ルジマトフのすべて

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02年7月17日(水)

新宿文化センター

レニングラード国立バレエの夏の公演へのルジマトフゲスト出演は去年もおととしもありましたが,「ルジマトフのすべて」と銘打った公演は3年ぶり。
ルジマトフが日本で「放蕩息子」を上演したいと希望し,それにボルドー・バレエの芸術監督ジュドが協力して実現した(と聞く)2日間の公演。当のルジマトフが5月末に虫垂炎の手術を受けたということで,若干の不安とそれを大きく上回る期待を持って会場に向かいました。

 

第1部

『眠れる森の美女』よりグラン・パ・ド・ドゥ

音楽:P.チャイコフスキー  振付:M.プティパ/N.ボヤルチコフ演出

オクサーナ・クチュルク,  ロマン・ミハリョフ

ううむ・・・この二人は,失礼ながら,ロシアのダンサーにしてはプロポーションが今一つなんですよね・・・。この作品では,それが非常に気になってしまいました。

クチュルクは上手でしたし,美しく輝いていましたが,お姫様らしさが少々不足。このオーロラの誕生祝いの席には,優しさの精と鷹揚の精は欠席して,代わりに元気の精が3人来たのではないかなー?
ミハリョフはマナーもヘアスタイルも王子らしくしていたし,上手ですが・・・私には,彼はデジレ王子には見えないの・・・。

 

『ラ・シルフィード』よりグラン・パ・ド・ドゥ

音楽:H.ロヴェンショルド  振付:A.ブルノンヴィル

オクサーナ・シェスタコワ, ドミトリー・シャドルーヒン, レニングラード国立バレエ

シェスタコワはほっそりと美しく,妖精らしい感じもありましたが,泉の水やちょうちょうのマイムがあまり上手でなかったので,無邪気な愛らしさが感じられず,残念でした。
シャドルーヒンは,育ちのよさそうな暢気な感じがあって,なるほど,この人なら妖精に夢中になるかもね,と思えるのがよかったです。踊りも(失礼な言い方かもしれませんが)彼にしては軽やか。ただ,ブルノンヴィルって,もっと上半身をスクエアに固めて(?)踊るのが正しいんじゃないのかしら?

 

『海賊』よりグラン・パ・ド・ドゥ

音楽:R.ドリゴ  振付:M.プティパ

イリーナ・ペレン, ミハイル・シヴァコフ

ペレンは・・・ごめんなさい,悪い意味でお人形みたいで・・・ううむ・・・内面からの輝きが感じられないというのかなあ・・・。以前よりは笑顔で踊るようになったと思うのですが,なぜかその分品がなくなったような気もするし・・・。きれいだし,華もあると思うのですが・・・。
シヴァコフは,跳躍も回転も,この作品を踊れるだけのきれいなテクニックがあると思いました。それだけでアリになれるわけではないですが,観客の多くがルジマトフのファンであろうこの公演で,この作品を踊ることの困難さを思えば,文句を言う気はないです,はい。

 

『アルビノーニのアダージョ』

音楽:T.アルビノーニ  振付:B.エイフマン

ファルフ・ルジマトフ

たいへん,たいへん,すばらしかったです。
ルジマトフで何回も見ている作品ですが,表現がいっそう深みを増し,それはもう感動的で・・・。

最初見たとき,病後でやせてしまったのでしょう,顔が一回り小さくなったように感じて息を飲みました。
麻袋をかぶったような粗末な衣装,そこから出ている手脚の細さ,伸びた髪・・・。その姿はキリストの受難を思わせる・・・。

今回は同じ姿の男性3人とともに現れる(本来の?)上演形式だったのですが,前に歩み出ながら3人を振り払うかのように首を振る勢いの激しさ・・・。3人が去って踊りだしてからの表現は鋭利な刃物のよう。そこから出てくるものは,何かから逃れようとして,あるいは何かを必死に求めてもがく一人の男・・・。
麻布を引きちぎるようにして現れたサポ−ターだけの身体が,また一際細くなっていたこともあって,正視するのがつらいような切なさ,痛々しさを感じました。

でも・・・見ているうちに,それとは違う「何か柔らかなもの」が印象に残りました。白い花びらのような柔和なもの。天使のような美しく,優しいもの。何度も見たこの作品の中に,こんな柔らかいものが見えるとは思ってもみなかった・・・。それは,とても不思議な感覚。一月近くたつ今でも,言葉が見つからない・・・。なんだったのかわからない・・・。

最後,3人の男たちが再び現れ,ルジマトフの身体は再びもとどおり束縛されます。男たちがふれた瞬間,電気ショックに触れたかのようにびくっと反応し,次に静かに彼らとともに後ろに下がっていく姿・・・それは,自分の求めるものを諦め,運命に身を委ねるかのような静謐・・・。

だからこそ思うのです。作品の半ばに見えた,あの「柔らかなもの」はなんだったのだろう,と・・・。

 

第2部

『春の水』

音楽:S.ラフマニノフ  振付:A.メッセレル

エレーナ・エフセーエワ, アンドレイ・マスロボエフ

ソビエト風のダイナミックなリフトの連続で有名なデュエット。
私,もしかして,生で見るのは初めてだったのかもしれません。(ビデオで見た?)記憶よりは,アクロバティックさが薄いように思いました。

エフセーエワは元気で軽やかで愛らしく,マスロボエフも一生懸命サポートしているように見えるのがほほえましい感じで,さわやかなカップルでした。エフセーエワは,笑顔がたいぶ自然な感じになりましたねー。

 

『記憶のかけら』(日本初演)

音楽:J.ブレル 振付:N.カバンヤエフ

ファルフ・ルジマトフ, オクサーナ・クチュルク

スヴェトラーナ・ギリョワ, エレーナ・コシュビラ, アルチョム・プハチョフ, ミハイル・シヴァコフ

「日本初演」って,そりゃ事実には違いないけどさー,わざわざそう銘打つほどのモノかいな。(笑) って,こんなコト書いちゃってごめんなさいね,ファルフ。

ええと・・・プログラムの写真が切なげな表情でパートナーを抱きしめていたり,床の上を引きずられていたり・・・という感じだったので,ありゃりゃ,今日は「痛々しい」系を3つ見なければならんのかー,と思ったら,音楽がシャンソンのせいかけっこう軽い感じの作品で,楽しめました。
でも,まあルジマトフですから,やはり苦悩しているようではありましたねー。

病院の中,5客の椅子に5人の患者が腰を下ろしているシーンから始まって,シャンソンに乗せて,踊りが続きます。途中から看護婦(クチュルク)も加わって,突如全員が再び椅子にすわる。6人だから1人余るわけで,はい,余るのはルジマトフなのでした。
突然看護婦の白い服をはぎとると下にはピンクのドレス。その彼女を激しく振り回したりして,なんだったんでしょ?
あ,あと,小川に渡した石の道のように,椅子から椅子へと渡っていくシーンがあって,途中の椅子が突然抜かれてしまって,おっとっとと立ち往生するルジマトフ・・・。
(うーむ・・・これじゃどういう作品だったのか,よくわかりませんよねえ。すみません・・・)
最後,患者5人が冒頭と同じ姿で椅子に腰を下ろして終わりました。

題名と合わせて推測するに,精神病院の中で,忘れていた過去を思い出したり,また心を閉ざしたりする患者を現してでもいるのかしらん?

そうそう,他の患者は上下白の衣装だったのに,ルジマトフだけが上半身裸だったのはちと妙な感じも・・・いや,私としては,彼が裸で登場することに何の不満もないですが。(笑)

 

『白の組曲』より

音楽:E.ラロ  振付:S.リファール

ステファニー・ルブロ, シャルル・ジュド

たぶん,「アダージュ」という名前の,男女のパ・ド・ドゥのパート。

とてもよかったです〜。
これぞフランス式エレガンスという感じでしょうか。この作品は振付が今一つ物足りない感じがして,そんなに気に入ってはいなかったのですが,そうかー,美しいダンサーがこういう風に格式を持って優雅に踊ればこんなにすてきなのね♪

ジュドは見事に抑制された美しい動きで,足りないものも過剰なものも何もない。
ルブロも,愛らしい美しさで,品もありました。

唯一の不満は,ソロのパートの上演がなかったことかな。(でも,ジュドの年齢とパートナーのキャリアを考えると,観客に物足りなく思わせるようなこの演目選定は,実に知的で賢明な戦略なのかもしれませんね。)

 

『ドン・キホーテ』よりグラン・パ・ド・ドゥ

音楽:L.ミンクス 振付:M.プティパ/N.ボヤルチコフ

オリガ・ステパノワ, ミハイル・シヴァコフ

ステパノワは迫力と回転技の「姐さん」風のキトリで,背中に彫り物がないのが不思議なような・・・(笑)。かわいげなんか全然ないし,踊りは荒くて品もよろしくないので,誉めてはいかんような気もしますが・・・でも,あれだけ徹底してアクの強さを見せるのは,立派だと思いました。
リフトから下ろす大技でミスがあったのが惜しまれますが(男女どちらの責任なのかは,私にはわからない),それを逆手にとってなのか本心からなのか,パートナーに怒っている風なのも,このキトリの性格表現に見事にはまっていました〜。

シヴァコフは,1日に「海賊」と「ドンキ」を両方踊り,(たぶん)バレエ団一のテクニシャンぶりを披露しましたし,3作品に登場しての大活躍なわけですが・・・ステパノワの勢いの前に影が薄かったなー。
「さあ,サポートしなくちゃ」風に構えているように見えて,ある意味かわいらしかったですが,そのときは,バジルではなくなってしまっていたし・・・。

 

『放蕩息子』

音楽:S.プロコフィエフ  振付:G.バランシン

ファルフ・ルジマトフ, ユリア・マハリナ, アナトリー・シードロフ, ボルドー・オペラ座バレエ

ううむ・・・なんというか・・・「絶賛はしかねる」と言えばいいのかな・・・。

そもそも,ルジマトフは苦悩と憂愁の王子さまですから,蕩児に見えないことは予想できました。マハリナも妖艶なファム・ファタールではあっても,異形の者の上に君臨する姿は似合いそうもないバレリーナです。
でも,「ルジマトフでなければ見せられない」,「だからこそ感動的な」放蕩息子を見せてくれると期待していました。そして,部分的にはそれは実現したと思いますが,全体としては成功していなかった,新しい魅力ある物語は描かれなかった・・・と私は思います。

父親のもとを飛び出すまでのルジマトフは,たいへん若々しく,チャーミングでした。
その表情は自分の未来を信じる少年のものであり,その動きは青春の衝動。外の世界に何かが待っていることを感じ,安楽だけれど父親の支配のもとにある日々には耐えられない・・・。
それが愚かだと言えるでしょうか? 放蕩息子だと非難できるでしょうか?

そうではないですよね。
若者が外の世界を夢に見,自分の手で何事かをなしとげたいと思うのは自然なことであり,健全な成長です。いつまでも父親の庇護のもとにいることを選ぶ少年は,ロクなものではありません。
この少年は享楽を求めて家を捨てたのではない,まっすぐに未来を見つめ,自分のなすべきことを見つけるために,柵を跳び越えた・・・私にはそう見えました。(これは,決してファンの身びいきではないと思うんだけど・・・)

で,その少年がどうなるかというと・・・ご承知のとおり,愚かにも妖女に骨抜きにされて,身ぐるみはがれてしまうわけです。

・・・・・・・・・話に説得力がない・・・(笑)。

もちろん,「世間は甘くなかった」というコトで,純真な少年がそれゆえに騙され,スポイルされて転落の途をたどる,というお話もあり得るわけですが・・・ルジマトフの場合,そうは見えないのよねえ。酒宴中も,あまり調子に乗っているようには見えないしー。

・・・というより,たぶん,今回の上演は,2場(シレーンとの場)が少々緊迫感に欠けていて,だから説得力に欠けたのだろうと思います。

このシーン,ルジマトフは,段々シレーンに惹かれていく前半は,「かわいい♪」の一語。
奥のテーブルに両腕を置いて,顔だけ出してシレーンに見とれていたのが,次は上半身が見え,立ち上がってしまい,テーブルの上に乗り・・・という一連の動きが,実に魅力的でしたが,シレーンと絡むシーンから,あたかも磔刑のように柱に捕らわれ,身につけていたものすべてを奪われるあたりは,率直に言って,段取りの芝居に見え,舞台に引き込まれませんでした。
これは一つにはボルドー・バレエのダンサーとの初共演で演技が上手くかみ合っていなかったコトもあるでしょうし,マハリナが,(輝いてはいたけれど)人間の女性であって,得体の知れない不気味な妖女ではなかったせいもあるでしょう。
そして,それ以上に,ルジマトフが準備不足だっだのではないかしらん。たぶん,舞台ではまだ3回しか踊っていないし,病後だし・・・。

すべてを失い,文字通り這って舞台から去るルジマトフの姿,杖にすがって家にたどりつく姿は,痛々しくも美しく,それはもう感動的。こういう姿が彼以上に似合うダンサーはいない・・・(と,私は思う)。
現れた父親の姿を見た瞬間,反射的に身を翻して背を向けてしまうが,一歩一歩膝でにじり寄り,すがりついて受け入れられる・・・そのシーンの緊迫感もすばらしかったです。

でも・・・私の頭の中には大きな疑問符が・・・。
あなた,おとなしい息子になっちゃっていいの? 家を出ていったときの,あの気概はどうしたの?? 世間に負けて,家の中に逃げ込んじゃって,それで後悔しないの???

そんなコト言ったってそういう作品だからしかたないとは思うものの,このシーンを見て,お父さんが受け入れてくれてよかったとは,私には全然思えなかったのです。
たぶん,家を出て行くまでの蕩児が無分別なバカ息子であれば,原作(と呼んでいいのか?)のとおり,世間を知って目が覚めてよかったね,と思えるのでしょうが,冒頭のルジマトフは決してそうではなく,勇敢な有為の少年だったから・・・。あの少年が傷ついたとき帰るところが父親のもとだったというのは,それが家族のありがたさなのだろうとは思うけれど,でも,もし彼がこのまま家で,あの柵の中の世界でおとなしく暮らすとしたら,私は絶対イヤだなー。
彼を傷つけ,すべてを奪い,少年の輝きを失わせた外の世界も憎いけれど,狭いムラ社会の中に彼を閉じ込めようとしたお父さんも,彼の前途を奪ったという意味では同罪なんじゃないかしら?

って,話を発展させすぎですね,すみません。
ええと・・・つまり,ルジマトフの今回の表現は,最初の前向きの少年像があまりに印象的すぎたために,その後の話の展開で辻褄が合わなくなったのではないか・・・と思ったというコトです。
だからといって,軽薄な蕩児そのもので出てこられたら(いや,彼の個性からして,そうなるわけはないけどー)ファンとしては嬉しくないわけで・・・。(悩)

 

もちろん,彼の『放蕩息子』を見られたこと自体は,喜んでいます。
2日間だけの公演のためにボルドー・バレエから装置とコール・ド・バレエを借りるという離れ業まで駆使して上演してくれたことは,ファンとして,本当にありがたいことでした。
それに,何といっても『アルビノーニ』が本当にすばらしかったので・・・ああ,見られてよかったわ〜,来られてよかったわ〜,と思いながら会場を後にしたのでした。

(02.8.14)

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