ドナウの娘(東京バレエ団)

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2006年11月18日(日) 

東京文化会館

 

台本: ユジェーヌ・デスマール フィリッポ・タリオーニ

振付・改訂: ピエール・ラコット(フィリッポ・タリオーニの作品に基づく)

音楽: アドルフ・アダン     音楽編曲・台本改訂: ピエール・ラコット マリオ・ボワ  

装置・衣裳: ピエール・ラコット(フィリッポ・タリオーニの作品に基づく)

指揮: アレクサンドル・ソトニコフ     演奏: 東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団

フルール・デ・シャン(ドナウの娘): 斎藤友佳理     ルドルフ: 木村和夫

ドナウの女王: 井脇幸江     男爵: 大嶋正樹     母親: 橘静子     伝令官: 平野玲

男爵とのパ・ド・サンク
第1ヴァリエーション: 高村純子   第2ヴァリエーション: 長谷川智佳子   第3ヴァリエーション: 西村真由美   第4ヴァリエーション: 小出領子

フルール・デ・シャンの4人の友人: 乾友子, 高木綾, 奈良春夏, 吉川留衣

 

牧歌的というか,脳天気というか,脱力系というか・・・な作品でありました。

音楽が『ジゼル』に似ていて,演出や振付も似ているところが非常に多い。
復元してみたらそうだったのか,ラコットが似せて作ったのかはわかりませんが・・・ルドルフがヒラリオンのように小さな花をフルール・デ・シャンの家の外壁にかけるところから始まって,村人たちが十字型を形作るフォーメーション(『ジゼル』だと全員で大きいのを作るが,この作品は小さいのが4つ),フルール・デ・シャンが男爵に許しを乞うシーンの哀切さはジゼルの狂乱シーンを思い起こさせるものがあり,恋敵に切りかかろうとして止められるルドルフはアルブレヒトのよう,水底のオンディーヌたちが舞台奥から放射状に広がって上体を後ろに反らす動きはウイリーたちとそっくり,等々。既視感に溢れた舞台。
でも,見終わったときの後味(充実感?)が全然違うのですよね。もちろん,悲劇とハッピーエンドの違いはあるでしょうが,むしろ「だからこそ,あっちは現代でも盛んに上演されて,こっちはせっかく復元されても特に評判にならないまま30年が過ぎたのであろうなあ」という感じがしました。

 

最大の問題点は,ストーリーが現代人には共感しにくいことではないでしょうか。
なんと申しましょうか・・・主役の2人が「なんつー人騒がせな」と呆れてしまうような人たちなのですよね。

フルール・デ・シャンのほうは,男爵が嫁選びするから村娘もお城に来るようにというお触れが出ると,恋人が止めているのに「だって,私もお城に行ってみたいもん」と言い張るワガママ娘。あげくは(あえてどぎつい用語を使いますが)「びっこで白痴のふりをすれば選ばれないから大丈夫♪」だそうで,それを聞いたルドルフのほうも「そうか! 君は賢いね!」なんて納得する。アホかいな。心配ならもっと真剣に止めろよ。

実際には,お城の中でそういう振る舞いをしたことにより男爵の注意を引いてしまうわけですが・・・そもそも,創作当時や蘇演された30年前はともかく,現代において「障害者は嫁取りの対象外」的な設定の話を上演していいものでしょうかねえ? いや,例えば,男爵が家まで押しかけてきて強引に迫るのを逃れるために窮余の一策で・・・みたいな話であればともかく,「でもでも お城に行きたいのよぉ」で障害者の真似をするというのはいささか・・・。
しかも,斎藤さんは脚をひきずっての踊りがものすごく上手い上に,実に楽しげなんですよね。「いいのかなー? 怒る方もいるんじゃないかなー?」と気が揉めましたし,心理的に引っかかるものがあって,楽しめませんでした。

さらに,私にとってはここが一番「なんじゃこりゃ?」だったのですが・・・この2人ときたら,男爵があっちのほうを見ている隙に,いきなり抱き合ったり,ラブラブで踊ったりするのですわ。それも,何回も。2人とも命令で無理やり連れてこられて思いがけず再会した・・・とかならわかりますが,相思相愛で毎日のように会っているのでしょうに,なぜこのような局面で危険を冒して抱き合わねばならないのでしょーか?
しかも,ルドルフさんという方は男爵の従者だという設定なんですよねえ。いわばお仕事中の身なわけで,主人の目を盗んで女性(しかも,一応主人の花嫁候補の1人)といちゃいちゃするなど言語道断。見つかったら,それだけで打ち首になりかねないと思うんですけれどねえ。

で,男爵は,どういうわけかフルール・デ・シャンを選び,ルドルフは捕えられ,進退きわまったフルール・デ・シャンは身投げ,ルドルフは従卒を振り切って遁走。(ここで幕)
2幕になって,男爵たちが川辺に倒れたルドルフを発見,男爵は自ら従者を抱き起こす。よいご主人様ですよね〜。なのに,ルドルフときたら,おいおい,優しい主人に切りかかるなよ。信じられない不忠者だね,この人。(それなのにルドルフが身投げしたのを嘆いてくれる男爵は,信じられない人格者)

さらに,水底での場面が暢気きわまりない。
事前にあらすじを読んだ感じとして,冥界からエウリディーチェを取り戻す・・・ほどではないにしても,それなりの困難克服を予想していたところが,女王様は早速快くフルール・デ・シャンを見せてくれるし,「この中から見分けられたら」と言いながらも,最後は自らフルール・デ・シャンを伴って現れるという親切さ。
戦闘はリラの精に任せてキスだけする英国系デジレ王子なみのラクラクぶりでございましたわ。
(この点については,あとから原作(台本)を読んだところ,入水する際にフルール・デ・シャンが残していった「青い小さな花」をルドルフが手に持っていて,それにただ1人反応したオンディーヌだったから見分けられた・・・というたいへん納得のいく顛末でしたが,ラコットはどういうわけかそれは採用しなかったみたいです。それとも私が見逃したのかしらん?)

・・・というわけで,なんか釈然としないんですけどー。
男爵がガマーシュとか,せめて『バヤデルカ』の大僧正的に描かれていれば,それなりに納得して見られたかもしれませんが,全然そうでなくて立派な人なのよね〜。いや,「立派な人」であっても,キャラクテールな髭面のおじさんだったら,それなりに納得して見られたかもしれませんが,全然そうでなくてすてきな二枚目なのよね〜。せめて最後に地上に戻って,2人が生き延びたのを喜んだ男爵に結婚を許してもらって・・・という段取りがあれば,なんとなく気分が落ち着いたかもしれませんが,そういう配慮もないのよね〜。

 

あとからいろいろ考えてみて,私としては一応納得しました。
つまり・・・フルール・デ・シャンというのは川岸の捨て子だったそうですから,たぶん人間ではなくて,そもそも川の妖精なのでしょう。だからこそ,冒頭からドナウの女王が気にかけてくれるに違いない。
「無垢な村娘」の「無垢」というのはそういう種類のもので・・・人間だと思って見ると,「ぶっ飛んでる」ように見えてしまう。『ラ・シルフィード』で結婚式の場から新郎を拉致するシルフと共通する,自分の欲望に忠実な,一種の魔物なのだろうと思います。

そして,斎藤さんは,そういう存在になるのがほんとうに上手なのですよね。思慮や分別などカケラもなく,「子どものように純粋」どころか「幼児のように自分本位」と言いたいような感情表現。ルドルフに夢中で,舞踏会には行ってみたくて,城内で恋人を見るとがまんできなくて駆け寄って,水底で恋人に再会すれば,もう嬉しくて嬉しくて・・・。
感情移入は到底できないのですが,すばらしい個性というか表現力というか・・・だと思います。

木村さんのほうは,それに比べると無理がある感じでした。
常識も責任感もありそうなので,聞き分けのない恋人に唯々諾々として従うのが不思議な感じ。もちろん「恋してるから」なのでしょうが,うーむ,この方って「幸福感」が漂わないダンサーだと思いませんか? 「恋に夢中」を演じているのはわかるのですが,イマイチ説得力が・・・。
1幕後半から2幕前半にかけてのシリアスなところは悪くないのですよね。でも,冒頭の幸せいっぱい〜シーンなんかは板についていないというか,居心地悪そうに見えるというか。
それから,最後にフルール・デ・シャンを取り戻して,幸せいっぱいで踊っているはずなのに,何故にいつまでも「恋しい人を必死で求める」表現を見せていたのでしょうかね? 斎藤さんのほうは満面笑顔だし,周りの妖精たちもにこやか・楽しげに踊っている中で一人だけアルブレヒトみたいな表情で踊っていて,非常に違和感がありました。

踊りはとてもよかったです〜。
山ほどあった細かい脚技系のパが明確に見えるし,跳躍が高くて浮遊感もある。ソロの決めポーズは余裕をもってきれいに決まるし,2回ほど出てくる跪いて両手を広げての「愛しい人に会わせてください」ポーズは「おお,美しー♪」でしたし。最後のほうのトゥール・ザン・レールが決まらなかったのだけが惜しかったけれど,見事な踊りでありました。
でも,もしかしてサポートは苦手なのかな? 2幕後半を見ていて,リフトが弱いように思いました。後半だから疲れが出たとか,斎藤さんと身長差がありすぎるとか,かもしれませんが。

斎藤さんの踊りは湿度が高いし(ひらたく言えば,動きの速度とは別の話として,もったり〜感がつきまとう),上半身の動きがきれいに見えないので,私の好みではありません。
が,しかし,すばらしかったと思います。ラコットだからなのかタリオーニだからなのかよくわかりませんが,多種多様な細やかな足の動きが盛り込まれているのですが,そのすべてを見事にこなして,とても自然。この作品100回以上踊ってるんじゃ? 毎日踊ってるんじゃ? 的な自然さで,いたく感心いたしました。トウの音も全くしません。
上半身のほうも,(しつこいようだがきれいには見えないが)1幕は人間,2幕は妖精,という踊り分けが見事。2幕の最初,河畔で倒れ伏すルドルフの夢の中にフルール・デ・シャン(の幻影?)が出てきて・・・という静謐な場面があるのですが,腕の動きを見て「この世のものではない」存在になったのがはっきりと見えました。
うん,熟練の芸。見事だったと思います。

 

大嶋さんの男爵はすてきでした。
この方は身長が足りないし,プロポーションもあまりよくないと思いますが,それに代わるお顔のよさと色気とテクニックがあるのよね〜。
・・・と思っていたのですが,テクニックは期待ほどでなかった感じ。振付がきれいに見えにくかったせいもあるとは思いますし,木村さんがたいへん上手だったのでワリを喰った? ということもあるのかも。

お顔と色気は期待どおり。
そして,特に期待していなかった要素「けっこうノーブルなんだわ〜」という大きな発見がありました。(ベジャール以外では,『ジゼル』のペザントと『白鳥の湖』の道化くらいしか見ていないので,そういうことに気づく機会がなかったのであろう)
気品がある,とまでは言いませんが,立ち居振舞いに落ち着きがあるし,ちょっとした手の使い方などもちゃんと偉い人に見える。「この娘は頭が弱いんです。男爵様がお気にかけるような者では」なんて騙しにかかる(?)ルドルフを制する仕種とか,川辺で倒れているルドルフを起こそうとする伝令官を制するところなどが,いかにも身分ある主人の振舞い。(木村さんや平野さんのほうが背が高いのに,そう見えるのって立派だと思う)
花嫁選びで首を横に振る様子も,フルール・デ・シャンを指名する様子も,威厳あるお貴族さまでありました。

そして,色気の話の延長になりますが・・・物憂げというか翳がある風情というか・・・「なぜかアンニュイ」な雰囲気がありました。そして,そういう個性が,「とにかく美しい娘を嫁にしたい」という「なんだかなー」な発想と「頭が弱く足が悪い娘を選ぶ」という行動には「なにか深い理由があるのであろうなぁ」と思わせる効果を上げていたと思います。
もっとも,そういう効果がこの脳天気な作品をいっそう楽しめるものにするのに貢献していたか? は大いに疑問なわけです。「男爵さまがお気の毒。いったいルドルフってどういう従者よっ(怒)」感を強めて,後味を悪くするほうに働いた気はします。
でも,すてきだったからいいわね〜。

 

井脇さんのドナウの女王は,優しそうなのがよかったですが,女王にしては地味な感じに思われました。辺りをはらう貫禄とか母性的とか,そういうありがたみが足りないような?(振付の問題かもしれませんが)
パ・ド・サンクに出た4人は,皆さん上手で,安心して見られる感じ。特に,第3ヴァリアシオンを踊った西村さんの浮遊感ある跳躍と振付をきちんと咀嚼できている感じの踊りがよかったと思います。

コール・ド・バレエですが・・・1幕の村人たちが出てきたとき,あまりにも男性陣が小柄で,プロポーションも悪く見えて,ショックを受けました。(東バの男性陣は日本一だと認識していたのですが・・・これなら新国のほうが見た目はずっと上) とはいえ,踊りとしては上手なわけです。小柄なせいか子どもっぽく見えてはしまいましたが,男女とも楽しげな雰囲気があって,よかったと思います。
2幕のオンディーヌたちも問題ありません。『ラ・シルフィード』もレパートリーにしているから,タリオーニ〜ラコット振付に馴染んでいるのでしょう,幻想的とまでは言いませんが,揃った動きできれいでした。

一方,貴族の皆さんはかなりキツイ。
男女とも立ち居振舞いが貴族になっていない上に,主に男性には,バレエ的たたずまいでない方も散見。
古典専門のカンパニーではないし,総勢で80人くらい舞台上にいたような気がするので,人数を揃えただけで立派と考えるべきかもしれませんが・・・うーむ。今回は,作品の内容もシリアスではないし,そもそも男爵程度の家柄だから,ほのぼの庶民的宮廷に見えるのも悪くはないですが,例えば『眠れる森の美女』だったらかなり問題であろう,という感じでありました。

それから,一部の男性のヘアスタイルと髭が,非常に不愉快でした。
ベジャールだったら個性的でよいのでしょうが,昔からあるバレエを上演するときには,見た目の「お約束」というものがあるのでは? 現代的なかっこよさを追求するヘアスタイルやあごひげなどは,勘弁してほしいです。
それをよしとしているバレエ団(というより,ラコット?)の見識を疑ってしまいますよ。ぷんぷん。

 

装置はきれいでよかったです。(男爵さまにしては立派なお城でしたね〜)
そうそう,皆さんに不評の日本語の字幕ですが・・・楽しくていいんじゃない? たしかに笑いたくはなったけれど,作品全体が暢気だから,笑って悪くもないですよね?

衣裳は,なるほどー,ロシアに発注するとこうなるよねー,深みのない色遣いだよねー,無駄に「本格的」豪華を追求しないから踊りやすそうでいいよねー,という感じ。
デザインなどは,女性は概ねきれいでしたが,男性はひどかったなぁ。ルドルフは,「男爵の従者程度の地位」と「主役だから優遇」を折衷するとこれくらいかな? なデザインだったと思いますが,あとの方はなんか・・・。
男爵のマントはアニメの敵艦隊長官みたいだし,伝令官もアニメの敵軍曹みたいだし,村人たちは↑で書いたようにプロポーションを悪く見せるデザインだし,宮中の皆さんは控えめながらカボチャ型ブルマーだし・・・。

 

振付は,ソロは「たいへんそうなわりに見栄えがしない」感じ。同じ脚捌き系でも,ブルノンヴィルに比べてタリオーニ〜ラコットというのは,「労力の割に実り少ない」気がします。
コール・ドのフォーメーションは,動かし方のヴァリエーションがもう少しほしい気がしましたが,これは2階より上から見ないと,ほんとのところはわかりませんね。

演出・構成については,よかったとは思えません。
男爵が川面を眺める一方で,フルール・デ・シャンとルドルフが抱き合って,間を村人たちが隠して・・・というシーンの繰り返しなどは,(一種のドタバタ喜劇ですよねー)たいへん楽しかったのですが,総じて,各場面が「単調で長い」感じがしました。
最初のフルール・デ・シャンとルドルフがラブラブな場面も長いし,そのあと村人が出てきて踊るのもけっこう長い。舞踏会の踊りもかなり長いし,最後に主役2人が地上に戻れることになってから,延々と白い場面が続いたのには,完全に飽きました。(おまけに,2人? の人形? が舞台上方に上っていって舞台が終わる,という唐突さ)

特に,最後の場面は長すぎると思いました。単に長いのが問題というより,「めでたしめでたし」を水底で踊るという設定に無理があるように思います。フルール・デ・シャンを取り戻したあとは,女王に丁重にあいさつしてさっさと地上に戻って,地上のコールド(村人たち)と踊れば,「長い」感が減るし,話もおさまっていいのでは?(2人が生き返ったのを見たお母さんは喜びの涙を流し,男爵様一行も現れて,2人の結婚を許可し祝福してくれる・・・などがあれば,なおよい)

うーむ,私のような素人でさえ思いつくのに,なんだってラコットは,あんな中途半端なラストを選んだのでしょうねえ?(謎)

(2007.1.06)

  

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