳間。(3畳のときには四分の一畳分、中空型
上半分押し入れ付きだから、床は3畳でも空間は2畳半) 青春と貧乏は同義語。
ユネスコの実験大学だったので、国大より学費安かった。 学生はまず貧乏人。
不動産屋の張り紙が、都心のそれと1ケタ違う。 時には2ケタ安い。
「8畳、風呂付き、3000円:但し酒を飲まず夜10時までには帰宅する体育会系男
 子学生に限る」
それってさ、老所帯の「用心棒」じゃなーい?
とゆーよーな物件がころがっとりました。 そんなところで、私たちは生息しておりま
した。 木造モルタルなんて贅沢よ、トタン板の壁なのよ。 夏暑いこと冬寒いこと。
でも人間て不思議ね、どっこいそれでも生きていたんだから。
「あまりの暑さに居ても立ってもいられないから、『しゃがんで』麦茶飲んでた。」F
君お元気? 私はあまりの寒さに足踏みしています。 家賃? あいかわらず安いわよ〜。
     
さて皆さんの、お家賃いくら?(笑)
     
     

一月某日「バカは死んでも治らない」
       
書けば書くほど「サクラ大戦・ファン・サイト」から離れてゆくこのページ。
いいの、書きたいこと書いてるんだから。(ひらきなおりっ!)
ただ、困ったことにキーの打ち損じが多いんですね、見ながら打ってるのに、よー。
ブラインドタッチなんて夢のまた夢ですわいな。
推敲して推敲しても、まだある誤字・脱字。 いったい何語を書いてるの、私って?   
(一応・日本語・のつもりなんですけど・・・・・)
     
記憶喪失から来る【数字・記号の認識と左右の認識のずれ】はもう馴れました。
いや、左右は馴れたけど、数字と記号はやっぱり不便。 あとアルファベットも。
ローマ字変換しているこのキーボードも、いっそひらがなで使いたいです。
それほどスゴイです。 書いているより修正している時間の方が長いもん。
     
そうまでして、自分の胃を溶かしてまで、なんで書くの?
元旦、目が覚めて、一番最初の仕事は「吐く」でした。 なのに、なんで書くの?
その答が見つかったら、私はパソコンの電源を切るでしょう。 
「もう書かなくていい。」って。
      
イラストや漫画もそうです。 不自由になった左手(左利きですから)、それでも次に
描くことを考えている。 スチールの本棚にまるごと1段プロット。 木のラックにも。
すいか4玉分の段ボールに2箱。 サクラは別棚、こないだ数えたら1800枚ありま
した。ひとりの人間が(たとえプロダクション持っていても)一生かかって描けるか描
けないかの量です。 さらに毎日新しい物語の扉が開く。 
バカだ、私。
     
回遊魚のような人間が、確かにいます。
サメやマグロはエラが未発達で、眠っているときでも泳いでいないと呼吸ができなくて
死んじゃうの。 わたしは回遊魚です。 泳ぎ続けないと、死にます。
      
バカだ、私(笑)。        
      
     

一月某日「お手洗いマップ」
     
私、ひとつ困ったことがあります。
左脚と腰が悪くていつも左手に杖。 和式のお手洗い、体が痛くて使い辛いんです。
特に冬は左脚、冬は踝(くるぶし)もぎ取られるように痛むので。
右足の親指も痺れて感覚ないし。 ひっくり返りそうになっちゃうんです。
でも「風情のある老舗」って、段差のある和式多いのよね。 かなり不便。
一番楽なのは身障者用の、広い洋式です、荷物も杖も傍らのベビーシートに置けるし。
(個室に入って荷物を扉のフックに掛ける、そのターンすら痛むのです。)
    
で、住んでいる街を歩くときはもう「お手洗いマップ」が頭に入っているわけです。
私は町田に住んでいますが、一番体に楽なのは「まちだ東急・新館」と「ぱるる」。
喫茶店なら「エクセルシオール・カフェ」。
使いにくいのが「西友」、階段の踊り場にあるので、嫌でも歩かなければ。
    
体を悪くするまでは、お手洗いなんて「ありゃいいのよ」でした。
でも杖にすがるようになって初めて分った、人間にとって大切なことだって。
      
昨年末、新宿二丁目で呑み会した時も、とても心を配って下さった人がいました。
ありがとう「 I 」さん。 大丈夫でした(笑)。
また二丁目で、呑みましょうね!
      
             

一月某日「隅田川の七福神めぐり」
        
元日に、なぜか相棒が長いこと外出してるなーと思ったら、なんとひとりで「隅田川
七福神めぐり」に行ってきたのでした。 ずるいぞ、相棒!
ふたりの年中行事なーのーにーぃ。 でもって、長命寺の桜餅屋は元日お休み。
今年は自分たちだけじゃなくて、これ食べて頑張ってもらいたい人がいたので、ちと
残念。 もっとも元日じゃ彼女も帰省してて留守だわね。
毎年悩むのは「桜餅を買って、言問団子を食べるか、逆にするか」「それとも『志゛
まん』の草餅にするか」「いっそ百花園でお抹茶とシャレ込むか」「百花園の前に自
転車で来るきび団子屋さんできび団子立ち食いするか」(きなこまぶして串に刺して
あるのよ)。「生粉打ち亭」のお蕎麦は南ルートで最後にするか、北ルートで最初に
食すか。
    
え? 七福神は?
周りますよ、そりゃ、一応ね(笑い)。
     
でもって長命寺の付属幼稚園の敷地にある「六助(って犬がいたの、江戸時代に)の
石像の頭なでて、三囲(みめぐり)神社の隅にある「立川談志師匠そっくりの狛犬の
顔拝んで、帰ってくるの。 
おせち疲れの胃袋にちょうどいいお散歩コースです。
    
    

1月某日「言葉」
     
私は「言葉」が恐いです。
こんな鋭利な刃物、他にないと思うから。
     
電話のベルが鳴るたびにビクリとします。 怖ろしくて。
言葉の持つ内容が何より恐い。
でもそれだけでなく。
私は聴覚障害者です。 以前は「同世代の人の7割」だった「聴く力」が、急速に落ちて
今は「5割」。 グラフは正直です。 
進行性の遺伝病なので、いずれは補聴器でしょう。 もう「骨の響きで聴く・頭骨検査」
が始まっています。 定期的に受ける聴力検査は「=」か「−」で「+」はあり得ません。
衰えていくしかない力なのです。
     
私の鼓膜はガラスです。 狭い室内ならともかく、広い空間では遠くの機械音や大歓声、
外国人の音律などに反応してしまって、反対に目の前にいる相手の声が聴こえない。
お芝居の舞台やコンサートだけではない。 喫茶店でも、医者の待合室でも、そうです。
ひどいときには失神したり、目眩を起こしたり、吐いたりします。
耳栓のための脱脂綿をいつも持ち歩いています。
    
それでも私は言葉が好きです。
1970・・・何年の「紅白歌合戦」でしたか。 なにしろふだんはテレビのチャンネル
権が子供にはない家庭。 (自分の意志で初めてスイッチ入れたのが小学校5年の時。)
「紅白歌合戦」はほぼ唯一の、許された「歌番組」でした。
白組のリーダーは名司会山川静夫アナウンサー。
     
「『太郎を眠らせ
  太郎の上に雪ふりつむ
   
  次郎を眠らせ
  次郎の上に雪ふりつむ』
     
 三好達治はこう詠いました。
 三善えいじは『細雪』。」
    
まだ小学生だったはずなのに、この曲紹介をなんで覚えているのか・・・・?
      
優しく、柔らかい言葉が、確かにあります。
私はその美しさに、酔うのです。
      
     

1月某日「タバコ」      
      
私はタバコが苦手です。 煙いし、匂うし、税金の塊だし、体に良くないし。
以前の職場がチェーン・スモーカーの巣窟で、一日仕事終えて帰ると髪の芯まで匂って。
「この分自分も巻き添えで強制的に吸わされているのね〜。」と思うと哀しかったです。
そりゃ若い頃はいきがって「ふかして」ましたよ。 「ふかす」だけ。
肺の奥まで入れられないの、心臓悪いから。
(ちなみに私の全身で、一度も壊れたことないのは、甲状腺と膵臓と脾臓と髪。 だけ。)
      
ところが。 吸っちゃったんです、タバコ。
ダヴィドフ(独)のメンソール。 養母のことでバタバタしてるうちに、フイッとまた
吸い始めました。 家庭用マッチで火をつけて(笑)。 そう、マッチ・コレクターな
のよ、私。
いかん、いかん、いかんっ!! こんなもん早く止めねば・・・・・っ!!
と、いいつつ、ついつい引っぱり出した「トーマの心臓」(初版だよ〜ん!)で、オス
カーが校舎の裏でタバコくわえてるシーンみて
「ハアァ・・・かっこいいっ!」(ハァトッ)とな。
そりゃオスカー・ライザーならかっこいいわよ、超美形だもん。
ちっこいメガネのおばちゃんがプカプカふかしたって、んなもんちーっとも美しくないっ!
美の観点からも、タバコ止めるように。 ・・・・・反省。
    
     

1月某日「静かな街で」
     
あのさ、大晦日くらいパジャマ着て寝なさいよ、ウチの夫婦。
普段着のままふとんに潜り込んで「あけましたらおめでとう〜」ってね。
社会人なんだから、一応。(一応、な) 親が見たら泣くよ、あ、もう泣いてるか。
1月1日、街は静か。 デパートも商店もお休み。 賑やかなのは初詣のあたり位かな?
こんな静かな街は、かつて見覚えが・・・・そう、あれは平成元年「大喪の礼」の日。
街の機能は完全にストップ。 シーンとしたその静寂が耳に痛い。
     
私は友人宅に出かけました。 
「もらいもんのさー、一缶2000円のコンビーフあるんだは。 
コンビーフ・スパ作るけど、食べに来ない?」
「行くっ!!」
幸い電車は動いてた。 で、駅前通ったら、看板の明かりは消しているけどケーキ屋さん
に人影が。 「いえね、こんな日でもケーキ食べたい人も居るかと思って。」こっそりお
店を開けていたんです。 お土産にケーキ買って、行きました友人宅。
「おおおぉ〜、これがその2000円のコンビーフ!!」
「和牛だよー、和牛!」
「しょえぇっ! 缶も金色だぁ!」
「いや、缶は喰わんでいいからさぁ。」
とにかく1日食費500円足らずで過ごしていた私たちにとっては大変なご馳走です。
「今作るから、テレビでも観てて。」
この友人宅のテレビ、壊れてもう久しい。 足もと3センチしか映らない。
でも常日頃テレビなしの生活の私には、大変な娯楽です。
映っているのは各局「大喪の礼」のみ。 3センチのみの、各国王族・国家元首・大使
たちの足元のみ。
そのゾロゾロを眺めつつ、スパゲティーとケーキ。
『次はアラブ首長国連邦・・・』
「おおー、裾ひきずってる、ひきずってる。」
「民族衣装だもんねー。」
     
静かな静かな「大喪の礼」の日、私たちは和牛のコンビーフスパゲッティーとケーキと
わずか下3センチのテレビでもって過ごしました。
凍りついたような、冷え切った静かな街で。
「天皇=人間」でしょ? 戦後そう宣言してるもん。 
「現人神(あらひとがみ)」じゃないって言っていますもの。
なのに「ひとりの人の死」で「凍りついた日本」。 なぜ?
    
2005年、日本はどこへ行くのでしょう。
自衛隊の英名は「セルフ・ディフェンス・フォーセス」。
この特殊な名前、世界に武器持って出ていって、通用するのでしょうか?
結局は外国にとって、武装して行った時点で「ジャパニーズ・アーミー」なんじゃないの?
世界は、日本は、人は、どこへ行くのでしょう?
「世界に貢献する日本」って、いったい何なのさ。 ホントのとこ、誰も知らない「日本」。 
     
     


1月某日「義援金、ボランティア・スピリット」
      
いかんなー。 正月は郵便局休みだってコト、ころりと忘れておりました。
いくら喪中とはいえ、年末年始の感覚が欠如しすぎ。 世間様のペースってもんを忘れて
ぼんやり「日常」を過ごしております。 あ、でも夫の実家の信州からお餅が届いたっけ。
酒屋のおじちゃんも配達の時サービスで「サトウの切り餅」くれたなあ。
イイ酒屋だは〜、「住吉屋酒店」!! は、さておいて、なんで郵便局かつーと、義援金送
るつもりでいたの。 先日のスマトラ沖地震の。 ウチでは大きい災害があると、国内・
外問わず、相棒と私で半分ずつ出し合って、必ず送金するとゆー掟がございますのじゃ。
日本赤十字←のホームページはこちら。 金額の大小は関係ないので、
「んじゃ、ちょっと送ってみようかな・・・」という方、どうぞ。
     
 受付期間:2004年12月28日〜2005年1月31日まで。
 受付方法:郵便振替
 口座名義:日本赤十字社
 口座番号:00110−2−5606
 振替用紙の通信欄に「スマトラ島沖地震救援」と明記して下さい。
 振り替え手数料は免除されます。
     
そういえば年末の本屋さんは「家計簿コーナー」の季節ですな。
私つけてましたよ、小学校入学と同時に「おこずかい帳」、高校生からは「婦人の友社」
の「わたしの経済ノート」、一人暮らし始めたら「家計当座帳」。
いわゆる「予算立ててそれに合わせてやりくりする・家計簿」は苦手なんです。
だけど月末に「食費がいくら」「書籍がいくら」「画材」「交通費」etc. 分析大好き。
いちばんビンボウな頃は「エンゲル係数」まで計算しましたしね。
阪神・淡路大震災の後の10ヶ月は、仕事のための画材と交通・通信費を除いて「月3
万円」で生活していました。 残りはみんな被災地へ送金。
     
ずいぶん昔のことですが、イギリスだかフランスだかの家計簿を見たことがあります。
「食費」「光熱費」「被服費」「交通費」・・・・日本のそれと同じ。
ただ最後の欄に「寄付・ボランティア費」ってのがあったんです。
それ見て思いました、
「ああ、精神的成熟度が日本と違うなぁ。」って。
もちろんキリスト教文化圏ですから、日曜ごとの教会での献金もあるでしょう。
でもたぶんそれだけじゃない。 100稼いだら3か5か7か、
「困っている人のために」。       
              
今年の日本の家計簿パラパラ立ち読みした限りじゃ、まだその欄ありませんでした。
「特別費」にでもなるのかしらね。
でもボランティア・スピリットは「特別」なものじゃない。
日常に組み込まれていてあたりまえの「心」です。
日本の主婦よ、早く「大人」になってください。
「家計簿」は
「今日は予算より食費が168円も安く済んでラッキー!」
てな、一本の「ものさし」でしかない「お金」を測るだけのものじゃないはずです。
    
私は体に不自由があるので、例えば先の新潟地震の時にも、現地へは行きませんでした。
もっぱら後方支援。
阪神・淡路大震災の時大活躍した意外なボランティアさんたちがいました。
「ヤクザ」さんと「肛門科」のお医者さんです。
     
ライフ・ラインが壊滅状態で、みんな給水車が頼り。 強いもの順に我先にと弱い者を
押しのけます。 そのときヤクザさんが
「わりゃあっ! キチンと並ばんかいっ!!」
スゴ味効かせて混乱を回避させたんです。
     
1ヶ月たったら今度は肛門科のお医者さんたち。
真冬の地震、体育館で毛布一枚のザコ寝。 野菜・繊維質の少ない食事。 屋外作業。
「絶対、痔になって苦しんでいる人たちがいるはずだ!」
まったくもってその通り。 大活躍したそうです。
     
ヤクザさんでも肛門科のお医者さんでも、困っている人たちの所へ行って、何かをする。
「あたりまえに」成すべきことをする。
そんな柔らかい心が、2005年にも沢山実りますように。
     
      

1月某日「拝啓・中島みゆき 様」      
    
聴きましたよ、貴女のCD「いまのきもち」。
朝日新聞・芸能欄のインタビューで貴女は
「嫁に行った娘達が法事で帰ってきたような・・・・」
と言って笑っていましたね。 「法事」ですか、「娘達」ですか、そうですね(笑)。
    
リメイク集の「いまのきもち」、ヒット曲にこだわらない選曲が新鮮でした。
特に「あわせ鏡」は、最初に聴いてから20年近く経って、やっと意味がわかりました。
貴女もやはり私と同じ、額に印を刻み込まれた「人」だったのですね。
英訳歌詞、読んで初めてわかりました。
    
思えば私の「20才」は、貴女と共にありました。
私は何度も貴女の胸ぐらを掴みました、よねえ(笑)。
    
私は貴女を「歌手」としてではなく、ラジオのパーソナリティーとして知りました。
月曜深夜のニッポン放送「オールナイト・ニッポン第一部(AM1:00~3:00)」。
それまで二畳半の「納戸」暮らしだった私は、はじめて親元を離れひとりになりました。
テレビも、ストーブもない生活でしたが、やっと隣室で眠っている家族に気兼ねせずに
深夜ラジオを聴くことが許された。
出会ったのは、貴女でした。
    
「歌手」としての貴女、「根暗な みゆき」なんてまだ知りませんでした。
ただただ、明るい、カラカラとよく笑うパーソナリティーの貴女。
投稿コントの葉書を読み上げる力業の凄さに、ひたすら魅了されました。
     
あの頃の「オールナイト」は実力者揃い。 タモリに、たけしに、桑田に、貴女。
今のチャラい「お芸能人種さま」の「ウチワ話たれ流しアワー」とはわけが違う。
1枚1枚の葉書への集中度は、まさに「話芸」でした。
        
先輩にひとり、たけしさんにターゲットを絞っている人がいました。
(彼は後に映画監督・脚本家となりました。)
もちろん普通の人が大多数でしたでしょうが、投稿者の中には「放送作家」やライタ
ー志望の人間が少なからずいた、はずです。
毎週届く葉書の山から、まずはADさんがチョイスする。 それからディレクターさ
んやご本人がさらに絞り込む。 激戦区です。
「自分の書いた葉書が読み上げられる」というのは「大変なこと」でした。
       
まだインターネットはおろかパソコン通信すらない時代。
「金魚鉢」と呼ばれるラジオ・スタジオの中でパーソナリティーが読む葉書。
そのむこうに、きっと沢山のリスナーがいて、「笑っているはずだ」。
その手応えを信じて、私はコントを書き始めました。
自分の紡ぎ出す「言葉の力」を知りたかったのです。
          
私は貴女の胸を借りようと決めました。
「常連」にならないために、毎回ラジオネームを変えて、住所も氏名も無し。
ひたすら匿名コントの葉書を書き送り続けました。
最初は全然読まれない。 それが5〜6枚に1枚になり、4枚に1枚になり。
3枚に1枚確実に読まれるようになって、私は投稿を止めました。
「中島 みゆき」に「3枚に1枚読んでもらえる」それで充分と思ったからです。
        
20才の私は「中島 みゆき」の胸ぐら掴んだ、尻の青い小娘でした。
貴女は「3度に1度」胸を貸してくださった。
      
今でも「大きな星」です、貴女は。
      
小娘だった私は、ここで「抜刀質店」やってます(笑)。
     
     

1月某日「あけましておめでとうございます!
ところがどっこい「帰ってきた抜刀質店」は、今年も仮設サイト、掘ったて小屋です。
掲示板も、リンクコーナーもございません。
        
ねぇ。
    
ホントにこんなんで、いいの?(笑)
いやいや、いらしてくださる皆さんは
「んでもイイのじゃ〜。」
ちゅう、気の長い、心の広い方々なのでしょう。
というわけで、今年も「仮設」のままで、「レッツラ・GO!!」(笑)
       
      


      
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