日々是好日・身辺雑記2000年3月
(下にいくほど日付は前になります)

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3月25日「ドカジャン・クギつき50円」
とはいえ、しょせん根っこが脳天気なので、硬派な話題が続きませんわたくし。やれやれ・・・
   
冬場のバイクがやっかいなのは、四輪と違って体むきだしなのでべらぼーに体冷えることですな。
スクーターといえども5〜60キロは出るし、連日通っていた病院は山ン中で朝夕えらい冷え込
むしで、1シーズン分多めに着込まないと体感温度はもう氷点下。
結局この冬はずっと、持ってる中で一番厚いダウンコートを着たきりスズメで通しました。
いくらぞろっぺえなわたしでも、ひと冬同じコートというのは初めて・・・・
と思いかけて、ちょっと待て。
遙か昔、ドカジャン一丁で過ごした冬があったわ。
(ドカジャンってのはつまり、あー、工事現場でよく見かけるアレです。 カーキ色ナイロン地・
焦げ茶のボア付き綿入れハーフコート。 黄色いヘルメットと安全靴のよく似合う。)
    
場所は「学校」とは名ばかりの山賊の巣。
ここをおん出るには「卒業制作」というのを提出しなければならず、わたしたち最終学年のメン
バーは連日アトリエに泊まり込み状態。(だからもっと早くに準備しとけってば・・・・)
真冬の多摩丘陵、コンクリむき出しのガランとしたアトリエは3階分の高さの天窓からすきま風
吹き下ろし放題で、その対抗策と言えば旧式の石油ストーブがたった一個きり。
それでも泊まり込んでる人間ひとりの発する熱量は600ワットの電気ストーブに相当するそう
なんですが、いかんせん我らが日本画研究室は、古風な芸風(?)が仇してか定員割れ寸前の人
口密度の低さ。 明け方には筆洗いの水も凍る寒さときたもんだ。
そんなある日。
超人気クラス・デザイン専攻Tゼミの3年生・某R君と廊下でばったり出くわしたと思いねえ。
学内指折りの美丈夫(スタートレックのスポックさん+若い頃のにしきのあきら似・・・おぉ!)
で三高(背が高い・エンゲル係数高い・学内の男子学生にもてる度高い)の彼は、実に暖かそう
なドカジャンを着ているのでありました。
「R君、いいね〜、それ。」
「あ〜、よかったら売るッスよ。」
「は?」
「いや、オレ今日昼飯代足りないから。(さすがウチの学生じゃ!)
 50円でどうッスか?」
「おっしゃぁ、買った!」
ここで“50円=なんかアヤシイ”と知恵が回んないとこがビンボ学生の哀しさよ。
なんせこっちとら卒業制作の絵の具代で、1日300円生活が続いていたゆえ。
「でもそれ脱いじゃったら、セーターだけでR君寒くない?」
「ウチのゼミ人数多いから暖かいし。 帰りはセーターの下に新聞紙着てくから平気。」
「あ、そー。」
・・・・って、納得すなっ自分!
というか、“学生が新聞紙着てるのがあたりまえ”だった我が母校!
その場で美丈夫R君からドカジャンをひっぺがし、ぬくぬくと着込んだわたしでありました。
   
ところが。
2〜3日着ているとなんか裾まわりがゴソゴソする。
調べたらポケットに穴が開いていて、そこからクギが十数本と十円玉がころがり出てきたじゃ
ありませんか。
「・・・・あのさ、R君これ・・・・」
「あ、捨ててあったの拾ったやつだから。」
「捨ててあったって、ど、どこに。」
「夜中のビル工事現場の、積んであったコンクリ袋の上。」
「そらアンタ、『捨ててあった』んじゃなくて『置き忘れ』じゃろがっ!!
 なんで内ポケットにオレンジ色の刺繍で『高橋』って名前が入っとるんじゃあぁ〜っ!!
 今すぐ元の場所に戻してこんかいっ!!」
「だって、もうとっくに建っちゃったッスよ、ビル。」
「・・・・・・・・・・」
「拾った場所今カレー屋になってるけど、置いて来ますか店先に。」
「・・・・・・・」
「着ないスか?」
「・・・・・・・・・・・・・んにゃ、着る。(寒いから)」
『高橋さん』ごめんなさい。
ドカジャンひと冬着倒して、わたし卒業制作できました。

で、卒業制作提出し終えて廊下をテケテケ歩いていると出っくわしたのは、同級生で留年決定
のK君。
「いいなあ、そのドカジャン。」
「・・・・いる?」
「金ない。 30円しか。」
「あんたの留年記念に負けたげようじゃないの。」
「ホントにいいの? やったあ!」
「クギもついてるけど、オマケにいる?」
「うん、もらう。」
さらに半年後、卒業証書をもらいに学校に行ってみると。
(3月1日から働いてたので、卒業式には出なかったんですわ。)
あのドカジャンは留年2年目・抽象芸術SゼミのT先輩が着ているじゃありませんか。
値段は自販機のコーヒー1杯だったそうな。(もちろん、クギつき。)
ビンボな学内をグルグルと売られて買われて、ドカジャンは回り続けているのでありました。
(クギつきで。)
今ごろどうしているのかしらん。
そして、『高橋さん』は、お元気かしらん。
    

3月21日「70年目のさよなら」
いやもう、なんとも長い長〜いこと留守にしてしまいました。
こんな仮設ホームページでも見捨てずに覗いて下さっている奇特な方(いるのかホントに?!)
ごめんなさい。
   
昨年の12月から入院していたばーちゃん(養母)が、あした老人保健施設に移ります。
入院中は「完全看護」ということになってはいても、痴呆が進行していて目が離せない状態なので、
病院からの要請で付き添いをして、連日病室詰めの3ヶ月半でした。
ばーちゃんのパートナーも、年が明けてからは体調を崩して寝たり起きたりの状態が続いているの
で、ふたりあわせて182才の介護・・・・(もうすぐ184だ!)
いや、さすがに・・・・つ、疲れた〜。
しかもその間に介護保険の手続きがバタバタと。
判定結果、ばーちゃんがかなり重い「要介護3」なのはともかくとして、パートナーはなぜか「要
支援」、(これってつまり「自立」の一歩手前のランクなんですワ)この差はナニ!?
う〜む、よくわかんないぞー、介護保険!
で、あちこちと相談して、もう一度判定のやり直しを申請することになりそうです。
「なりそう」というのはつまり、わたしはばーちゃんひとりの養女であってパートナーの「娘」で
はないので、遠方にいるむこうの親族と連絡を取り合って話を進めなければならないからなんです
が。(ああ、ややこしい)
やっかいなのは、ばーちゃんとパートナーとが法的な書類の上では「ナンのつながりもない赤の他
人同士の関係」だということです。 70年も一緒に暮らしてきたのに。
過去何度も、お役所の窓口で、それを思い知らされてきました。
つい最近フランスでは「同棲でも・同性でも」一定期間生活を共にしている事実さえあれば法的に
「カップル」として認められるようになったそうですが、(これってスゴイことですよー。 福祉・
保険のサービスとか、納税とか相続とか、全然違いますもん。)日本では・・・・そんな改革まだ
まだ無理だろうなあ・・・・。 
    
皮肉なことに、ばーちゃんが老人保健施設に入所してパートナーがひとりで暮らすことになって、
やっと「サービスはあくまでも個人あるいは夫婦単位で、他人との生活共有スペース(つまりウチ
の場合これまでふたりで使っていたキッチンやお風呂場・トイレ)にはノータッチ」というヘルパ
ーさん派遣のルールをクリアすることができました。
ふたりがそれぞれひとりになる、70年目のお別れに、です。

長い長い歳月を一緒に生きてきたばーちゃんとパートナーなのに、一緒に福祉サービスを受けるこ
とも、一緒の老人ホームに入ることもできない。
でっかい壁を前に、無力感でつぶれそうな気分です。   
    
「一緒に暮らそう・一緒に生きよう」という気持ちを、どんなカップルにも認めてくれる世の中に、
いつかはなると信じていたい・・・・です。
たとえ「戸籍上の夫婦」じゃなくても、いいじゃないの!      
      

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