『オネーギン』(シュツットガルト・バレエ団)

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2008年11月29日(土)・30日(日)

東京文化会館

 

振付: ジョン・クランコ 

音楽: ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー     編曲: クルト=ハインツ・シュトルツェ

装置・衣裳: ユルゲン・ローゼ

世界初演: 1965年4月13日 シュツットガルト・バレエ団   改定版初演: 1967年10月27日 シュツットガルト・バレエ団

指揮: ジェームズ・タグル     演奏:東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団        

  11月29日 11月30日
オネーギン ジェイソン・レイリー フィリップ・バランキエヴィッチ
レンスキー マリイン・ラドメイカー アレクサンドル・ザイツェフ
ラーリナ夫人 メリンダ・ウィサム
タチヤーナ スー・ジン・カン マリア・アイシュヴァルト
オリガ アンナ・オサチェンコ エリザベス・メイソン
乳母 ルドミラ・ボガード
グレーミン公爵 ダミアーノ・ペテネッラ ジェイソン・レイリー

 

よい作品のよい上演だったと思います。
正直に言って,作品自体は期待ほどではなかったのです。とはいえ,これは期待が大きすぎたせいであろうなー,という気もします。20年以上前の鑑賞初心者だったころに1回だけ見ていて「すっごいドラマチックな作品」として脳内美化が進んでいたらしく,「あれ? こんなんだっけ?」と思ってしまったのでした。

いや,別にドラマチックでなかったわけではないのですが・・・舞台全体に「うねり」や「厚み」のようなものを感じられなかったというか・・・あっさりさくさくと話が進む印象。
その一方で2幕1場のハゲヅラのじーさんたちの「笑いをとる場面なんだろうけど,こういうのって私にはちっとも面白くないんだよなぁ」もあり,「見るつもりだったものとちょっと違う」印象になったのでした。

これは音楽のせいもあるのかも? チャイコフスキーだそうできれいな音楽でしたが,ドラマチックな盛り上がりにイマイチ欠ける感じ。2回見たのに(有名なパ・ド・ドゥはガラでも何回も見ているのに)帰り道に鼻歌でメロディーが出てこないというのも,劇伴音楽(扱いをするような者が音楽についてあれこれ言うのも失礼ではありますが)としては魅力に欠けているのでは?

美術については,まさに「あれ? こんなんだっけ?」でした。私の記憶では,3幕の舞踏会はパステルカラーを基調としながらたいそう豪奢で,タチヤーナの屋敷での1・2幕との対比で彼女の現在の栄耀栄華がよくわかるものだったのですが・・・今回見たらこの場面が結構地味。いや,それとも長年使って衣裳が色褪せた? 
それだけをもって作品についてどうこう言うつもりはありませんが,少なからずがっかりはしたのでした。

とはいえ,魅力的な作品なのはもちろんです。
なにより,振付がすばらしい。登場人物の感情の動きを如実に表し,それでいて,ダンサーの解釈や個性の違いにより異なる物語が眼前に現れる・・・そういう振付だと思いました。(世界に名を響かせるダンサーたちがオネーギンやタチヤーナを踊りたがるのは実にもっともだなー,と)
かなりクラシックな感じの振付で「美しくない」振りが皆無なのも,たいへん好ましかったです。(ノイマイヤーくらい新しくなると,そういう「私にはついていけないわ」な動きも出てくるので・・・)

 

さて,「ダンサーの解釈や個性の違いにより異なる物語が眼前に現れる」と書きましたが,私にとっては,29日の舞台のほうがずっと感動的でした。

タチヤーナのスー・ジン・カンは,黒髪と黒い目の印象もあって,知的で引っ込み思案の文学少女の雰囲気がぴったり。
一方,鏡のパ・ド・ドゥではかなりセクシュアルな雰囲気で「この少女が読んでいた本は,単なる甘ったるい恋物語ではなく,大人が読むべき本だったのかも?」と思わせてくれたのもよかったです。

そして,大人しそうだが実は内面に烈しい炎が? と思えたのが,2幕でのソロ。オネーギンに拒絶されたのにもかかわらず,トランプで1人遊びをする彼の前で激しく踊るのですが・・・ここのエキセントリックな感情の迸りがすごかった。(これじゃオネーギンも辟易するよなぁ。手紙を破ってまで断ったのにこれでもダメか,もっとヒドいことやらねばならんか,なんて思っちゃうのも無理ないかも〜,なんて)

そして,その烈しさがあってこそ,と感嘆したのが手紙のパ・ド・ドゥ。
驚き,拒絶,過去のフラッシュバック,上流婦人の嗜みと大人の常識,眼前の男の狂熱とそれに巻き込まれての高ぶり・・そんな心の動きが手に取るようにわかり,そしてラストシーン。
オネーギンの求愛を振り切って(というより,彼の求愛に惹かれる自分を振り捨てて)舞台中央に1人立ち尽くすタチヤーナは激しく慟哭していました。私はこの種の大きな口を開けての感情表現は好きではないはずなのですが,今回のカンに関してはそういう感覚はなく,たいへん感動しました。

ペテルブルクの社交界でのシーンで,東洋人の容姿が災いしてか少々地味に見えたのだけは惜しかったですが,逆に言えば,貴婦人らしい大人の落ち着きとも言えるでしょうし・・・これは翌日の舞台を見てから思い至ったのですが,公爵夫人として栄華の中にいても幸薄い感じがあるのも彼女のタチヤーナの魅力だったのではないか,と。
夫との生活が幸福そのものであれば,オネーギンの求愛に揺れるのも一時の心の迷い。しかし,今の生活に足りないものがあるとすれば,再会した恋人への傾斜はより強くなるでしょうし,それを拒絶することの辛さも増すはず。あの慟哭に「やだなー」が起きなかったのも,そういうタチヤーナだったからかもしれないなー,と。

 

レイリーのオネーギンは,倣岸に見える程度のノーブルさはありましたが,冷酷さは感じられず人間味がある感じ。(顔立ちのせいもあるのかも?) 分別からタチヤーナの恋を拒絶するけれど,それに対する彼女の過剰な反応に困惑してしまって,そういう自分を振り切るためにオリガにちょっかい出して・・・予想もしていなかった結末を迎えて,彼も深く傷ついたのではないか,と思わせてくれました。

3幕で登場したときも,失意の人ではなく,すてきな方向に老けた感じで堂々と。タチヤーナに気付いて自分の身を隠すような芝居には大人の弁えが感じられ,手紙のパ・ド・ドゥでの想いの表出も真摯な感じで・・・なんだか,若き日の過ちを経て立派な人になったかのような印象さえありました。
『オネーギン』のストーリーとは違うのかもしれませんが・・・私はとても好きです。そういうオネーギンだからこそ,その人を拒まなければならないタチヤーナにより強く感情移入できたのだと思うから。

 

翌日のバランキエヴィッチは全然違う印象。長身に黒い衣裳が似合って,スタイリッシュで,それはもーかっこいい。踊りの鋭さがなおかっこいい。(ピルエットのまっすぐな軸とキレ♪) 雰囲気は,尊大,冷然,しかもどことなく憂鬱そう。タチヤーナをエスコートするマナーなど表面は紳士的でありながら,内面は冷笑的? と思わせてくれて,これも実にかっこいいです。
なんか,少女マンガや宝塚の「色男の敵役」を思わせる陰のある美男ぶりで,これは恋愛小説にはまっている少女は夢中になるわけだよなー,と大いに納得。

タチヤーナの読んでいる本を手にとって「こんなものを読んでいるのか」とすぐ返すシーンがありますよね? レイリーは,タチヤーナの夢見る幼さを悟って微笑ましく思ったように見えました。そして,バランキエヴィッチのほうは,呆れかえって馬鹿にしたような表情。(その様子がまたかっこいい)
鏡のパ・ド・ドゥでのサポートの違いも印象的。レイリーが調和的だったのに対して,バランキエヴィッチはパートナーを「強引に振り回す」感じ。(夢の中でのパ・ド・ドゥですから,本来の人柄と直結するというわけではないでしょうが)たいそう自己中心的な人に見えました。

バランンキエヴィッチはそして,3幕でもやはりかっこよかったです。ちょっとやつれた感じにメイクをしていたのだと思いますが,人々の陰から踊るタチヤーナを見詰める様子などは,凄絶な感じが加わって,色気が増していたかも?
そういう色男のオネーギンが最後のパ・ド・ドゥですがりつくようにタチヤーナに迫る姿は切迫感があるだけにたいそうナルシスティックに見え・・・「あ,そうか。要するにこの人は自分が好きなんだよね」と思い至りました。今,この瞬間にタチヤーナを求める気持ちは真実。でも,結局それは自分のため。たぶん・・・自分を救ってくれる存在としてタチヤーナを求めている。そういうこと。

なので,拒絶するタチヤーナに対して「そうそう。それが当然の判断よね〜。幸せへの道よね〜」と応援したくなりました。だって・・・もしここでオネーギンに靡いて駆け落ちしたとしても,数年後には(いや,数か月後には?)「求めていたのはこの女ではなかった」なんて悩みだして,捨てられるのではあるまいか? なんて心配になったんだもん。
ですから,この日の物語は私にとってはハッピーエンド。ヒロインが心揺れる体験の後に不実な初恋の人に別れを告げて,信頼できる夫のもとに残ることに決めて幸福を得る・・・よかったね〜,としみじみできる『オネーギン』でありました。

 

こういう印象になったのは,直前のタチヤーナと公爵のパ・ド・ドゥの効果も大きかったと思います。
タチヤーナのアイシュヴァルトはこの踊りでの艶と輝きと幸福感がほんとーのほんとーにすばらしくて・・・。
タチヤーナはロシア人の理想の女性像なのだそうですね。それがなぜなのかは私にはわかりませんが(貞女だからだろーか?),このパ・ド・ドゥを踊るアイシュヴァルトの軽やかで優美な姿は,「そうだ! これぞ理想の女性だ!!」と言いたいような全き美しさでした。(オネーギンが夢中になって求愛するのは実にもっともだ)

そして,彼女をこんな風に輝かせたのは,夫の穏やかな愛情に包まれての日々だったのだと納得させてくれたレイリーのグレーミン公爵もすばらしかったです。
2幕の芝居でも「社会的地位もあり,妻を幸福に輝かせる器量もある」と思わせてくれたのですが,このパ・ド・ドゥでのサポートが実に見事。「愛あるサポート」と言えばいいのかなー? アイシュヴァルトをそれはもう美しく踊らせて,リフトなどがそれはもうスムーズで,妻を愛していること,誇らしく思っていることも伝わってきて・・・。

 

話があと先になりましたが,アイシュヴァルトはすてきなプリマですね〜。
少女時代は甘やかでロマンチックな雰囲気。もう子どもではなく,年齢相応に成長しているとわかる大人びた感じがありました。そして同時に,母と乳母(と妹)の愛情に恵まれて育ってきたのだと感じさせる可憐さと幸福感。
鏡のパ・ド・ドゥでの恋の陶酔感も申し分なく,翌朝のオネーギンとのやりとりでの「空気読めない」ぶりも箱入りのお嬢さんらしく「あらあら」と好感がもてるもの。

全体に表現に深みが感じられ,踊りもよかったと思うのですが,ただ一つ,プリマの輝やきがありすぎて,妹より華やかに見えてしまうのだけは難かなー,と思いました。まあ,こういうことに文句を言うのは間違いかもしれません。『眠れる森の美女』でも主演したそうですが,きっと愛らしく華やかなオーロラだったでしょうねー。

 

オリガは,29日のオサチェンコはちょっと口が大きめのファニーフェイスで愛矯があり,軽はずみなことをしでかすのがよく似合う感じ。カンの落ち着いた雰囲気との対照もよく出ていました。それから彼女は,足の甲がよく出ていて,踊りがきれいですね〜。
30日のメイソンはおとなしげで賢そう。そういう少女がオネーギンと・・・という意外感がよかったです。

レンスキーですが・・・この人,なんつーか,どうしようもない馬鹿ですなー。
オネーギンも悪いし,オリガも愚かだと思いますが,タチヤーナとオリガと2人がかりであんな風に引き止めて,オネーギンも1度は決闘を止めようと申し出ているのに,なんだってまああんなことに・・・。

って,そんなこと言っていてはバレエが成立しないので,ダンサーの話に行きますが・・・29日のラドメイカーは,「これぞ王子」だという前評判で期待し過ぎました。髪が硬めなのか? ヘアスタイルに違和感があって(ひらたく言えば,金髪のカツラみたいに見えた)そんなに美男か? でしたし,踊りが不安定でピルエットをする度に首を傾げました。とはいえ,「王子」とはほど遠い垢抜けない踊りがレンスキーにふさわしかったかも。(←もちろん貶してます) あ,2幕は1幕より安定していてほっとしました。

翌日のザイツェフはよかったです〜。
身長が高くないのが珠に瑕ですが(バランキエヴィッチと一緒に配するキャスティングが悪いのかも)踊りは上手だし,「いい人」オーラが出ていて「すかした色男」オネーギンとの対照がよく出ていました。でありながら,決闘の前のソロでは,上体ののけぞり方などでの陶酔感は一入で,「そんな踊りを踊ってる場合じゃなかろーに。まったく愚かなやっちゃなー」といらいらさせてくれて,とってもよかったです。(←心から誉めてます)

29日のグレーミン公爵はペテネッラ。長身でそれなりの存在感はありましたが,準ソリストという地位が頷ける程度の頼もしさでしたし,妻に対する態度には少々隔てがある感じもあり,翌日のレイリーの「理想の夫」像に比べると・・・という印象でした。
でも,日をおいてこうして感想を書きながら思ったのですが・・・彼もレイリー@オネーギンと同じくらい,あの日の舞台を感動的にするのに貢献していたのかもしれません。「理想の夫」ではないからこそ,オネーギンを前にしたときのタチヤーナの惑乱はより大きくなり,それでもなお夫を選ぶという行為がよりドラマチックに感じられたのではないか,と。
ベテネッラが意図してそういうグレーミンを演じていたのか,リフトなどに(レイリーに比べると)少々スムーズさが欠けるという技術的な問題からそう見えたのかはわかりませんが・・・。

コール・ドには強い印象はありません。特に誉めたいこともなかったですが,文句を言う要素もなく。この作品を上演するのにふさわしいアンサンブルだったのだと思います。

 

全体としては,クランコの代表作を本家シュツットガルト・バレエで見ることができて満足しました。次回は,別のクランコ作品を見てみたいものです。『じゃじゃ馬馴らし』だけは遠慮するけどー)

ダンサーについては,「お名前はかねがね」だったスー・ジン・カンを(それも,タチヤーナで!)見られたのが最も嬉しかったです。(なんで最初からキャスティングしなかったんですかね?) 
それから,アイシュヴァルトとレイリーというすてきなダンサーを知ることができたのも収穫。(特に,レイリーのリフト上手には感嘆! 彼こそ,サポートの名手リチャード・クラガンの後継者かも?)

このバレエ団の日程はどういうわけかいつも私に不都合で,前回は全然見られなかったし,その前のマラーホフのロミオも見られなかったし・・・で残念なことが多いのですが,次回は,もっとたくさん見られるとよいなー。

(2009.01.08)

 

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