ジゼル(松山バレエ団)

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06年5月3日(水・祝)

オーチャードホール

 

作曲: アドルフ・アダン

台本・構成・演出・振付: 清水哲太郎

舞台美術: 川口直次    照明デザイン: 外崎俊彦,古川毅志    衣裳デザイン: 森田友子, 清水哲太郎

指揮: 河合尚市    演奏: 東京ニューフィルハーモニック管弦楽団

ジゼル: 森下洋子    アルブレヒト公爵: 清水哲太郎

ムッシュ・ヒラリオン: 鄭一鳴    ミルタ: 倉田浩子

ベルタ: 大胡しづ子    デジデーリウス・エラスムス: 橋本達八    ウィルフレッド伯爵: 大場泰正

バイエルン選帝侯国クーランド2世公: 桜井博康    皇女バチルド姫: 吉田昭子

ぺザント パ・ド・カトル: 平元久美, 久保阿紀, 鈴木正彦, 石井瑠威

パ・ド・シス: 山川晶子, 佐藤明美, 小菅紀子, 鎌田美香, 熊野文香, 鎌田真理子

アテンダント(ドゥ・ヴィリー) モイナ: 小菅紀子    ズルマ: 鎌田真理子

 

松山バレエ団のレパートリーは演出家である清水さんの「こだわり」が大きな特徴であるわけで,それは十分知っていたつもりだったのですが・・・今回はいつも以上に徹底しておりまして・・・圧倒されたというか呆れかえったというか。

今回の「こだわり」は,舞台の上にではなくプログラムの中に発揮されておりました。長大重厚なる「プロダクションノート」なるものが載っていて,これがまー,実に,実に,労作。
『ジゼル』という物語についての特異な解釈が詳細に述べられ,背景や人物設定も微に入り細に入り記されておりました。

解釈のほうですが・・・【 】の中は引用です。
【この「ジゼル」という作品において、まず基本として考えなくてはならないのは「ジゼル」はビュルテンベルク地方という環境の“公器”であるということです。】と説き起こし、【この後アルブレヒトとその家族たるビュルテンベルク地方の人々は、数々の飢饉やら宗教改革の波、科学革命、絶対王政、30年戦争を経て、近代という啓蒙の時代へと逞しい歩を進めてゆくのです。ジゼルというたった1人の存在から始まった“感動”が幾千、幾百万という多くの生きるものに、善の影響を長い歴史上顕し続けていった物語です。己から始まる歴史を、人間は創り続けてきました】と結ぶ。
すごい。とにかくすごい。壮大というかなんというか。

人物設定も、かなりのものがありました。

まず,アルブレヒトは,ビュルテンブルク侯国フリードリヒ公爵の長男アルブレヒト公(男2人,女1人の3人兄弟の長男なんですって。弟妹が登場するのかと思ってしまいましたよ。わはは)なのだそうで,開明的(ルネッサンス的?)な人間だということになっておりました。
ウィルフレッドは友人の伯爵で,さらに,世界史の教科書に登場する人文学者デジデーリウス・エラスムスがアルブレヒトの教育に携わっているという設定も。(調べたところ,エラスムスはネーデルランドの人らしいですが・・・特に乞うて来ていただいた,ということなのでしょうかね?)

ジゼルに関しては,お父さんはシュマルカルデン戦争(合ってるんだかどうか判断する知識がないが,綿密な時代考証ですなー)に傭兵として参加して行方不明になったという説明がありました。
現在はお母さんと「糸紡ぎ工場兼ブドウ畑管理小屋」に住み込み勤務していて,ジゼルは「糸紡ぎ,ブドウ収穫器具磨き,はたおり,ブドウ収穫計算,ブドウ品質管理,ブドウ新種研究,羊毛生産管理など」に立派な成績をおさめているとのこと。(収穫計算! 品質管理! 新種研究! 生産管理! お母さんは農婦ではないよなー,村の中ではいい家なんだろうなー,と思ってはいましたが,ははー,そうでしたか)

クーランド公とバチルダは「バイエルン選帝侯国クーランド2世公と皇女バチルド姫」になっておりました。(侯? 公? 皇?)
そしてヒラリオンは,役名が「ムッシュ・ヒラリオン」となっておりまして,遠い昔のフランス移民の家系で(この設定になんの意味が?),当地の代官に取り入り,黒い森の森番の頭として働いているのだそうです。

アルブレヒトとジゼルの関係については,ロイス(アルブレヒト)は,昼間はジゼルの仕事を積極的に手伝っており,近隣の人々公認の仲である,ということになっておりました。また,エラスムスは,この行動に困惑するものの,帝王学として「民を知れ」などと訓導してきたので,無下に止め立てもできないのだそうで。(わはは,なるほどー)

 

というふうに,たいへんたいへん面白く読んだのですが,このような解釈が上演から伝わってきたか? このような人物設定に意味があると思えたか? と言えば,全然そんなことはありませんでした。
全体として,ごく普通の『ジゼル』で・・・私としては普通で全然差し支えないのではありますが・・・首を捻ってしまいましたよ。

唯一「お,珍しい」だったのは,デジデーリウス・エラスムスが登場することでしたが,それによって作品の内容が変わったとは思えません。
エラスムスというのは杖をついたおじいさんでしたが,要するに,1幕冒頭でウィルフレッドと二人がかりでアルブレヒトの行動を止めようとし,狂乱シーンではウィルフレッドと二人がかりでジゼルに駆け寄ろうとするアルブレヒトを止めようとし,最後はウィルフレッドと二人がかりでアルブレヒトを舞台から連れ去ろうとする・・・という役でした。
私には,従者が老若二人になったようにしか見えず・・・意味のある改訂とは思えませんなー。(従者が2人いて悪いわけではないから,これでもいいですけどー)

 

森下さんの1幕は,「ジゼルは,かくあるべし」という感じでした。
愛らしくて,慎ましやかで,明るく素直そう。最初に小屋から出てきたときには,「なんという明るい愛らしさ!」と感嘆しました。

跳躍はもちろん低いし,難しいことはしません。
たとえばヴァリアシオンの最後,片脚ポアントでもう一方の脚を膝から曲げて足先を細かく動かしながら斜め前に進んでくるところなどは,振付も変えてありました。でも,その変えた動きがとてもきれいで,軽やかで,音楽的。「あら,このほうがジゼルらしくていいかも」と思ってしまうくらい自然で効果的。

そして,腕が雄弁。
そもそも小柄な割りに腕が長くて手も大きいダンサーだと思いますが,その腕や手が,いろいろなポーズを見せたり,スカートの裾をつまんだり,「踊る」というマイムをしたり・・・すると,いかにもジゼルらしい。というか,誰もが好ましく思うであろうジゼルの人柄がその腕や手の動きに現れる・・・という印象を受けました。

狂乱シーンについては,3年前に見たときに「すごく静かで・・・楽しい恋の想い出をいとおしむような表現で,とても哀しくて,とても同情できました。死の瞬間も静かで,生命の炎がだんだん小さくなっていってついに消えてしまう感じというか・・・。」と書いたのですが,今回もそういう印象。

2幕もすてきでした。
やはり年齢的なことはあるのでしょう,登場シーンでの回転などは動き(ポーズというか身体の態勢というか)が変えてあったりはするし,脚も上がらなくなっているのですが,清水さんのサポートの力もあって浮遊感はたっぷりですし,腕と上半身で作り出す動きがとてもきれいですし,音楽の見せ方も効果的ですし。

優しくて,悲しくて,でも,なんだか穏やかなウイリーで・・・純粋な精神性がそこにある,という感じがしました。ウイリーというより「浄化された魂」でしょうか?
やはり「ジゼルは,かくあるべし」であったと思います。

 

清水さんのアルブレヒトは,3年前は「貴族の火遊び」に見えたのですが,今回は「若者の純愛」でありました。
前回は,幕が開くやいなや一人で走り込んできて,エラソーの極致で舞台中央でポーズをたーっぷりと見せていたのですが,今回はさらに早く登場して(前奏曲の途中で幕が開いた),自分の小屋の陰で「あそこに愛しい人がいる」という雰囲気を見せたり,ジゼルの小屋の前で「心から思っている」演技を行ったりしておりました。

そして,とにかく若々しい。
追いかけてきたウィルフレッドとエラスムスを追い払う様子など,一般的な「去るよう命ずる」ではなく「だって,好きなんだもん。ね,いいだろ?」という無邪気さに二人のほうが負けてしまう感じ。花占いの工作も,母親がジゼルを家に入れてしまうときの引き止め方も,白いタイツの似合い方も,まー,若いこと,若いこと。
化け物ですな,この人は。(←誉めてます)

そういえば,母親の命令で家に入る直前の森下さんも,軽やかに「母親の腕の下をかいくぐって」なんか見せておりまして,いやはや感心いたしました。この二人でこんな「馬鹿ップル」を見せられるとは思わなかったわ〜。(←これも誉めてます)

狂乱シーンでのアルブレヒトは,ウイルフリッド(やエラスムス)の肩にすがったりすることはなく,「ジゼルに正面から向き合っている」という感じを受けました。
まあ,自分で演出しているから,いい役になっている・・・という面はあるでしょうね。ジゼルが剣を手にしたときにそれを奪い取るのもアルブレヒトになっているし,最後は連れ去られそうになるのを振り切って,死んだジゼルのもとに戻ってくるし。

関連した感想。
今回のヒラリオンは,3年前より「悪役」然としておりました。公演後2月ほど経って書いているのではっきり覚えていませんが,「あれ? 前と違う?」というところがあったのです。ヒラリオン役は違うダンサーでしたが,役作りによる違いではなく演出が変わったのだ思います。
プロダクションノートを読むと「ウイリーたちの裁きで,ヒラリオンは死に,アルブレヒトは生き延びるに値する人物として許された」らしいので,この描き方には理由があるのでしょうが・・・「清水さんったら,自分の役だけ美化しちゃって,ヒラリオンはこう扱うんですか。そうですか」という気分にはなってしまいましたよ。

さて,2幕の登場シーンでは,アルブレヒトは実にゆっくりと歩いてきます。この清水さんは,それはもうノーブル。
エレガントだともきれいだとも思いませんが,とにかく私の知る限り,「立っている」とか「歩いている」という面において,この方以上にノーブルな日本人ダンサーはいません。この方の全盛期(30代)以上にノーブルですし,現時点において,日本一ノーブルだと思います。
それはもちろん,長年の修練の賜物でしょうし・・・もしかすると,プロダクションノートに見られるような「・・・宗教入ってる?」感じも,このノーブルさにつながっているのかもしれません。

踊りについては言いますまい。(年齢を考えればすばらしく立派)
サポートは「見事」の一語。3年前のような「うわ,神業」ではなかったですが,すばらしかったです。それだけで見る価値がある,と思いました。
表現的には,たぶん「ジゼルによって新しい生命を与えられた」解釈なのでしょうね,静かに中空を見つめたまま幕となりました。

 

その他印象的だったこと。

1幕は,舞台上が混雑の極みでした。このバレエ団では常態ですが,私の好みではありませんー。
ちょっと珍しかったのは,踊っていないコール・ドが舞台袖などに座り込んで,葡萄→ワインの作業に従事しておりました。(樽の中に葡萄を入れてつぶす,など) おお,プロダクションノートの言う【収穫されたブドウから高品質なワインが生産され】を見せているわけですね〜。
というわけで,興味深くはありますが,これも混雑の一因ではあるわけで。

バチルドの描き方に特徴があったかもしれません。
これくらい徹底して「いい人」な演出も珍しいのではないかなー。上品ではあるけれどお高く止まっていたりしない。鷹揚で親切そうで思いやりと落ち着きがあって,地方領主の奥方になるのにふさわしい人柄に見えました。そして,心からジゼルの悲劇に心動かされているような振る舞いで。

2幕はさすがに舞台上もすっきり。そして,ウイリーたちがすばらしかったです。
どういうわけか「きれい」という感じはしませんでしたが,まさに「一糸乱れぬ」だと思いますね,それはもう見事な揃い方。全員同じ感じの無表情で怖さもあり,見事だったと思います。

ミルタの倉田さんもとてもよかった。
ウイリーたちを率いる威厳も冷然たる怖さも十分。それから,実はちょっと意外だったのですが,彼女は腕が長くてシルエットがきれいですね〜。ウイリー衣裳がとても似合いますね〜。(今までも何回も見ている方なのに,なぜ気付かなかったのだろう?)

 

全体としては・・・よかったですよ〜。
森下さんも清水さんも,今も踊る意味があるし,見る価値があるダンサーだよなー,と改めて思った舞台でした。

(2006.7.9)

 

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