ア・ビアント(牧阿佐美バレヱ団)

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06年3月18日(土)

オーチャードホール

 

振付: レオニード・ラブロフスキー(ボリショイ劇場版J.コラーリ,J.ペロー,M.プティパの原振付による)
改訂振付(パ・ド・ユイット): ウラジーミル・ワシリーエフ 

原作: 島田雅彦

作曲: 三枝成彰

演出・振付: 牧阿佐美    振付: 三谷恭三 ドミニク・ウォルシュ

美術: ルイザ・スピナテッリ     照明: 沢田祐二

指揮: 堤俊作     管弦楽: ロイヤルメトロポリタン管弦楽団

カナヤ: 吉田都   リヤム: ロバート・テューズリー   冥界の女王: 草刈民代

【プロローグ】

友人: 佐藤朱実 笠井裕子 京當侑一籠 ムラット・ベルキン

【1幕1場 森】

森の妖精: 橘るみ
櫛方麻未 飯野若葉 奥田さやか 小橋美矢子 関友紀子 又吉加奈子 藤原まどか 大野智子 日高有梨 今井真彌子 金森由里子 小塚悠奈

狩人: 徳永太一 今勇也 中島哲也 高木裕次 澤田展生 柄本武尊

サル:伊藤隆仁   キツネ:細野生   シカ:石田亮一   クマ:塚田渉   ヒツジ:武藤顕三   カエル:邵智羽   鳥:伊藤友季子   蝶:青山季可 小松見帆   オウム:竹下陽子 森脇友有里   子ギツネ:島田沙羅   子ザル:西龍太朗

【1幕2場 冥界】

死者たち:
坂西麻美 橋本尚美 神部ゆみ子 千歳美智子
柄本奈美 加藤裕美 坂梨仁美 山中真紀子 杉本直央 佐々木可奈子 坂本春香 田中若子
塚田渉 菊地研 小笠原一真 柄本武尊

【1幕3場 池のほとり】

少年: 山田翔

【1幕4場 求婚の祭】

群集:
青山季可 伊藤友季子 中島哲也 佐々木淳史
奥田さやか 小橋美矢子 貝原愛 竹下陽子 藤原まどか 大野智子 日高有梨 海寳暁子 佐々木可奈子 坂本春香
秋山聡 武藤顕三 笠原崇広 依田俊之 坂爪智来 石田亮一 高木裕次 澤田展生 藤井学 清瀧千晴

誘惑する女: さいとう美帆 坂西麻美

白い男: マイレン・トレウバエフ    黒い男: アルタンフヤグ・ドゥガラー

ボレロ: 塚田渉 京當侑一籠 ムラット・ベルキン 菊地研 邵智羽 今勇也

【1幕5場 2度と戻れぬ街】

門番: 保坂アントン慶
塚田渉 京當侑一籠 ムラット・ベルキン 菊地研 邵智羽 今勇也

市民たち: 秋山聡 武藤顕三 中島哲也 高木裕次 佐々木淳史 清瀧千晴

【2幕1場 砂漠】

老いた王: 森田健太郎   若き日の王: 小嶋直也   王の娘: 佐藤朱実

【2幕2場 無法地帯と化した街】

娼婦(王の娘): 佐藤朱実   娼婦: 橋本尚美 吉岡まな美   警備: マイレン・トレウバエフ 菊地研 ムラット・ベルキン

巫女たち:
伊藤友季子 さいとう美帆 橘るみ 奥田さやか 神部ゆみ子 小橋美矢子 竹下陽子 小松見帆

町の人々:
武藤顕三 今勇也 細野生 高鴿 清瀧千晴 柄本武尊
館野若葉 青山季可 土岐みさき 佐々木可奈子 田中若子 千歳美香子  

 

途中までは,冗長というか,散漫というか,話を詰め込みすぎというか,盛り上がりに欠けるというか,「吉田都の無駄遣い」というか・・・な作品だなー,困ったもんだなー,と思いながら眺めていたのですが,最後は結構感動しましたし,最後のシーンでそういう心境に達するためには,そこまでの冗長というか,散漫というか(以下同文)な段取りが必要だったのかもなー,とかなり納得もしました。

幸福な家庭を築いていた男女が,男の死によって引き裂かれ,蘇った男は別の時代に生きている同じ女と出会い,愛し合い,再び男の死によって引き裂かれ,再び蘇った男は女と再会(いや,再々会)を果たし二人は愛を成就させるが,男の死によってまたも引き裂かれる。しかし,死んだ男(リヤム)が女(カナヤ)のもとを訪れ,「僕たちはまた出会うだろう,だからさよならは言わないよ」と告げる・・・という感じのストーリー。

最後のシーンというのは,舞台に一人残されたカナヤの背後に,走馬灯のように,そこまでの登場人物が現れるのですが(マノンが死に瀕するシーンなどご想起ください),それを見ていたら,「いろんなことがあったよね。でも,二人の想いは残るんだよね。想いがあればそれでいいんだよね。リヤムはそこにいるんだよね」と,至極素直に思えて,心動かされたのでした。
(なんつー殊勝な感想だ,と自分で自分に感心した)

見に行く前は,「時空を超えた愛」に環境問題を絡めた作品だと思っていたのですが,見てみたら,それと似ているけれどちょっと違っていて・・・高円宮さまに向かって「あなたは亡くなったけれど,あなたのことは忘れない。あなたは私たちとともにいる」と呼びかける作品であったのだなー,とわかりました。

成功作だとは思わないけれど,そういう方の追悼作品(ただ悲しむのではなく,遺志を生かそうという作品)なのだなーということは,とてもよくわかりましたし,追悼の気持ちは私も共有できました。
私も「あなたのことは忘れない(だから,さよならは言わないよ)」と,改めて思うことができた舞台でしたし,ほんの少しであっても,小嶋直也がこの作品に出演したのも感慨深かったです。

 

美術はすてきでした。
背景幕に森や城壁や砂漠などの映像が映し出されて,照明の変化も加わって,雄弁に場の雰囲気を表している。しかも,幻想的。特に,最初の森の背景が最後にまた現れたのがよかったな〜。
照明も,かなり凝っていました。
床面に動く模様(?)が描かれるシーンがかなりある。これに関しては,1階席だと効果が伝わってこない感じで「なんかチラチラしてるな」でしたが,2階より上だったら,すてきだったかも?

衣装は,無国籍の現代的なものでしたが,場面ごとの変化もあったし,役柄や場面の設定に合っているものが多く,色遣いも落ち着いていて,全体としてはよいと思いましたが,男性主役だけは気の毒で気の毒で・・・。

まず,基本的にずっと同じ衣装で変化に乏しい。(それは女性のほうも同じなのですが,ブルーの長めのドレスは,吉田都の愛らしさに「しっとり〜,大人〜」な雰囲気を加える効果もあって,よかったと思います)

でも,男性のほうは,青いシャツに白いスラックス,グレーのジャケット(←これはないときのほうが多かった)で・・・そうですねえ・・・アメリカの映画俳優のよう。
テューズリーは映画俳優に見えてしまいそうな世俗的美男子でもあるから,似合ってはいましたが・・・でも,身体のラインがきれいに見えにくいので,芝居の場面はともかく踊る場面で不満が高じる衣装でした。
さらに,最終的に死んだあと(←というのもなんだが,3回死んだので)カナヤを訪れるシーンでは,膨らんだ白いシーツ様のものを被っていて,それを脱いだらボックスショーツのみ。あのー,脱ぐ必然性が感じられないんですけどー?

音楽は,よくなかったのではないでしょうか。
私は,どこがシンセサイザーでどこが二胡でどこがチェロでどこが普通のオーケストラなのかわからないような観客なので,あまりどうこうは言えないのですが・・・気に入りませんでした。
NHK大河ドラマの音楽のような感じで・・・現代音楽にしてはわかりやすかったとは思いますが,「薄っぺらい」という感じ。

台本には,「それは無理だよ,島田さん」と。
結局,この作品が冗長というか散漫というか(以下同文)になったのは,この台本を忠実に伝えようとした演出・振付だからだと思わざるを得ません。

もちろん演出自体の責任もあるでしょう。特に,一場終わると暗転,次が終わるとまた暗転・・・という感じの進行で,メリハリのない場面の羅列だったのには参りましたし,「長すぎて飽きるなー」だった場面も多々。
「これをバレエで表現するのは無理だからカット」する勇気,「ここが大切だから強調する(例・1幕の最後に再会した主役に踊らせる)」発想があれば,こういうことにはならなかったと思うのですが・・・。

振付はよかったと思います。
ごく普通のバレエで奇をてらったところがなく,ダンサーの個性にもあっていて(キャスティングのほうを適材適所と誉めるべきなのかも?)楽しめるものでした。
3人名前があるので,どのような分担で,どのような作業を経てできた作品かわかりませんが,ウォルシュの功績かしら〜。

 

以下,場面を追って感想など

【プロローグ・テラス】
現代のカナヤとリヤムが幸福な家庭生活を送っている。

プロローグにしては長すぎたのでは? 
吉田都やテューズリーのファンにとってどうだったかはわかりませんが,私は既にここからして飽きました。

 

【1幕1場 森】
妖精たちが戯れ,動物たちが棲息する森に狩人が現れる。動物たちを守ろうとしたリヤムは殺され,冥界の女王によって連れ去られる。

橘るみ@森の妖精の軽やかさと愛らしさ,そしてたおやかさ♪ が,ほかの妖精たちは,総じてバタバタしておりました。
動物たちは,お面をつけていたのでよくわからないところはありましたが(お面のデザインは程よい写実性でグッド),キャスト表を見ると,「なるほどなー,そうだよねー」とちょっと笑ってしまう適材適所。振付も,カエルはカエルらしく跳ぶ,に代表される,笑ってしまう写実描写。バレエを見る楽しみとはかなり違いますが,面白かったです。

草刈@冥界の女王はよかったです〜。(これも適材適所)
彼女に合わせて振り付けてあるから,はらはらすることなく,威厳に溢れてゴージャスで美しい立ち姿を堪能しました。男性4人にリフトされての登場やマントを脱ぎ捨てる所作なども貫禄たっぷり。「おお,かっこいい!」という感じ。

 

【1幕2場 冥界】
死者たちの世界。リヤムは冥界の女王に嘆願し,竪琴とボールを与えられて現世へと戻る。

最初に死者たちが踊るのですが,ソリストたちは概ねちゃんと死んでいるものの,コール・ドはちょっと生気がありすぎかなー,と思いました。
次に草刈民代が登場。またマントを脱いだのでちょっと笑いました。(その後も登場する都度マント付きで,その都度脱ぐ段取りがあったような)
少し踊るのですが,きれいとは言いかねるので「うーむ,惜しい。踊らなければすばらしいのに」とたいへん失礼な感想が。(すみませんー)

そしてリヤムの登場となるのですが・・・演出のせいかダンサーのせいか不明ですが,「妻のもとに帰りたい」という切実さが感じられない演技なのに,いつの間にか「そこまで言うなら帰してやろう」になるので拍子抜け。(このシーンに代表されるように,全体として演出が平板なんですよねえ)

 

【1幕3場【池のほとり】
少年の姿のリヤムがカナヤの前に現れるが,彼女は彼を知らない。

ここで子役による「少年」を登場させる必要があったのかなぁ? リヤム役がそのまま演じればいいんじゃないのかなぁ? と思いました。

 

【1幕4場 求婚の祭り】
カナヤの前に三人の求婚者が現れ,カナヤは音楽を奏でるリヤムを選ぶ。彼は,共謀した他の二人に殺されるが,冥界の女王に救われる。

うううむ・・・最初に群集(12組のカップル)が踊るのですが,男性の衣裳が三つ揃いにネクタイで,似合わない方が多い。ダンサーとは思えないプロポーションの方も散見。この辺が,日本のバレエ団の最大の欠点だよなぁ,と慨嘆。
キメキメの求婚者二人も,ギャング風三つ揃いにネクタイで,こちらも似合っていないのですが・・・こちらはそれでいいのだと思います。コミカルな役回りなのでしょうから。

「誘惑する女」坂西麻美がすてきでした。好きだな〜。
続いて男性6人の踊り比べになるのですが,(ボレロ)塚田渉のバック転を初めとしてそれぞれ得意技を繰り出しての踊りで,たいへん楽しかったです。中でも,菊地研の色気と技が抜きん出ておりました。(タイツより,こういう普通っぽい衣裳のほうがすてきだわね〜)

トレウバエフ@白い男とドゥガラー@黒い男の踊り比べは,うううむ・・・今ひとつ盛り上がれませんでした。事前の評判で期待しすぎたせいもあったと思うのですが,二人とも爽快感がない踊りでした。(たぶん,スーツだから踊りにくかったのでしょう。上着は脱いでいたと思うけれど)
振付も,トレウバエフの剛とドゥガラーの柔とを,もっと対比すればいいのにぃ,と。

そして,2人が殺人に使うのがボウガン(?弓?)だったには笑いつつがっかり。コミカルな役とはいえ,これでは興ざめです。衣裳に合わせて,できればマシンガンか拳銃,それが無理なら20世紀後半風ナイフでお願いしたいものです。

というわけで,全体として見たときには,全然盛り上がれない場面でありました。
それでも見るべきものはあって・・・やはりボレロは嬉しかったし,ただ腰掛けて求婚者たちの踊りを見ている吉田都の愛らしさには感嘆しました。まるで少女だわ〜。若く見えるわ〜。すごいわ〜。

 

【1幕5場 2度と戻れぬ街】
カナヤは壁の向こうに隔てられてしまっている。リヤムは同じ境遇の市民たちとともに門番にサッカーの試合を挑み,勝利により再会を果たす。

事前にあらすじを読んだときは,「へ? サッカー???」と思ったのですが,そういえば高円宮殿下は,Jリーグやらワールドカップやらで世間一般のサッカー人気が高まるずっと前からサッカーがお好きでいらしたわけで・・・そういう面を一つのエピソードとして挿入するのはよいアイディアだなー,と思いました。(バレエも,サッカー同様に,世間一般の認知度がもっと上がるとよいですよね〜)

場面自体も楽しめました。
高い球を競り合って,ジャンプしてヘディングするのはちゃんと跳躍技になっているし,トラップしてパスするのもちゃんとステップになっている。
今まで誰もこれを思いつかなかったのは不思議だ,などとも思ったりして。

ただ,このサッカーのシーンが「愛する人を救い出すために」という雰囲気でなかったのは問題でしょうねえ。試合に夢中になってしまって,目的はそっちのけのように見えてしまう演出なり演技でありました。(ま,スポーツというものは,そういうものかもしれないが)

おまけに,最後が,「シュートが決まって門が開く。愛する人とついに出会う」という高揚感が感じられない演出で・・・盛り上がれなくて困ってしまいましたよ。
背景幕の城壁はそのまま,上手袖の奥のほうからカナヤを初めとする女性たちがわらわらと走り出してきて,幾組かのカップルが抱き合って・・・それで幕が閉まってしまう。天を仰ぎたくなるくらい「下手な演出だよなぁ」でありました。

背景の映像が変わるとか,あるいは背景幕自体が落ちてその奥に女性たちが立っているとか,それくらいやってほしいし,再会を果たした後は当然パ・ド・ドゥになるべきでしょう。6組のコール・ドとともに主役2人が愛を確かめ合う喜びに満ちたシーンを見せて,それから幕を閉めていただかないと・・・。1幕のラストなわけですから。
私のような素人でさえそれくらい思いつくのに,いったいぜんたいなんだって・・・。(とほほほほほ)

【2幕1場 砂漠】
カナヤとリヤムは旅の途中で老人と娘に出会う。老人は領国から追放された王であり,二人に樹木の再生を託す。

なんとも唐突な場面だなー,と思いました。
あらすじを熟読していたので混迷には陥りませんでしたが,なぜ人々(主役を含む)はとぼとぼ歩いているのでしょーか? 1幕の続きなわけですから,幸福そうに旅をしているのであろうと予想していのに,「こりゃ流浪の民か?」という雰囲気。
なぜそのように演出したのか理解できませんが・・・まあ,その点を別にすれば,贅沢なキャスティングによる,よいシーンでありました。

森田@老いた王は,麻布をかぶったような「さすらうリア王」という雰囲気の衣裳。失明しているという設定なのでしょうか,目隠しまでした姿なのですが,「実はエラい人だった」という設定が納得できる存在感がありました。
佐藤朱実@王の娘は「可憐で,心優しくて,芯の強さも感じさせる」雰囲気。こういう役というのはバレエでは珍しくないわけですが,王同様に粗末な衣裳でありながら,ちゃんとそう見えるのは立派なことです。

それから,最後に草刈@冥界の女王が王を迎えに現れるですが,ここだけほかの場面と違って「敬意をもって遇する」になっているのはよい演出だな〜,と思いました。

そして,小嶋@若き日の王。
あっという間に終わってしまって悲しい気分にはなりましたが・・・うん,よかったです。

衣裳はかなーり妙なのですが(王@森田の青年時代だと説明する必要上似た感じのデザインで,踊る必要上セミロング程度になっている。しかも,前のほうが短くなっていて,裾のラインがフェミニン),こんなものを着せられて,それなりにかっこよく見えるというのは大したもんだなー,プロポーションと存在感の勝利だよなー,と。
跳躍なしで,スポットライトが当たっている狭い場所で踊る役で,踊り自体は「もちろんきれいですよ」程度でしたが,最初のうちは「少年ぽい」と言いたいような若々しさだったのが,恋と外敵への対応を経て,数分のうちに「王」に成長する物語を見せたのが見事。
ただ・・・最後に前方へと歩いてくる足取りがご立派すぎたような? (「うふ,すてきだわ〜♪」なのですが,あれでは,自分の領地から追放されていくところには見えませんわな)

 

【2幕2場 無法地帯と化した街】
カナヤとリヤムは王の娘や巫女たちのの助けを得て,荒んだ人々の間を潜り抜け,枯れた樹木へとたどりつき,再生させる。しかし,リヤムは力尽きる。

この場面の前半は,1幕4場や5場と似た感じで,「どこが無法地帯かよくわからんなー」でありました。振付や照明は変えてあったとは思いますが,衣裳の雰囲気が似すぎていたのではないかなー? 「ボレロ」も「門番」もこの場の「警備」も同じテイストだったので・・・。
中では,トレウバエフがよかったです。断然踊れるし,雰囲気もよく似合っていてかっこよかったな〜。

後半は,「巫女たち」の踊りにブラボー♪
舞台上を吹き渡る風のよう。あるいは,舞台に寄せては返す波のよう。うねりながら舞台を駆け抜け,再び登場して円を描いてまた去り,ときには,次々とアラベスク(アティチュードかも)を見せながら,あっという間に消えていく・・・。
白く長い衣裳と金の紐で結った黒い髪という簡素な衣裳もよかったし,現代バレエならではの振付だと思いましたし,終始滑らかに踊ったダンサーたちも見事。
幻想的な雰囲気を醸していてすばらしかったです。

気になったのは,リヤムの死の唐突さというか死因がわかりにくさというか・・・。
「そういう行動によって命が縮まると知りながら行う=崇高なる自己犠牲」がわかりにくい。巫女たちが樹の前に立ちはだかって,その辺りをリヤムに説いていたのでしょうが,「へ? また死んだの? なんで?」と思ってしまいました。
演出なり振付なりの手腕の問題かもしれませんが,「それをバレエで表現するのは無理」だったのかも。まあ,3回とも暴力的に殺されるのも芸がないとは思いますが・・・。

 

【2幕3場 白い部屋】
嘆き悲しむカナヤのもとへリヤムの亡霊が現れ,「僕たちはまた会うだろう」と告げる。二人は愛のパ・ド・ドゥを踊るが,リヤムはついに冥界の女王に連れ去られる。

雰囲気のあるパ・ド・ドゥでしたし,テューズリーが意外にサポートが上手で認識を改めましたが・・・半裸で踊られても困りますなー。彼の場合,こういう姿が私になんの感興も呼び起こさないという要素もあったかもしれませんが・・・うーむ,そういう問題ではない気がします。あり得ない想定ですが,かりにルジマトフやマラーホフがここで半裸になって登場しても「へ? なんで???」になったであろう唐突感。
カナヤのほうは同じ衣裳のままであったこともあり,せっかくのパ・ド・ドゥを堪能する妨げになったとしか思えません。

 

エピローグ【森のテラス】
場面は冒頭の森に戻る。カナヤのもとに,これまでの登場人物が次々と現れ,最後にリヤムも登場する。そして舞台上に1人残るカナヤ。

吉田都の表現力に感嘆しました。

愛する人と引き裂かれた痛み,追憶しないではいられない切なさ,出会いと別れという人間の営みの残酷さ,だからこそ貴重である愛する人の思い出・・・そんなものが伝わってきました。それはほとんど絶望に近いけれど,ほんの一抹だけ希望のようなものも感じられて・・・そのことが,作品のテーマを余すことなく表現していたと思います。

ここまでも,「なにをやってもきれいだよね〜。ちょっとした仕種も,ただ舞台上に倒れ伏している姿も,全部バレエになっているのよね〜」と思いながら見ていたのですが,この場面での表現力というのは,初めて知った彼女の一面。
古典バレエの主役や愛らしい娘さんの役や音楽を見せる抽象バレエではなく,大人っぽい役,表現力こそが求められるバレエも見事なのだな〜,とわかったのが,大きな収穫でした。

それにしても,回想シーンの最後に登場したテューズリーが,再び膨らんだシーツ(?)を着せられていたのは気の毒でありました。(ま,半裸よりはマシかもしれないが)

 

というふうに書いてみると,かなり文句を言いたくなる作品だったなー,と改めて思うわけですが・・・なんだかんだ言って,見られてよかったです。
ストーリーも音楽も全く新しい全幕ものの現代バレエというのは滅多に見る機会がないわけで,そういう試み(? 挑戦?)に接することにできたこと自体はよかったですし,最初に書いたように作品のテーマには共感できましたから,よしとしておきましょー。

(2006.6.5)

 

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