白鳥の湖(レニングラード国立バレエ)

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作曲: P.チャイコフスキー

台本: V.ベギチェフ, V.ゲルツェル
振付: M.プティパ/L.イワノフ  改訂演出: N.ボヤルチコフ

美術: V.オクネフ  衣装: I.プレス

指揮: 指揮:アンドレイ・アニハーノフ     演奏: レニングラード国立歌劇場管弦楽団

    1月7日   1月8日
オデット/オディール イリーナ・ペレン オクサーナ・シェスタコワ
ジークフリート ミハイル・シヴァコフ ファルフ・ルジマトフ
ロットバルト ウラジーミル・ツァル キリル・ミャスニコフ
王妃 ズヴェズダナ・マルチナ
家庭教師 アンドレイ・ブレクバーゼ
パ・ド・トロワ エレーナ・エフセーエワ スヴェトラーナ・ロバノワ アンドレイ・マスロボエフ イリーナ・コシュレワ オリガ・ステパノワ ドミトリー・ルダチェンコ
大きい白鳥 イリーナ・コシェレワ エレーナ・コチュビラ ユリア・カミロワ エレーナ・フィルソワ
小さい白鳥 ヴィクトリア・シシコワ ユリア・アヴェロチキナ ナタリア・ニキチナ アナスタシア・エゴロワ
スペイン オリガ・ポリョフコ ナタリア・オシポワ ヴィタリー・リャブコフ アレクセイ・マラーホフ エレーナ・モストヴァヤ ユリア・カミロワ アントン・チェスノコフ イリヤ・アルヒプツェオフ
ハンガリー マリア・リヒテル アンドレイ・クリギン エレーナ・フィルソワ ロマン・ペトゥホフ
マズルカ タマラ・エフセーエワ アリーナ・ロパティナ マリーナ・フィラトワ エレーナ・フィルソワ アンドレイ・マスロボエフ アントン・プローム アントン・チェスノコフ アレクサンドル・オマール   タマラ・エフセーエワ アリーナ・ロパティナ マリーナ・フィラトワ ナタリア・グリゴロツァ アンドレイ・マスロボエフ アレクセイ・マラーホフ ヴィタリー・リャブコフ ニコライ・アルジャエフ
2羽の白鳥(3幕) エルビラ・ハビブリナ スヴェトラーナ・ロバノワ

 

06年1月7日(土)

東京国際フォーラム ホールA 

 

ルジマトフの『ラ・シルフィード』と『白鳥の湖』の間が空いてるから行ってみようかしらねえ,どっちかというとソワレのステパノワ/プハチョフのほうが見たいけれど貸切だから入れないしねえ・・・という心境で見にいったのですが,予想を上回るよい舞台で,「やっぱり見といてよかったわね〜」とにこにこしながら会場を後にすることができました。

「にこにこ」の理由の要素の7割はシヴァコフ,2割がペレン,あとの1割はエフセーエワとコシェレワです。本来なら(いつもなら)4割くらいは占めるコール・ドが「???」だったのは残念でありましたが・・・。

 

シヴァコフの全幕を見るのは,実は初めてでした。
こうなったのは,彼が仙台で主演したことがないなどの理由が大きいのですが・・・ガラなどで見る舞台が「次はこの方の全幕見たいわ〜」では全然なかった,という要素はそれ以上に大きかったと思います。もっと率直に言えば,「なんでこんなに重用されるの? なんでファンがついてるの? 王子ならプハチョフのほうがずっとエレガント。テクニックではミハリョフには全然及ばない。ランケデム踊ればプロームのほうがチャーミング。サポートはシャドルーヒンの爪の垢でも煎じて飲め・・・状態。わざわざ見たい気分には到底なれない」という評価を下しておりました。

で,今回の『白鳥の湖』は,どうやら私の目は節穴であったらしい,と反省する舞台だったのでした。

まず,1幕1場の立居振舞がちゃんと王子になっているので感心。(いや,当たり前といえば当たり前だけれど,なにしろ事前の評価が低いから)
一方で,少年のような笑顔はいつもどおりだから,「このコに,はよ嫁を決めてひとり立ちせいと要求するのは,いくらなんでも早すぎないか?」というふうに見える。これはこれで説得力あるジークフリートだなー,と思いました。

1幕2場はさらによかった。特にサポートが見事でびっくり。
忠実に優しくペレンを支えていて,全く危なげがないし,しかも自分もきれいに見せている。リフトしているときに自分の脚がきれいに揃っているとか,離れて立っているときもルルベしているとか,そういう細かいところまで疎かにしない王子ぶりで,いたく感心しました。

演技も工夫があってよいです〜。
オデットのソロのときに,ジークフリートがエスコートして出てきて,その後も舞台の奥で「うっとり〜」とオデットを見ていて・・・こういうことをしているのは初めて見ましたから,彼のアイディア(というか,解釈)によるものだと思います。
2幕は,最初から「ボク,こんなのイヤ」で通していて,やっぱりかわいい。そして,かわいいから,オディールにまんまと騙されるのがよく似合う。

踊りはちょっと物足りなかったですが・・・もしかして,彼は背中が固いのかしらん? 大きく跳躍したり,横向きでアラベスクを見せたりするときに伸びやかに見えないのが残念でした。
でも,マネージュのスピード感はよかったです。王子の逸る心境をこのスピードが表しているのよね〜。

あとは・・・オデットを追いかけてすれ違うところや,ロットバルトに追い払われるところなどのお芝居がさらに上達するといいなー,そうしたら,とてもすてきなジークフリートになるんじゃないかなー。

 

ペレンもよかったです。

1幕2場はとてもきれい。
「彼女ならでは」とか「おおっ」とか,そういう書きとどめておきたいようなことはなかったですし,オデットの悲哀が伝わってきたかというと少々微妙なのですが(席がものすごく舞台から遠かったせいもあったかも)・・・爪先から指先まで全身の動きを,ていねいに,たいへんていねいに,紡いでおりました。
「いかにも『白鳥』のオデットだわ〜。きれいだわ〜」という感じ。

2幕では,妖艶とか偽計とかが全く感じられない,愛らしく微笑むお姫様のオディールでした。「ちょっと違うかも?」という気もしましたが,終始笑顔(少なくとも,私がオペラグラスで覗く都度笑顔)で踊っていて魅力的。

さらに,今日の彼女のオディールは,踊りが冴えておりました。
登場して,アラベスク(アチテュード?)を一瞬見せて,下手へと消えていく。その一瞬のポーズの美しさと伸びやかさは「これぞ主役」の貫禄と輝き。
あるいは,コーダの最後,アラベスク(いや,これもアチチュード?)の連続で上手奥から下手前へと移動していくところ。音楽が高まるとともに彼女のポーズの深さが増していく。それが「勝利(?)の確信を深めていく=王子が陥落していく」と見えて,おお,見事だな〜,と。
フェッテも2回転を多々織り交ぜつつ,最後まで余裕ももって回っておりました。

 

エフセーエワは1幕1場のパ・ド・トロワに登場したのですが,大人っぽくなったし,きれいになったし。最近見る度に同じことを書いている気がしますが,でも,見る度にびっくりしてしまう。
踊りのほうは,以前と同じように,しゃきしゃきしていてぴたっと音楽に合う感じ。上手ですよね〜。

コシェレワは大きな4羽の白鳥で登場。
今回は,広ーい東京国際フォーラム1階最後列で見ていたので,誰が誰やらよくわからなかったのですが,「お,この人ポーズがキレイ」と思ってオペラグラスで見てみたら彼女でした。やっぱり私の好みなんだわ〜。

 

コール・ドは,1幕1場では,「? イマイチ・・・」と思いました。
揃っていないし・・・男性陣の容色(白タイツ似合い度数)が少々落ちたような気がしましたし。

1幕2場や3幕の白鳥たちも,あまり揃っていないとは思いました。腕を上げる角度やタイミングが,結構みんな勝手にやっているように見える。(小さな4羽は見事でしたが)
でも,一人ひとりの身体の使い方はきれいで,「白鳥」になっていたから,これはこれでいいのかなー?

 

それにしても,いつものことながら,この版は3幕が盛り上がりにくくて困ります。

前半は普通ですが,肝心の後半,作品全体の最後が困りもの。
ロットバルトとジークフリートが戦うわけでもなく,オデットと王子が愛を確認して身投げするわけでもなく・・・ロットバルトはいつの間にか舞台上から消える,恋人たちは左右に分かれて意味不明なポーズをとっていたかと思うとこっちも舞台上から消える,最後に3人とも奥のほうに現れたかと思うとまた消える・・・いったいなにが舞台上で起きているのか不明確。

二人の愛の力でロットバルトと悪の砦は滅び去り,しかし,恋人たちも湖に沈んでいく・・・ということは知っていますが,知っていても舞台上を見ているとそうは見えないこともあるくらいで・・・。
その辺りが明瞭に伝わるようもう少し改訂してくれると,もっといい舞台になると思うんですけどー?

(06.1.25)

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白鳥の湖(レニングラード国立バレエ)

06年1月8日(日)

東京国際フォーラム

 

5年ぶりに眼前に現れたルジマトフのジークフリートは,憂いと翳りの青年王子でありました。(ジェームスよりずっと若返っていたような?)

若々しくはあるけれど,大人の落ち着きと気品を持ち,間もなく統治者になる準備はできている。
自分の生まれや育ちに対してなんの不満も持っていない。大人になるのがイヤだとか,結婚なんてまだ早いとか,そんな馬鹿げたことは思ってもみない。家庭教師の忠告を余裕と感謝を持って受け止め,領民たちの祝賀の意を喜んで受納し,母である王妃に最大級の尊敬と愛情をもって接する,「善き王子」の理想のようなジークフリート。この人が即位したなら立派な王になるだろう,領民たちは安心して暮らせるだろうと思える王子。

それなのに,落ち着いた明るい表情で日々を楽しんでいるように見えるのに,どこか憂いを感じさせ,しかもその憂いは「まだ見ぬ恋への憧れ」のような甘いものには見えない翳りを帯びている。
それは,彼が自分ではそんなつもりもないままに「なにか」を求めていたから。そして,「なにか」に呼ばれていたから。
だからこそ,彼は森の中へと1人踏み入っていったのだろう。オデットに出会うことは,彼の宿命だったのだろう。

・・・という感じのジークフリートでした。
すてきでしたわ〜♪

 

特に1幕は,比類ないほどの美しさ。

まず,プロポーションがすばらしい。白いタイツの衣裳で見るのが久しぶりだったせいもあるのかしらん,この方ってこんなにも長くてほっそりとした脚を持っていたんだ・・・と改めて感動しましたし,その全身のラインには「あなた,ほんとに40代?」と驚嘆しつつ呆れもしました。

そして,立居振舞が,とってもとってもとってもとっても美しかったです〜♪
最近同じことばかり書いている気がするのですが・・・彼は,見る度にますます美しくなっている。そう思います。
胸を張って片足を後ろに退いて立つポーズが美しい。腕を上げるのが美しい。180度ターンして身体の向きを変える動きが美しい。歩くのも美しい。
書き出すときりがないわけですが・・・要するに,すべてが美しかったです。一挙手一投足が,信じられないほど美しかった。

さらに,その美しい立居振舞をもって,このシーンに必要なものをすべて表現していました。それも,これ以上ないほど効果的に。
ボヤルチコフ版の1幕のジークフリートは,踊らない役です。どの版においても「たいして踊らない」役ではありますが,この版での「踊らなさ」,言葉を換えて言えば「しどころのなさ」は徹底している。
そういう演出に忠実でありながら,「善き王子」の理想のようなジークフリートを体現し,そして同時に憂いと翳りを感じさせる・・・。名演だったと思いますし,たぶん,今までの彼では見せられなかった表現だったと思います。(二十代,三十代の頃は,ごちらかというと後者のほうが突出していたと思う。それも好きだったけどー)

これに続く1幕1場と2場の転換の間,幕前で踊るシーンもすばらしかったです。
「踊る」と言うよりは立居振舞の延長線上のような感じではありますが,それはもう美しかったし,王子の憂愁に溢れていて・・・ああ,よくぞまたこの作品を踊ってくれた,より美しいジークフリートとなって現れてくれた,ありがとう,ファルフ・・・と思いました。
見られてよかった,至福のときであった・・・とも思います。

 

ええと・・・それ以降については,ここまで絶賛する気は起きません。

湖畔の場面については,「普通にきれい」程度というか「サポートに専念」というか・・・5年前のザハロワとの舞台のような奇跡は起きませんでした。そんなに頻繁に奇跡が起きるわけはない,とは思いますが,「2人で踊るからこそ(英語で言う「ケミストリー」かな?)」もなかったように見えたので,少し残念。

2幕(黒鳥のパ・ド・ドゥ)は,正直言って,かなり悲しかったです。
跳躍が高くないとか難しいことはもうやらないとか,そういうことは織り込み済みだからいいのですが・・・彼の踊りを見て「きれい」と思えないというのは初めての体験でしたから。

3幕については,ボヤルチコフ版の盛り上がらない演出をねじ伏せて,感動的な物語を作り出すことはできていなかった・・・と。
まあ,これはしかたがないことです。そういうことをやってのけたのは,私の知る限り,5年前の彼とザハロワと・・・10年以上前のクナコワ/ペトゥホフだけです。前日のペレン/シヴァコフも,前年のザハロワ/ゼレンスキーも「この幕の演出は困る」を再確認しただけでしたから。

 

シェスタコワは,「白鳥の女王」よりジークフリートとの恋愛に重きを置いた感じの,優しげで儚げなオデット。そして,かわいい顔して流し目で男を殺す誘惑系オディール。
「役を作りすぎ」のところがなく,品位を保ちつつ「彼女ならでは」の表現を見せていて,よかったと思います。
特に,黒鳥のアダージオのあとで舞台から去らずに,王子に「さあ,あなたが踊るのよ」と言わんばかりに袖に残っていたのが,「おお,王子はこうして黒鳥の術中にはまっていったのだなー」と思えて感心しました。

ただ,彼女のプロポーションのよさ(ほんっとに頭が小さいですよね〜)は,バレエ・ブランの場合には難しい面もあるのかなー? と,少し思いました。
昨夏の『バヤデルカ』影の王国のときも思ったのですが・・・顔が小さすぎる分,上腕部が太く見えて,ポール・ド・ブラに繊細さが足りないように見えてしまう。注目して見てみれば,そんなことはなく上半身で語っているとわかりますが,舞台全体の中で踊っているのを見ると,きれいでなく見えてしまって・・・視覚的に引き込まれにくかったです。

 

ミャスニコフのロットバルトは,「さすがの存在感」ではあるのですが,うーむ・・・エレガントすぎて「線が細い」ような気がしました。
パ・ド・トロワは,ステパノワはいつもほど安定していなかったような気はしますが,普通に上手でしたし,コシェレワは「お,色気出てきたかな。いいね〜」という感じ。ルダチェンコはきれいでなかったですが,去年の夏見たときの「なんじゃこりゃ?」よりはよかったです。(その程度では困る,とも思うが)

キャラクテールで印象的だったのは,黒いほうのスペインペア。女性はモストヴァヤだという話でした。男性は,お顔に見覚えある感じだから,見覚えある名前のチェスノコフでしょうか?
マラーホフ@マズルカもやっぱりかっこよかったです。

最後にコール・ド・バレエですが・・・よくなかったと思います。
前日と違って近くで見たから「揃ってないなー」感が強かったのでしょうか・・・白鳥たちがポーズ取って静止しているときに顔のつけ方や視線の向きがバラバラだというのは悲しいものがあります。
それから,ここのコール・ドって,こんなに「ほっそりしてない」方が多かったかなー?と不思議な気が。もっときれいな方が多かったような記憶があるのですが・・・???

 

この日のカーテンコールは,主役2人の出血大サービスでありました。
ルジマトフが,シェスタコワの後ろで意味なくポーズを決めまくるのですわ。片足を後ろに退いて,片腕を差し上げて。
ひゃ〜,美しいな〜,今日は大盤振る舞いだな〜♪ と喜んでいたのですが,その続きがありまして・・・ついには,シェスタコワも参加。前後でシンクロして「白鳥」ポーズ(?)を見せてくれるに及んでは・・・ああ,眼福だわ〜♪♪

こういうふうにルジマトフに合わせてカーテンコールまで芝居をしてくれるバレリーナはシェスタコワくらいのものです。
↑に書いたように,踊りのほうはさほど好みではないわけですが,こういうシーンを見ると「なんて得難いパートナーなんでしょー」と評価うなぎのぼり。

 

というわけで(?),楽しい公演でした。(コール・ドだけは納得がいきませんが)
ルジマトフは「跳んで回って」関係はかなり苦しくなっているのだなぁ,という一抹の寂しさはありましたが,バレエはそういう芸術ですから,しかたのないことです。むしろ,「やっぱ今のうちに見とかんといかん。『バヤデルカ』も気合入れて2回とも見よっ」と改めて思ったことでした。

(06.4.15)

 

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作曲: Pyotr Il'yich Tchaikovsky
指揮: Dmitry Yablonsky
演奏: Russian State Symphony Orchestra

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作曲: Pyotr Il'yich Tchaikovsky
指揮: Charles Dutoit
演奏: montreal symphony orchestra

 

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