その15「大階段でいこう!」
さて、この交換日記も私のパートは今回で最終回です。
気がつけば、あっというまでしたね。 自分が書く1週間より、やぎさんが何を
書いてくるのかな〜と待つ1週間のほうがドキドキもんだったりして(笑)。
あっちふらふら、こっちふらふら、いろんな話題が出ました。
こういった交換日誌は初めてでしたが、すごく楽しかったです。
(しかし読んでる人はついてこられたんだろーか、この話題の流れっぷりに・・・)
    
心残りはページの都合で「やおい論」が出来なかったことです。 長くなりそう
なので。 いやぁ、ふたりで熱〜く(笑)語り合いたかったのですが、これはい
ずれまた何かの機会にやりましょう。
     
この交換日誌を読んでいる方は、2人の人脈から察するに、プロ、セミプロ、ア
マチュア、全然関係ない方、いろいろいそうです。
最後にひとこと。
「作品とウ○コは出したいときが勝負!」
(ああ〜、いいのか、こんなに品のない最後で・・・いいのだっ。)
絵でも文章でもサイトでも何でも、「やりたい」と思ったらそのときが作り時です。
むこうから走ってくる幸運の女神はうしろハゲ。
すかさず前髪をひっつかまなければ。
というわけで幸運にも実現した交換日誌、私のパートはこれでおしまい。
    
読んで下さったみなさんに感謝です。    
     



                    やぎさんの第14回「シンデレラ」はこちら

その13「水と油」
「男性が読んで面白い少女マンガのランキング」、よく分かります。 わたしも
そこに「ベルばら」が登場したらずっこけると思いま〜す(笑)。
恋愛ものというのはどうしたわけか時を経ると、恋愛そのものよりその時代の雰
囲気や風俗を残す資料になっちゃうんですよね、「君の名は」も「東京ラブスト
ーリー」もそうです。 映画「アンナ・カレーニナ」も、結局私ソフィー・マル
ソーの衣装と小道具ばかり観てました。 他に観るもんはないのか。 ない。
            
私も恋愛ものには興味がない方です。 「他人のはれた惚れた見て何が楽しい?」
という・・・だからハーレクイン文庫を何百冊もコレクションしちゃうご婦人の
気持ちは分からないです。
私は自分の心の方に興味があるので・・・恋愛するなら自分でするっす(笑)。
(もっとも「野郎」は今の相棒ひとりで充分ですけれど)
    
ただ、「恋愛もの」と分類されるものの中にも「これは上手いなぁ〜!!」と感
嘆するものもあります。 たとえば映画「恋に落ちたシェイクスピア」。
これは若き日のシェイクスピアと俳優志願の貴族令嬢との、結局は結ばれない恋
を描いた作品ですが、そのなかに時代があり、様々な人間模様があり、最後には
「ロミオとジュリエット」という歴史に残る傑作が生み出される大きな「うねり」
があります。
     
宝○の「猛き黄金の国」が失敗作なのは、エピソードのつなぎ合わせだけで終っ
ているからです。 サーロインステーキとサイコロステーキ、パールのネックレ
スとその糸の切れてばらばらになったの位の差があります。
友人と話したのですが、男のドラマは「成功」です。 清濁合わせのみ頂点を目
指して行く、そんな財閥の創始者を、「濁」を飲まねばならない心の裏打ちを外
して主人公の「豪遊」に置き換えている。
「清く・正しく・美しく」の○塚と「成り上がり物語財界劇画」との水と油は、
残念ながら接点がないのです。
○宮プロはその点をよく考えてから売り込むべきでしたね(苦笑)。
      
       

                    やぎさんの第12回「恋愛物?」はこちら


その11「男のドラマ・女のドラマ」(2001年3月9日)
      
オタクは男性にも女性にも大勢いる。でも、女性の方が社交スキルを持って
いるせいで、群を作りやすく、場が成立しやすい。
    
なるほど。
では男性のオタク諸君、まずは風呂に入るというスキルをゲットしてくれ〜。
(まだ言っている・笑・よほど臭いめにあったらしい・・・)
    
今回やぎさんの説を読んで、わたくし想像をたくましゅうしてしまいました。
女性社員ばかりの会社の社宅、昼下がり専業主夫の群れ・・・。
「山田くん、今日駅前のスーパーお肉安いぞ。」
「そういえば高橋くんとこのあっくん、おむつとれたのかい?」
「いや〜それがさ、まだトレパンマンなんだよ。 うちの子遅いんだよなあ。」
「やっぱ個人差があるよな。 佐藤くんちの祐紀ちゃんは早かったな。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・やっぱり似合わない主夫の会話。
こんな会話があたりまえに交わされる未来はあるのでしょーかねー。
     
さて、ここで前回の言葉を訂正させて下さい。
『「今の自分はまだ本当の自分じゃない」という感覚』
これが自分の現実から乖離している傾向がみられるのが子供。 現実の自分を起点と
して、困難を覚悟の上でさらに進もうとするのが大人。
    
と、これは棚に戻します(どっこいしょ)。
   
さて、ここからの十数行について、私は数日間悩み続けておりました。
「オタクがよろしかろーか、やおいがよろしかろーか、いやいやコミケにしよーか。」
    
やめました。
    
宝○について書きます。
読んでいらっしゃる方のために説明いたしますと、わたしとやぎさんとは○塚歌劇の
「猛き黄金の国」(本○ひろ志のマンガが原作)を観劇したのであります。
内容は
ぷ〜でした。(あ、もちろんレビューはすごくよかったのですよ。)
私はその夜ホテルで、そして翌日帰りの新幹線の中でもずっと考えていました。
なぜなのか。
起承転結すらはっきりしない、散漫な構成の青春幕末群像&明治豪商一代記。
登場人物が男性ばかりだからという理由で青年マンガを宝○に持ってきてもよろしか
ろうというのなら、川原泉の「甲子園の空に笑え」(みごとに男ばっかり)やったほ
うが1万倍ましだ〜い。
でも、思ったのです。
女性ばかりの劇団ということをこっちに置いといて、さてこの舞台を、男性の観客が
観たら、ドラマとしておもしろいのでしょうか。 カタルシスを感じるでしょうか。
     
文章の世界では源氏鶏太(古いな)や清水一行の「企業もの」は、女性は読みません。
同じように男性は「ハーレクィン・ロマンス」を読みません。
「少年ジャンプ」のモットーは「正義・友情・勝利」です。
○塚のモットーは「清く・正しく・美しく」です。
男性にとっての「ドラマ」って何なんでしょう。
女性にとっての「ドラマ」って何なんでしょう。
考えて考えて、私の脳みそはもう噴火直前です。
     
あ、新幹線が新横浜に着きました。
降りますね。
        

                        やぎさんの第10回「ここではないどこか」はこちら


その9「比率」(2001年2月22日)
    
やぎ師匠〜、大ナタふるって一気に「千年斬り」しましたね〜。
う〜ん、う〜ん、まいった〜(笑)。
   
まだ出ているんですね「ムー」。 「前世探し」、流行りましたねえ。
今にして思えば、あれもある種のRPGだったんでしょうか。
なにしろみんな前世は女王とか神官とか戦士ばかりで、
「前世はアトランティスの質屋です、仲間を捜しています。」
とかって聞かないもんなあ(笑)。
しかしこの「今の自分はまだ本当の自分じゃない」という感覚こそ、大人と子供
を隔てるひとつの境目だと思うのですよ。 自分の中に疼く未完成感にじれじれ
するのが思春期。 そこに「有閑性」が加わることによって流謫の中で創造され
る作品たちは、技巧は稚拙でも、作らなければ前へ進めない大切なステップなの
でしょう。
     
>投稿者の男女比率がどうなっているのか
「さ○」や「薔○族」は男性100%だと思いますが(笑)・・・はともかく、
私もなんとなく女性の方が多いような気がします。 具体的に理由を述べよと言
われると困っちゃうんですが・・・。 「サクラ大戦」で同人誌を出していた頃
に感じたのですが、男性はマニアというか、コレクターっぽい人が多かったです。
そしてなによりも、男のオタクは臭い! 風呂入って来〜いッ!(笑)
・・・失礼しました。 ちょっと魂の雄叫びが入っちゃいました。
   
女性の描き手、読み手の方が横のつながりを求める傾向が感じられるんですよね。
これはコミケという同人誌マーケットだけの現象ではないような気がします。
街で携帯メールのやり取りをしているのも、ちょっと前に流行ったプリクラ交換
も、女性がリードしているような・・・。
コンピュータは長い間「男の仕事道具」でしたが、これだけ家電製品として普及
してくるとインターネットも女性ユーザーの方が多くなるかもしれません。
少なくとも私の周囲では、この1〜2年間に限れば、自分のサイトを立ち上げた
男女比は1:5位です。
パソコン通信時代は自分の会議室を持っているのって圧倒的に男性の方が多かっ
たことを考えると、この10年でずいぶん様変わりしたなあと思います。
   
インターネットにしてもコミケにしても、その「場」はどんな機能を果たしてい
るのか、集う人々は何を発信し、求め、つながろうとしているのか、考えていこ
うと思います。(って、まだ考えてなかったんか〜い、自分っ!!)
     
ところで比率といえば。
コミケにおける「やおいジャンルの処女率」と「ロリコンジャンルの童貞率」を
とても知りたいです、私。
      


                     やぎさんの第8回
「川のながれのように」はこちら


その7「流謫からオタクへとゆるやかに」(2001年2月9日)
   
わはははは〜。
師匠の「彼氏とかいましたしね」3段コマ落としギャグに大笑い〜〜〜。
しながらも「しかし世の中ってさぁ、多すぎるよヘテロセクシャル・・・」とぶつ
ぶつ言ってたのは私です(笑)。 もっとアンチヘテロが増えたら暮らしいいのに
なぁ〜。(個人的願望なのじゃ)
ま、それはさておき。 たったいま仕事明けで19時間も眠って目が覚めたところ
なので「さて何について書いたら良いのか考えなきゃ〜」と考えておるところです。
もう脳ミソ漂白状態です。 極端すぎるぞ、この生活〜(笑)。
せめて12時間睡眠にしよう。
     
     
しかし、今まで書いたものを読み返してみると、私たちかなり難しいことについて
論じあっているのですね。 自分でもビックリ。 というか、えらいぞ自分(笑)。
やぎ師匠の聡明さに♪エンヤコラセ〜ドッコイセ♪とついていってるじゃないの。
しかしそろそろボロが出るですよ。 コミケ論とかオタク論になるとね〜(笑)。
わくわく。(それが狙いかいっ
     
第5回で触れた少女流謫の日本におけるひとつの変形として大正時代頃から始まっ
た「少女雑誌の投稿サロン化」があります。
明治以降富国強兵政策のもと男子教育は制度化が進んだものの、女子教育はかなり
宙ぶらりんな状態でした。 それが海外の宣教会や津田梅子ら日本人女性の尽力で
やっと女学校という制度が整い始めたのがおよそ100年前です。
それも大都市中心でした。
    
地方生まれ、93才の私の養母の学歴を見ると、当時の混乱ぶりがよく分かります。
小学校から地元の実科女学校へ(裁縫や華道茶道中心)、鉄道が通ったので近くの
地方都市の女学校に編入。 そこで東京行きを勧められて上京したものの、単位が
足りなくて高等女学校に1年編入、それでやっと女子美術学校(今の女子美大)に
入学、といった具合です。 養母のパートナーは東京生まれなので、すんなり府立
第三高等女学校から女子美ですから、地方と都市ではこれだけ差があったのですね。
     
しかしそんな「地方と都市の落差」をぶち破る少女文化が出現しました。
明治30年代創刊の「少女界」を最初に、「少女の友」「令女界」「少女倶楽部」
と次々に出現した少女雑誌は「良妻賢母の育成のために」という表看板とはうらは
らに、あっという間に少女の投稿交流サロンへと変貌していったのです。
日本各地の少女達がこぞって「露草」「春波」「勿忘草」といった源氏名のような
投稿名を名乗り、作品を発表し、交流を始めた、これは今で言うならコミケかイン
ターネットのようなものです。
     
大正・昭和に入ると中原淳一の叙情画や吉屋信子の少女小説などプロの極めて質の
高い作品が発表されていきます。
それに触発されるように、今度は女学校の友人同士で肉筆回覧の同人誌を作る少女
たちが出てきます。 作家の田辺聖子さんもある本で当時手作りの自作の本をちらっ
と載せているのですが、そこはそれ栴檀は双葉より芳し、ものすごく上手です。
昭和5年生まれのウチの実母まで
「あー、小説? そりゃもう女学校の頃にみんな書いたわよ〜。」と笑います。
少女達は「自ら」有閑色の強い流謫という秘密の花園を築き始めたのです。
しかし、ここからコミケまでの道のりは遠かった〜・・・のではしょります(笑)。
     
  
ところで!
「花園養老院」にはぜひ混ぜてくださいね、やぎ師匠〜(笑)。
    



                           
やぎさんの第6回「女たちの秘密」はこちら
その5・「流謫(るたく)というトンネル」(2001年1月26日)       
     
いや〜んやぎ師匠、 次は絶対このタイトルでいこうと思っていたら、テレパシーの
ように師匠がお使いあそばすんですもの(笑)「虎の尾を踏む
たち」
これって元ネタ(「虎の尾を踏む男たち」=「勧進帳」です)日本映画史かエノケン
を知ってる人じゃないとまず出てこないと思ったのに〜。 
あ、謡曲の「安宅」があったか(シャレではない)。
さすがだわ、やぎ弁慶〜、じゃない、師匠〜。 
   
というくらい、不思議なことにやぎさんと私とは、少し年は離れていても共通の話題
が多いので、いくらおしゃべりしていても尽きることがありません。
ということで、今回は2人共通の好きな漫画家さん、萩尾望都さんの話をしましょう。
     
日本の成人式が形骸化したのは、やぎさんのおっしゃるとおり、それが単なるお役所
主催のセレモニーであって、通過儀礼の「通過」の部分をパスしちゃっているからじゃ
ないかと私は思います。 少し話題は前後しますが、それについて触れますね。
これは成人式みたいに「一夜明けたら」ではなく、それなりの期間を要します。
そしてとてもストイックな(性的要素を抑制する、あるいは強調する)ものです。
成人前の単性囲い込み期間。 これを「少女流謫」とか「少年流謫」と言います。
(本来の「流謫」の意味は「流罪」なのですが)
さーて、これが何の文献に載っていたのか実は私、思い出せません(笑)。
ウチから1時間くらいの書庫に行けばまだあるはずなんですが、発掘に何日かかるか
分からないので〜(トホホ)記憶を頼りに話を進めます。 間違いがあったらごめん
なさい。
            
ある部族では少女だけを集めて、一定期間ひとつ屋根の下で集団生活させます。
その間外界との接触はありません。 で、部族の中での大人の女仕事、糸紡ぎとか機
織りとか、祭礼の歌とかを覚えさせます。 この「外部と遮断された訓練期間」を経
ないと、大人の女として認められないのです。
あるいは、ある共同体では「若衆宿」というシステムをとります。
昼間は普通に村落で生活して、夜だけ少年達をそこで寝起きさせながら、やはり伝統
儀式などを教えていくのです。
「精液が大人の素」と考える部族では、先輩青年が少年に「大人の素を授ける」、ま
ーつまり男色行為ですね、そーゆーのもありです。
これが、文明が高度に発達した地域だと、学校やアイドルグループのファンクラブ等
に形を変えることによって「流謫」というのは続いている、というのが私が読んだ本
の内容でした。

萩尾さんの作品で「トーマの心臓」というのがあって、これはとてもよく出来た少年
流謫の物語だと私は思うのです。 全寮制のギムナジウムが舞台でしたね。
ミロンという青年画家のもとに身を寄せる少年「メッシュ」のシリーズもそうです。
これの最終話「シュールな愛のリアルな死」のラストシーン、駅で父親ともミロンと
も別れて行くメッシュの表情に、私は流謫期の終わり、自らの人生を歩んでゆく時が
熟したひとりの青年の誕生を見ます。 美しいです。
     
なぜこのシステムに興味を持ったのかというと、とても個人的なことなのですが、私
がミッション系の女子校出身だからです。 寮ではなかったんですが超遠距離通学で
朝星夜星「生活のほとんど全部が学校〜」でした。 ご丁寧なことに校舎は回廊形式
で外界から閉ざされていて、しかも建物の半分が修道院で、毎日お祈りで授業が始まっ
てお祈りで授業が終って、ラテン語で歌なんか歌っちゃう。 男女交際もちろん厳禁。
もう絵に描いたような「少女流謫」状況〜(笑)。
そんな中で、病気なんかしてしばらく学校離れてたせいもあって、ちょっと斜に構え
ちゃったんですね。
「ここはいったい何だろう?」と。
まじめにお勉強に励めばシスターのお覚えもめでたく、卒業したらあとはもう
「あの頃はよかったわねー。」
で済んじゃうものを(ほとんどの同窓生がそうです)、学年にひとりふたりはこーゆ
ー疑問を持っちゃうヒネ者がいるらしい(笑)。
思えばこれが私の「スチャラカ人生」の第一歩でした。
   
しかし今現在日本における教育の現場がどれくらい「流謫」として機能しているかは
疑問です。 あんまりして無いような気がします。
今の中学生・高校生が「トーマの心臓」を読んだら、どんな感想を持つのかしらん?
あっさり「え〜、これってボーイズ・ラブものでしょ〜?」なんて言われちゃったら
ガックリきちゃうぞ、おばちゃんはね〜(笑)。
        
                           
          


                  
                         やぎさんの第4回「子供の心」はこちら

その3・「やぎ師匠、お誕生日おめでとうございます〜!
抜刀質店(2001年1月12日)
    
いよっ 花の36才
私は花の38才ですから学年で2つ、年は3つ(師匠早生まれだから)離れている
のですよね。
私の生まれ年というのは、世代的には端境期でありまして、もう半回りくらい上、
つまり「もはや戦後ではない」宣言の出た昭和33年(1958年)前後生まれの世代
が、何かとまな板の上に載せられることが多くて(「現代っ子」(古語)なんて言
われたりしてね)それに後から付いていった感があります。 
    
そうすると、何が困ったかと言って、「大人と子供の境目」なんです。
小学生ぐらいまでは、ぼんやりとですが「義務教育が終って高校生になったら大人」
って感じていたんですが、上の世代が「高校生になってもまだまだ子供」って言わ
れているじゃありませんか。 で、「成人したら」と思ったら先手を打つように
「近頃の20才は」。 おいおい(笑)。
このテのマスコミ報道、記憶の糸をたぐり寄せると、笑えますよ〜。
大学生になったら「近頃の新社会人は子供」、卒業したら「25才のハードル」と
か「30才のハードル」とかいって、いいかげんにしろや〜と思ったら、出ました
究極の言葉「アダルト・チルドレン」
元来の定義はかなり細かくて(父親がアルコール依存とか幼少時の被暴力体験とか)
心理学方面の難しい問題みたいなんですが、流行りもののようになんでもかんでも
これでくくられちゃって(笑)いいかげんにくくられる側も結構まんざらでもない
ようで、もういいや〜ってカンジです。
     
飛び越そうにも、ハードルの方から逃げてゆく、らしい。
そのうち「シルバー・チルドレン」とか言われるんでしょう、きっと(笑)。
いつまで続くか、こうなったら見届けてやろうじゃないの。
   
思うに
>「私はまだコドモだから」
の30才さんは、それで子供ブリッコして胸を張るなら張ってほしかったし、スチャ
ラカお笑いをとるならその方向で対談してほしかったなあ。
惜しいっ。惜しかったぞ30才主婦子持ち〜。 いまひとつ芸が足りん(笑)。
     
>でも、不気味な予感ながら、そういうふうに考えている人は結構世の中にいるの
>ではないかという気がしないでもありません。
私もそう思います。 とゆーか、絵描き商売の私は、どこか「ガキ」(子供という
より)の部分を捨てきれないので、ちょっと冷や汗ですが〜(笑)。 ま、これは
「商売道具」ということで・・・・
「自分は大人」とハラをくくったのは、ひとりで絵を描いてメシ食って生きていく
軌道が見え始めたあたりからですから、私の場合早かったのか遅かったのか、ちょっ
と見当がつきません。 たぶん遅かったのでしょう。 デビュー遅いし〜(笑)。   
やぎ師匠はどこいらへんで思いましたか?
    
成人式という形骸化した通過儀礼で「大人」に意識変換するわけもなく、フリータ
ーという生活スタイルも一方では大きなうねりとなりつつあり、昔のように「かた
ぎの勤労者と専業主婦がゴール(これも問題アリですけどね)」とはいかなくなり
ました。
自分で「大人」と思いたくなければ、いつまでも「自分はまだコドモ」で済まされ
ちゃうんですよ、今この国では。 かなり不気味です。 
              
   

その1・「それじゃ、始めましょう」抜刀質店(2000年12月28日)  
やぎ師匠、そろそろ始めましょうか。
     
「交換日記風エッセイをやりませんか?」
「いいですねえ、やりましょう!」
という会話が交わされてから半年あまり。
最初のテーマは確か「近代における青春期の確立」とか「日本少女文化の変遷」
とゆーよーなことだったような・・・。
まー、あんまり気にしないで(どーせ横道にそれまくるの目に見えてるし〜)
のんびり行きましょう。
    

    
21世紀であります。(いきなり大きく出ました)
一晩寝たら2世紀またぎ、こんなチャンス100年にいっぺん・・・ってあたりまえか。
じゃあ、この100年間で何があったかというと、えぇ〜〜〜〜〜
まあいろいろ、ありました(笑)
    
20世紀の頭に世界規模で戦争やって、マリアさんの国で起きた革命はあちこちの地域
に広がって、いっときは「世界は資本主義VS社会主義」みたいな状態になって、でも、
おしまいの方でベルリンの壁が壊されたりなんかして、社会主義はすっかり弱くなっちゃ
いました。
なにしろ主義と主義とが競い合っていたもんだから軍事技術がバンバン発達して、人間
が月の上を歩いちゃったりして。 でもってそんな技術が民間に流れてきて、いろんな
分野でド〜ンと進歩がありました。
私たちが「サクラ大戦」や「 アンジェリーク」で遊んでいるTVゲームは、元は軍事パ
イロット養成のシミュレーターだし、こうしてカチャカチャ叩いているパソコンだって
ミサイルを正確にすっ飛ばすために進歩したんだし。
わたしが子供の頃は
「人間ひとりの脳に匹敵するコンピュータは(今はなき)旧・丸ビル一杯分の大きさ」
なんて言われたもんですが、今や目の前にある小さなiMac1台で何人分もの仕事が出来
ちゃうんですねー。 というか、自分のiMacに完全に負けてます、わたし(笑)。
    
じゃあ人間の方はというと、やっぱりこの100年でいろんな変化がありました。
医療の進歩で平均寿命が延びたし、労働形態も変わったし、男女の社会的役割も変わり
つつあります。
その中で、私が特に興味を引かれるのは「青春期」の普及と延長です。
     
都市部の裕福な家庭に生まれた者にしか許されなかった高等教育と、その期間中の精神
的余裕がみんなのものになりました。
100年前には、幼年期を過ぎたら「半人前の大人」として労働に加わっていた10代
の子供達が「少年少女」として自分の時間を持てるようになったんです。
しかもここへきて急速にその「期間」が延びて・・・・というか、広がって「大人」の
領域にまで入ってきちゃっているんですね、その「楽しみ」が。
一方で以前は「家」のものだった電話なんかは、携帯という形で「個人」のものへ、そ
して「子供」の世界にまで広がっている。 パソコンもそうです。
      
そこで何が起きたのかを考えると、これが実におもしろいんです。
コミケからインターネット、TVゲームから宝塚まで。 
お話ししたいことはいっぱいあるんですが、最初ですし今回はちょっと短めにしておき
ましょうか。
                やぎさんの
第2回「白やぎさんたらお手紙書いた」はこちら
                                    


      
       
      
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