バヤデルカ(レニングラード国立バレエ)

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作曲:L・ミンクス

振付:M・プティパ  改訂:V・ポノマリョフ,V・チャプキアーニほか  演出・改訂振付:N・ボヤルチコフ

美術:V・オクネフ

指揮:アンドレイ・アニハーノフ     演奏: レニングラード国立歌劇場管弦楽団

    1月28日   1月29日
ニキヤ(バヤデルカ) イリーナ・ペレン オクサーナ・シェスタコワ
ソロル(騎士) ファルフ・ルジマトフ
ガムザッティ(藩主の娘) オクサーナ・シェスタコワ エレーナ・エフセーエワ
大僧正 アンドレイ・ブレグバーゼ
偶像 デニス・トルマチョフ アレクセイ・クズネツォフ
ドゥグマンタ(インドの藩主) アレクセイ・マラーホフ
マグダヴィア(苦行僧) ラシッド・マミン
奴隷 ドミトリー・シャドルーヒン イーゴリ・フィリモーノフ
インドの踊り オリガ・ポリョフコ, アンドレイ・マスロボエフ エカテリーナ・ガルネツ, マクシム・ポドショーノフ
太鼓の踊り アレクセイ・クズネツォフ デニス・トルマチョフ
マヌー(壷の踊り) ヴィクトリア・シシコワ ナタリア・リィコワ
アイヤ ナタリア・オシポワ
「幻影の場」のトリオ タチアナ・ミリツェワ, オリガ・ステパノワ, エルビラ・ハビブリナ
ジャンペー アリョーナ・ヴィジェニナ, ユリア・カミロワ オリガ・ポリョフコ, エレーナ・コチュビラ
二人の男性 パヴェル・ノヴォショーロフ, アレクサンドル・オマール

 

06年1月28日(土)

オーチャードホール 

 

ペレンがとても魅力的でした。

実のところ,最初のほうの印象は悪く,怒ったり呆れたりしながら見ておりました。
なにしろ登場シーンでは「腰を振りながら」とでもいいたいような品の悪い歩き方で大神殿の石段を下りてくるし,直後の神に捧げるソロをにっこり〜と笑顔で踊るし,巫女の神秘性とか厳かさのようなものが全く感じられなかったものですから。

しかしながら,大僧正を拒むシーンを見て,認識を改めました。
「巫女」らしいニキヤの皆さんは,得てしてここで威厳に溢れすぎます。「あんたは大僧正より偉いんかい?」になってしまいます。
ペレンのニキヤにはそれは全くない。かわいらしく困惑し,上司のセクハラに耐え切れず抗議する程度の「思い切ってきっぱり」を以って拒絶する。巫女に見えないニキヤにはこういう利点もあるわけで,こういうのも悪くないなー,と思ったわけです。

そして,マグダヴィアから「ソロルさんが待ってるって」と聴いた瞬間のわかりやすい演技。「まあ」と手を口に当てて,花のような笑顔になる。そして,弾むような足取りで小走りに去っていく。それは,極端な言い方をすれば「きれーなねーちゃんが,惚れた男からの伝言を聞いた」みたいで・・・「あ,そうか。これがペレンのニキヤ解釈なのか」と,私は大いに納得したのでした。
つまり,神殿とか舞姫とかいうのは単なる周辺事情。「ごく普通の恋する女」としてのニキヤを踊っていたのではないか,と。

その後の,ソロルとの逢引の「♪幸せ♪」も,ガムザッティの威に打たれながらも「でもでも,約束してくれました」と反論する様子も,婚約式前半の憔悴と嘆きの踊りの哀れさも,花かごを手にした瞬間の愛らしい笑顔も,毒蛇に噛まれた後,ソロルが自分の視線を避けるのを見て指先から落ちる薬びんも,そういう女性像のもとに描かれていた印象で,「とてもよいなー」と思えました。

なにより,今までの彼女のニキヤに感じられた「教わったとおりに踊っているだけなのでは?」とか「なに考えてるのかさっぱりわからん」ではなく,↑に書いたような考察ができる表現だったこと自体がめでたいことです。
私は別に彼女のファンではないですが,これだけしょっちゅう見ていれば多少は情が移りますから,「成長したのね〜♪」と嬉しく思ったことでした。

 

シェスタコワのガムザッティは,ますます怖くなっておりました。
可憐な美貌,愛らしい笑顔,優美な身ごなし,ご大家のお姫様ならではのこれ以上ないくらいの高慢さ,富と権力と自分の魅力に対する絶対的な自信,下賎の者にプライドを傷つけたられたときの冷徹な怒り,グラン・パで輝かしく踊れる技術とプリマらしさ・・・ガムザッティ役に必要なものをすべて持っていて,そして,ソロルへの想いはかけらもない。そういうガムザッティ。

私は,5年前に初めて見たときの彼女のガムザッティ,無邪気な可憐さで,踊るニキヤを見るソロルの表情を不安げに窺っていたガムザッティのほうが好きですが・・・この日のガムザッティには全然感情移入できませんでしたが・・・今の表現のほうが「よりガムザッティらしい」とは思いますし,「こんなに怖いガムザッティはめったにいない」とも思います。

なにが怖いって,婚約式にニキヤが登場した後の演技が怖い。
ショックを受けているソロルに「あら,どうかなさったの? こちらにおかけになって。あなたに喜んでもらおうと国一番の舞姫を呼んだんですから」なんて誘う。ニキヤが悲嘆に暮れながら踊っているのを,さも満足そうな笑顔で眺めている。
花籠を渡されて嬉しそうなニキヤにいたたまれずいったん座を離れたソロルを見るのも余裕の表情。席に戻ると「そう,それでよろしいのよ」と言わんばかり。
ニキヤが蛇に噛まれた後も,ソロルが駆け寄ろうとする正面に自ら立ちはだかって阻止。「もちろんあなたは行かないわよね?」とその目が語っていたに違いない。
ニキヤに指弾されても表情を変えずに受け止めて,ついに彼女が倒れるのを見届けると,父とともにさっさと退出。

いやはや,ほんとに怖かったです。(嫌な女だねえ)

 

ルジマトフは,体調が万全ではなかったそうです。(聞いた話では,風邪? による高熱だったとか) そのせいでしょう,いつもどおり美しいソロルでしたが,全体に少しおとなしめ。
精彩がないとまではいいませんが・・・戦士の覇気とか影の王国での精神性とか全体としての舞台上の支配力とか・・・そういうものがいつもより少ないような気がしましたし,お顔もやつれ気味だったかも。(その分凄絶な感じが強まってすてきだったとも言える)

1幕は「性急な恋」のソロルで,「普通の女」のペレンのニキヤと合っておりました。
ガムザッティに引き合わされると最初は困っていてそれなりに藩主に申し出ておりましたが,割合早めに納得。ニキヤの奴隷とのパ・ド・ドゥを暗い顔をして見ながら,既に気持ちの整理をつけたようでした。
婚約式のパ・ド・ドゥは全然楽しそうではなかったですが,特にニキヤを想う様子もなく・・・。ベールに身を包んだニキヤが出てきたときに一瞬たじろぎはしますが,無表情のまま(ガムザッティの手をとったりしつつ)踊るさまを見ておりました。

そうですねー,ガムザッティに愛を移したわけではないと思いますよ。そうではなくて,「世の中そういうもんだ」という感じかしらん。
以前の「究極の優柔不断」ソロル,踊る度に私を怒らせていたソロルとは全然違う「大人の世界」のソロルを見たような気がします。

そもそも名流の戦士と寺院の踊り子との間の恋に無理があったわけですよね。(こっそり逢引していたくらいですから) そこに,主君の娘との結婚を命じられて・・・「命令に逆らえない」というよりは「恋というのは,命令に逆らってまで貫かねばならないものではない」ということなんじゃないかな。
権力や富に目が眩んだわけではない。でも,目の前に差し出されたそれを捨ててまで恋を選ぶ気がなかった。そういう感じを受けました。

そして破局。
ソロルは,薬瓶を手にすがるように自分を見るニキヤから目をそらして俯きます。「わるい。悪いとは思う。でも,俺にはなにもしてやれないんだよ」という声が聞こえてくるよう。
最後は,ニキヤが倒れるのに間に合って(なんとも無粋な説明だな),ニキヤはソロルの腕の中で死んでいきました。

 

ところで,今回婚約式でのソロルのヴァリアシオンは踊られませんでした。
で,実は私,恥ずかしながら,見ている間はそのことに全然気付かなかったのです。なんとまー,これまで何回『バヤデルカ』見たんだか,たぶん20回くらい見たのにいったいなにを見てたんだか・・・と恥ずかしく思いますが,言い訳をするならば,私はルジマトフのソロを待ち構えている観客ではないから,わからなかったのだと思います。

なぜ「待ち構えていない」かというと,二つの理由があって・・・一つ目は,彼のヴァリアシオン自体は,私に「きゃあああ」と言わせるだけの力をもう持ってはいないのですね。ヴァリアシオンを踊っている彼を「美しいな〜」とは思いますが,ヴァリアシオンというのは跳躍技や回転技の組み合わせであって,彼の最近の「技」については私は少々懐疑的です。

もう一つの理由は・・・こちらのほうがずっと重要で,だからこそルジマトフの舞台に通い続けているわけですが・・・ヴァリアシオンなんかなくたって十分ほかのところで見せてくれて,全幕を通して見たときにすてきなソロルだから,ソロは別になくていい。あってもいいけれど,なくたって全然構わない。
もちろん全然跳躍も回転もしなかったら,さすがにそれでは困りますが,3幕の初めのソロや影の王国など,ドラマの進行やソロルの感情表現に必要な踊りは全部見せてくれて,もちろんきれいでしたから,全然オッケーですわ〜。(いや,オッケーもなにも気付かなかったわけだが)

 

ブレグバーゼの大僧正は,2年前よりさらに「ヒヒじじい」度が減り「純愛」の趣。聖職者の禁断の恋というよりは,若い女子社員に夢中になってしまった中小企業経営者のおじさんのようではありましたが,でも,それだって間違いなく純愛だよね〜。
マラーホフのラジャは大好き。特に,「いや,私はニキヤを殺そうと言っているわけではなくて」と訴える大僧正に「この国の支配者は誰だ?」と告げて去っていくところがすてきでしたわ〜。(こっちは,大企業のエリート社長だな)
ほかに印象的だったソリストは,シャドルーヒンの奴隷。安定したサポートで「さすが」でした。
あとは,太鼓の踊り+インドの踊りがよかった。(大好きなのよ,これ)

コール・ドは,前半はよくなかったです。いや,ひどかった,と思います。
どの踊りも全然揃っていないし,4人くらいで踊る役で「振付覚えてないんじゃ? 周り見ながら踊ってるんじゃ?」という感じの方もいたりして。
思うのですが・・・日本公演が始まってからほかの作品ばかり上演し続けてきて,リハーサル不足だったのではないでしょうかねえ。

そのせいなんじゃないかしらん,いつもは上手な子役さんの中に振りを間違えた方がいたのにはびっくりしました。(かわいらしかったですけれど,本来いかんよね)
リハーサル不足は主役も同じだったようで・・・こちらはミスというほどではなかったですが,ルジマトフのサポートは安全第一でしたし,少々「?」の部分もありました。

なお,エキストラの皆さんだけは,リハーサル十分だったような。見覚えがある方もいるので,同じ劇団かなにかから派遣されてきているのでしょうか,上演の度に上達しているような気がします。バレエの歩き方とは違いますが,ちゃんと音楽に合わせて動いて,作品世界を壊さないのは結構なことです。
というか,ソロルの部下たちよりよっぽどよいのではないでしょーか?
いや,そこまで言っては言いすぎでしょうが・・・でもあの部下たちについては,見る度に首を傾げます。(人は代わっているそうですが) 歩き方は「やる気なさそー」だし,お辞儀の向きやタイミングはばらばらだし,だいたい,この作品独特のお辞儀がきれいにできないダンサーが混ざっているっていったい・・・?

 

影の王国のコール・ドはよかったと思います。(ほっと安心)
舞台に下りてきてからは,少々の「あれ?」はありましたが,坂下りはきれいで静謐で,紗幕を通して見るから幻想的な雰囲気もあって,うっとりできました。

ソリスト3人は,いつもどおりミリツェワ,ステパノワ,コシェレワの順。
ミリツェワの大きくてきれいで確実な動きがよかったです。以前みたいに「らんらん♪」しすぎるところもなくなっていて,これも「成長したな〜」ですよね。
ステパノワとコシェレワはいつもどおりよかったですが,コシェレワは彼女にしてはちょっと不安定だったかも。

主役二人の踊りについては,うーむ,そうですねー,美しかったと思うのですが,心動かされるものがないままに終わりました。
ペレンについては・・・これは以前から感じていることなのですが「この方は,もしかしてバレエ・ブランには向いていないのかな?」と。プロポーションやラインの美しさなどは問題ないと思うのですが,精神的な精霊とか儚い影とか,そういう役になると,どうも精彩を欠くような気がします。
ルジマトフに関しては,多少迫力不足だったこともありますし,私の彼に対する感応力が落ちてしまったという要因もあったのでしょうね。

影の王国全体として,ソロルの見た夢,美しい夢の中を覗いた,という印象。
夢は夢であって,それ以上でもそれ以下でもない。ソロルは許されたわけでも拒絶されたわけでもなく・・・3幕2場の結婚式へと話は進みます。

 

ソロルは,夢の中でニキヤと踊っている続きのようにガムザッティと踊り,ベールで顔を隠したニキヤの亡霊と踊ります。そして,奴隷とのパ・ド・ドゥの再現であるかのようにニキヤが落とした花を見た瞬間,自分を取り戻すソロル。
2幕での冷然が嘘のように惑乱するガムザッティ(ここが不自然すぎるようになるのが,シェスタコワの役作りの難点かも),混乱する宮廷の中,ただ一人舞台上に残ったソロルも倒れ,舞台は暗闇に。一瞬の後,舞台は再び明るくなり,命を失ったソロルの姿だけが浮かび上がって再び暗転。最後は,舞台中央に神の火だけが虚しく燃え上がる中,幕。

・・・というふうに私の席からは見えたのですが,なんでも,舞台装置の故障で段取りがうまくいかなっただけだそうで。
うーん,残念だなぁ。この日の終わり方は,とってもいいと思ったのになぁ。

ただ一人死んでいったソロル。最後に,ニキヤ(を象徴する白い布)が登場することもなく,もちろん,死後結ばれた二人が現れるわけではなく・・・すべてが失われた舞台の上に,神の火だけが残る。
人間の営みの虚しさを伝えるようでもあり,すべては昔の物語だったんだよと語りかけてくるようでもあり・・・余韻が残っていいと思うんですけどー?

(2006.11.18)

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バヤデルカ(レニングラード国立バレエ)

06年1月29日(日)

オーチャードホール

 

この日のルジマトフは,登場シーンで舞台に駆け込んでくるシーンに勢いがありました。その後の動きも美しいだけでなく,全体としてキレがあり,私の目には,『ラ・シルフィード』や『白鳥の湖』のときより好調そうに見えました。実際の体調は「前日よりはマシ」程度だったそうですが,聞いていなければ全然わからなかっただろうと思います。

演技的には,前日と同じ「性急な恋」の趣。
今回初めて気付いたのですが,この版のソロルは,「祈りを捧げるから」と虎狩りへの参加を断り,一人になるのに成功するのですね。前年マラーホフ版で同じ芝居を見て「珍しいソロルだなー?」と思ったのですが,あらま,とんでもない勘違い。こういう設定が一般的なのかも。
今ごろ気付くとはトロいというか,今までなにを見ていたのか? というか・・・ではあるのですが,今回はこのシーンの印象もあって,精悍な戦士らしさよりも,「早く逢いたい」が前面に出た役作りに見えました。
一人になった後も,遠くから神殿に想いを送るいつもの芝居ではなく,神殿への石段を途中まで登る,より積極的な恋人でありました。

シェスタコワは,たおやかで儚げな舞姫。
1幕1場も2場の奴隷のパ・ド・ドゥも,ペレン以上に巫女らしくなく普通の女性に見えましたが,(ニキヤ役のお約束なのか彼女の工夫なのか)髪を濃い色に染めた効果もあって,前日の高慢なお姫様とは全く違う,おとなしやかで薄幸そうな美女。それでいて,芯の強さも感じさせ,おお,こういうのもいいかも〜。
それから,前より細くなったみたいで,ルジマトフと並んでほっそり見えるというのもすばらしいことだな〜,と感心しました。

私は,初めて彼女のガムザッティを見た頃は,彼女のファンにかなり近い気分になりました。その後,小首を傾げての愛らしさの表出に代表される彼女の演技の手法があまりに作為的に感じられるようになり,「ヤだなー,見たくないなー」という心境になったのですが・・・ルジマトフを見にいくとついてくるので,間断なく見ることに。
その結果,昨年夏と今回の公演については,「わざとらしさがだいぶ減ってきてよくなったわね」と思うようになりました。
ペレンのように,「なにを見せたいのかわかりにくい」バレリーナも困りますが,数年前の彼女のように「この演技はこれを表現している。この役のここを表現するためにあそこをああしている」が見えすぎるのはもっと困る。
今回のニキヤはそういう感じがなくなっていたので,素直に,『バヤデルカ』という作品の中の登場人物として見ることができて助かりましたし,今後もこの調子でお願いしたいものだなー,と思いました。

エフセーエワは,いつも以上にメイクを濃くして表情もきつめ,「皆でちやほやして育てた結果,人を人とも思わないような,ものすごーく性格の悪い娘に育った」という感じで,とてもよかったです。(こんなお姫様には絶対に仕えたくないです。毎日腹の立つことがありそうだし,一生懸命計らっても,全然感謝してもらえそうにない)
ソロルとの結婚についても特に喜んでいるようには見えないので,最初は,なんか「能面のような無表情」だなー,初役(? 日本では少なくとも初役)で緊張しているのかなー? と心配しましたが,そうではなくて役作りだったのでしょうね。

ニキヤとガムザッティのシーンは,前日に比べると迫力に欠けました。
前日は,シェスタコワの「キラキラ」がすばらしかったし,ペレンの演技も上手で,ニキヤが追い詰められた心境になって舞台上を右往左往した結果,手にしたナイフを使ってもなんとかこの場を逃げ出そうとする辺りがたいへん納得できたのですが,この日は「あらまー,おとなしそうなニキヤが豹変してガムザッティに襲いかかったたわよ。なんで?」という感じ。
でも,まあ,そういう風に見えてしまう上演も多いですし,なにより,シェスタコワのほうが大人の女性の魅力があり,バレリーナとしての容姿も上であるだけに,「こりゃお嬢さまが逆上しちゃうのも無理ないわね」という意味での説得力がありました。

 

2幕のコール・ドは,前日よりよかったと思います。(ますます,前日はゲネプロ状態だったという確信が深まってしまいましたよ)
それにしても,この場面は,いろいろな踊りが次々と繰り広げられて,楽しいですよね〜。優雅な女性コール・ドがあり,高度なテクニックの男性ソロもあり,キャラクテール全開の踊りもあり,最後に華やかなグラン・パまである。
太鼓+インドの踊りは,特によかったです。前日もよかったけれど,この日のほうがソリストが3人とも動きが大きいような気がしました。ブラヴォ♪
壺の踊りだけはあまり好きではありませんが,あっても差し支えないですし,リィコワという方を初めて見たのが収穫かも。たいへん小柄な方で,脇で踊る二人の子役とほとんど身長が変わらない感じ。かわいらしかったです。

そして,エフセーエワのグラン・パは見事。イタリアンフェッテで振り上げる脚の勢いがそのまま,「国一番の戦士を我が物にした」という無邪気な喜びの表現になっていたと思います。

その後の演技も,とてもよかったです〜。
ニキヤが登場すると驚いた様子で,父親に「お父様,ひどいっ。なんだってこの女を呼んだりしたのっ」と文句を言っている気配。藩主のほうは「いやいや,娘よ。これには深いわけがあるんだよ」なんて優しく諭す。
でも,当然ながら納得はいかないですよねー,ニキヤが踊っている間中,「だからなぜなのよ?」とか「わけってなに?」などと父親を質問責めにする,ソロルがニキヤを見る様子を心配そうに見る,彼に手をとってもらって安心する,でもニキヤが真ん中で踊っているのが不愉快で不機嫌きわまりない顔になる・・・等々。たいへん忙しく,子どもっぽい。そして,ソロルがニキヤに駆け寄る,という行為にたいへんなショックを受けてなにもできないでいる。そっかー,ほんとにソロルが好きだったんだよね。というか,ソロルが自分を選ぶということに疑いを抱くことができないくらい,世間知らずのお姫様だったんだよね。なんだかかわいそう・・・なガムザッティでありました。

ルジマトフの表現は,基本的には前日と同じ印象。「しかたがない。今さら引き返せない」という大人の判断をしたソロルで,尋常な感じでガムザッティと踊っておりました。(この日もヴァリオシオンはなし)
その後の演技で印象的だったのは,ニキヤから視線を外すことができず,「心ここに在らず」の険しい表情のままガムザッティの手に接吻するシーン。うふ,とーってもすてきでしたわ〜♪ 
一方で謎だったのは,ニキヤ登場のときよりも花籠が出てきたときのほうが驚愕したように見えたこと。彼は時々この芝居をします。以前,この演技に納得のいく説明をしようと「花籠に蛇を入れたのはソロル」などという無謀な説を述べてみたりもしましたが・・・まさかねえ。いったいどういう意味なのかしら〜?

 

影の王国以降は,うーん・・・舞台の感想ではなくなる気がしますが,一応書いておきます。

えーと,「愛に溢れる」ヴァージョンだったのかな,と思います。
シェスタコワの踊りは,彼女にしては不安定という感じでしたし,「私にはペレンのほうがきれいに見える」ということを確認したりしましたが,とにかく愛に溢れていますよね。あ,違う。愛じゃなくて恋。いや,むしろ情念? ソロルを許すとかなんとかではなくてひたすら「あなたが恋しい」ニキヤに見えました。

ルジマトフは美しかったです。それはもう美しかったし,ニキヤへの想いも濃厚でしたし,踊りも最近では一番の見事さ。
でも・・・私には,感動的ではなかったのですよね。その原因は,たぶんは,「ほんとに見たいソロルは別の人になっちゃったのよねえ。こんなにすばらしいのにもったいないなあ」などという,舞台を見ている最中に考えなくてもよかろうに・・・な感慨だったのでありましょう。(ほんとにもったいないねえ)

カーテンコールでの主役2人は「あっちにいっちゃった」ままでしたので,2人にとって満足のいく舞台だったのでしょうし,観客の反応も熱を帯び,最後は場内総立ちに近い状態。
それを見ながら「そっかー。そんなにいい舞台だったのかー」と驚く自分を発見するのはあまり気分のいいものではありませんが・・・まあ,しかたないことです。(ほんっとにもったいない話ですよねえ)

(2006.12.29)

 

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キトリ: タチアナ・テレホワ
バジル: ファルフ・ルジマトフ
森の女王: ユリア・マハリナ
街の踊り子: アルティナイ・アスィルムラートワ

バレエ「海賊」

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メドーラ: アルティナイ・アスィルムラートワ
コンラッド: エフゲニー・ネフ
ギュリナーラ: エレーナ・パンコーワ
ランケデム: コンスタンチン・ザクリンスキー
アリ: ファルフ・ルジマートフ

 

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