2002年04月 かきかき 以前のページへ

4月28日 (マシュマロ)
スワンプツアーに行ってきた。20ドルで1時間半のツアー、リーズナブルだけど結構楽しめた。アリゲータにマシュマロを投げまくるガイド、投げ込まれたマシュマロに向かってくねくね泳ぐワニ... ちょっとイメージとは違ってたけど、アリゲータがマシュマロ好きとは驚いた。今日見た一番大きなアリゲータは2メートル弱くらいだったかな、そいつはマシュマロには見向きもせずチキンしか食わんやった。ついでにニューオリンズに行って、ワニのガンボ
(ルイジアナの郷土料理)食ってきた。久しぶりの遠出、ワニづくしの一日だったよ。

4月26日 (オーラ)
冷凍の「鯖のぶんか干し」を韓国食材屋で買ってきた。「ぶんか干し」以外、すべでハングル文字ってのが相当怪しい。パッケージの放つ不気味さにまだ日本人は誰も買ったことが無く、もし旨ければ貴重なタンパク源の発見である。

バトンルージュで定番となりつつある冷凍「ウナギの蒲焼き」も、最初に食ってみた人の勇気はバトンルージュ名誉市民級。濃いイエローのビニルパッケージ、そしてパッケージの透明部分から透けて見えるコントラストの強い蒲焼きの焦げ茶色、パッケージに踊るハングル文字、まるで黄と黒のシマシマ模様の猛毒ヘビ同様の怪しいオーラが放たれている。でも最近はそのパッケージを見て「うまそ〜」と感じてしまう自分が怖い...

4月24日 (刹那)
昨日の話の続き。Y口取締役の口から英語版オヤジギャグが放たれ、一流のオヤジギャグは国境をも越えることが証明された直後に事件は起こった。

アメリカ人は記念グッズを作るのが好きで、本プロジェクトも例に漏れずプロジェクトロゴの入ったキャップ
(野球帽)を製作し、メンバーに配布。黒々とした毛髪にパサディナでの9ヶ月間の長期観測に於いて全く髪型が変わらなかったI社長、なんとそのプロジェクトキャップを慎重且つ丁寧に、細心の注意を払いながら頭にかぶせたのだった。ストラップを緩めに設定し、ざっくりと被さったキャップが郷愁を誘う。刹那に形容し難い緊張が会場を包み、若手メンバーは皆目頭が熱くなるのを感じた。

いくら名作ヅラの誉れ高いファーザ・オブ・バカボンとはいえ、キャップとの組み合わせが最も危険であることは年端のいかぬ子供でも知っている。男なら100%勝ち目のない戦に挑まねばならぬ時がある、恥ずかしながら2日連続大和魂を感じずに入られないメンバーたち。キャップを脱ぎ損じることの無いようにとの思いでメンバーの心が一つにまとまっていくのを皆感じた。「One for All、All for One」スクールウォーズのテーマ曲が、若手メンバーの頭の中を流れていた。

4月23日 (越境)
昨日、現場工事の鍬入れ式がとり行われ、東京よりY口取締役と柴やんの好きな
(子会社の)ヅラ社長がサイト訪問。メインイベントの鍬入れの儀式の際、Y口取締役が「えいっ、えいっ、えいっ」と気合いのかけ声とともに鍬を入れるとアメリカ人は大喝采、恥ずかしながら男・Y口取締役に大和魂を感じてしまった。そのしばしのちアメリカ人の来賓から「ぇいっ?、ぇいっ?、ぇいっ??」と質問を受け、会場の大反響に気をよくしたのかY口取締役の口から「A、A、A、not B、B、B」という英語版オヤジギャグが炸裂、会場はE藤さん真っ青のサブサブハリケーンに見舞われた。浮かれる取締役に静まる観衆、一流のオヤジギャグが国境を越えた瞬間だった。

...ヅラネタは明日のお楽しみ。

4月21日 (36)
釣れた、純アメリカ産ブラックバス。なんと1ヶ月ぶりの釣行、あの水の濁り具合に絶望してたからちょっと嬉し。あんまり大きくはないけど、36cmととりあえずまともなサイズ。アメリカでちゃんとしたバス釣ったの実は初めてかもしれん、こないだのは20cmのチビバスだったし。ヒットルアーはファトラップラパラ シャローランナーのSFR-5 S( シルバー)。極浅のLSUレイクで使えるプラグは、これしかなかったりもする。最近このシャローモデルが復活したようだから、無くなる前に50個くらい買いだめしとかないと...
(笑)

フルカヴァード・ジャケッティッドが今日バトンルージュ入りした模様。またヅラ話でI上と盛り上がってしまった。

4月18日 (更に同情)
ポンティアッくんかわいそ、何故かどの他のリースカーよりもシンディおばさんに気に入られている。外出の度にちょくちょく借りに来て乗ってくけど、このシンディが香水臭く、やつが乗った後は3日間は臭いがとれない。シートにやな臭いが付くポンティアッくんも可哀想だが、3日間も暑いのに窓を開けて走らねばならん俺とI上も結構かわいそ。頼むからトーラスに乗ってくれぇ〜。

先日何故かシンディが香水臭くない日があったが、やつが乗った後は死ぬほど汗臭かった。これなら臭い香水の方がごく僅かではあるが、かろうじてマシのように思ふ。あまりの臭さに幼い頃の楽しい思い出が3つ消えた、しくしく。おまけにやつの乗った後にはポンティアッくんのボンネットにでっかい鳥のフンが鎮座してるし、まったく恐るべしシンディ。今週末に洗ってあげるからね、壊れないでねポンティアッくん...

4月17日 (同情)
ポンティアッくんかわいそ、3,000km近く走行してるのにまだ一度もオイル交換してもらえない。こいつはリースカーで、レンタカー屋が連絡してくる時に交換するのが使用者の義務。...てなわけで、新車だろうが何だろうが走行距離に関係なく半年に一回くらいしかオイル交換はしてもらえない。後4ヶ月の辛抱だ、ポンティアッくん。もし俺が買った車だったら、とりあえず500kmと1,000kmと2,000kmの、少なくとも3回はオイル交換してるってのに。

クソ安い鉱物オイル入れられて、1年中こき使われたんじゃお前もやってられんだろ。それにしてもレンタカー屋とは最悪の就職先だな、お前もたまには100%化学合成のマルチグレードオイルで走りたいだろ。...壊れたくなる気持ちも分からんでもないぞ。でも甘ったれんじゃないぞ、ご主人様も安い給料でこき使われてんからな。お似合いだよまったく、とほほほほ。

4月16日 (給油)
会社からアダプター持って帰ってくるの忘れた
(涙)。メビウスの内蔵電池は持続時間40分という貧弱さ、カタログスペックで1.5時間だから実作動時間はそんなもんだろう。オプションのリチウムイオンシートバッテリー使っても1時間ちょっとと、無いよりマシ程度。なんでも近々燃料電池が携帯電話やモバイルパソコンに採用されるって話だけど、パソコンにメタノール給油する日も近いんだろうか。...待ち遠しいね。

4月13日 (くらげ)
シアトルマリナーズ対テキサスの何とかいうチームの試合をTVで観てたら、伊良部が先発登板してた。伊良部太ってるね、二重あごにビールっ腹、スポーツ選手とは思えん風貌。メジャー時代の江夏よか全然太ってるよ。日本でも十分デブだったけど、ありゃどう見ても太りすぎ。野茂も佐々木もメジャーに行って体が引き締まったってのに、伊良部はあれじゃぁねぇ... ありゃ成績が芳しくないのも頷けるってもん。

4月11日 (高速接続)
凄いぞGRIC、52kbps!アメリカで使ってるSo-netのローミングサービスの接続先がGRICに変わった。いままで24kbpsとか信じ難い接続速度だったのが、何と倍速の52kbps。GRICが良いのかアパートの電話回線が良いのか分からんが、とにかく感動。56kモデムで52kbpsなんて日本でも無かったよ
(・・)。 ...でも「ありがとう浜村淳」は20kbpsのストリーミングだから、別に早くなったと感じることはないんだけど。

4月9日 (親子丼)
スシバーFuji、玉砕
(;_;)。ランチの親子丼を食べに行ったんだけど、先日の期待とは裏腹にまずっ。醤油かけないと食えんくらい味薄っ。こんな親子丼に11ドルも払えるかっての、俺の作る焼き飯の方がよっぽど旨いわ。数少ないランチメニューのカツ丼、鶏カツ丼、親子丼の3メニューが撃沈。トッチャン坊やみたいな日本人シェフが居るんだけど、おまえが作らんかい!

4月7日 (引っ越し)
今まで5ヶ月滞在したホテルもどきから、ちゃんとしたアパートに引っ越し。こりゃ快適、あのぼろホテルとは天地の差。今度のアパートはパサディナで住んでたトコと同じ2ベッドタイプ、だけどパサディナん時より広くて綺麗。I上くんという食器洗い係を手に入れ、快適度更にアップ。...おぉっ、I上なんかおらんでも憧れの食器洗い機が付いてるやんけ。インターネットにもダイアルアップ一発でつながるし、もっと早く移れてたら良かったのに
のにのに... でも接続速度は26kbpsと信じられないほど遅い。接続先の番号変えると少しは速くなるかな。

4月5日 (Sushi Bar Fuji)
Baton Rougeにはこれまで"Kamado"一軒しか日本料理屋が無かった。"Kamado"もちらし寿司以外のメニューは不味くてまともに食えん。天ぷらうどんはみそ汁にうどんと天ぷらが浸かってるという、日本食に飢えたI上の箸をも止めるB級ぶり。日本料理もどきの"Koto"ってのもあるが、あれはアジア料理風ではあるが日本料理風ですらない。

その激戦
のBaton Rouge日本料理界に殴り込みを掛けたのが本日オープンの"Fuji"、圧巻っす、参りました。"Miso Yaki"ことスズキの西京漬けの美味たること、鉄人道場六三郎のごとし。"Tatsuta Age"こと若鶏の唐揚げのこおばしきこと、日新製粉唐揚げ粉のごとし。あの西京漬けのほのかな酒粕のかほり、頼むからメニューから消さないでおくれ〜。なんでもっと早くおーぷんしてくれなかったんだ、もう日本になんて帰りたくないよぉ〜。3人で90ドルのところ、チップ大弾みで120ドルも払ってしまった。...酔ってたかもしれん。

4月4日 (定説)
俺は昔から酒をたくさん飲むと、足がこちょばくなる。高専時代はビール大瓶4本が目安で、4本を超えると足がこちょばゆくなって陽気になってた。でも最近は大瓶2本で足がこちょばくなる、どうも酒に弱くなったらしい。変な目安だが、酒を飲んで一番先に自覚する変化なのだ。友達と岡村靖幸のライブビデオ「LOVEφSEX」を見ながら酒を飲み始め、2順目の中頃
(...その頃はもう全然見てない)で足がこちょばくなるのが俺の定説だった。岡村靖幸のビデオ買う前はP・SYSのライブビデオ(ううぅ、タイトルが思い出せん)見ながら酔うのが定説だった。日本に帰ったらレーザーディスク引っ張り出して、久しぶりにP・SYSのライブビデオを見てみよっと。ヴォーカルのチャカは今、何処で何してるんだろ?

4月2日 (あの頃2)
1990年7月11日、長崎大学の編入学試験を受けに俺は長崎を訪れていた。編入学試験の前後、長崎のユースホステルに2泊したが、後にも先にもユースホステルに泊まったのはこの時だけ。急な階段を駆け上った、高台にあるユースだった。安いのはいいが4人部屋で、おまけにエアコンも付いて無くてよく寝れなかった。インターネットの普及していない時代にどうやってここを調べたのかは覚えていないが、俺は二度とユースホステルなんかに泊まるものかと誓った。

結局寝不足のまま試験を受けたのだが、受験者はたったの3人。筆記試験と面接試験が行われ、面接試験は15人の教官に囲まれ質問を受けた。記憶に残っている質問が、「ペレストロイカとは、日本語に訳すとどういう意味ですか?」、「野球のナイターを英語ではどう言いますか」だった。答えは「革命」と「ナイトゲーム」、これにはどちらも答えることが出来た。面接官の話では16名の応募者がおり、その中から書類選考で3人に絞ったらしい。...成績の芳しくない俺にとっては書類選考を通っただけで奇跡に近い。

ユースホステルのおばちゃんに「なんばしよっと」と尋ねられ、長崎大学と九工大を受験する話をすると、「長崎大学を受ける人が、九工大なんか受けて受かるの?」らしき内容の事を強烈ななまり混じりに言われた。おばちゃんによると、長崎大学なんかよりは九工大の方が全然難しいらしい。厳しい指摘ではあったが、大学受験超初心者の俺にとっては貴重な意見、まったく知らんやった。...2週間後に試験結果が到来、もちろん落ちてた。

編入試験の後、長崎の街をぶらぶらと歩いているとき、SBS長崎
(スズキの販売店)でブルーメタリックのバンディットを初めて目にした。あまりの洗練されたデザインとカラーリングに痺れた。俺は進学するにしろ就職するにしろ、こいつを買うことに決めた。それから3週間後の8月4日、新車のブルーメタリックのバンディットが俺の所にやってきた。初めて彼女が出来たときよりも嬉しかった。俺の初めての愛車、19歳の夏の日のことだった。

4月1日 (あの頃)
ネットサーフィン(...死語?)してると、今日ロドスタ納車って人の書き込みがあった。いいねぇ、俺もロドスタを納車した頃を思い出すね。あれは忘れもしない1993年8月17日、天気予報は雨のち曇だった。「こりゃいかん、オープンカーの納車が雨なんて縁起が悪すぎ!」と、急遽俺の愛用のびのびヘインズTシャツを捧げ、入魂のてるてる坊主を2個作った。てるてる坊主くんはいかんなく力を発揮し、冗談のように爽やかな晴天での納車となった。納車当日は今の嫁さんとユーノス霧が丘までロドスタを取りに行ったんだ、バンディットに乗って。...俺も若かったな。


俺はどんな車より1600ccのロドスタが欲しかったんだ、GTRやNSXなんかより全然欲しかった。寮が一緒だった柴やんは知ってるよね。一番欲しい車を買ったんだから、そりゃ嬉しいに決まってる。だからずっと大事にし続けられてるんだと思ふし、今後も手放す気はない。今でもテンロクのロドスタより欲しい車は思い当たらないな、次期セブンはNAロータリーを積むらしいから、それが売り出されるとホントに買うかも。でもセブン買ってもロドスタを売ることはあり得ないね、「売るなら新しい方から」が俺の鉄則。それに長く乗ってると、いろいろな思ひでも詰まってくるし。...マーチは別ね、便利カーにこの鉄則は適用されません。

某NCDの榊Bさん
(当時)と、"やめとけ骨折れる"の伊勢原工場から、ロドスタに一緒に乗って相模原の隠れ家まで送ってったこともあったっけ。榊Bさんと「和製プリンス岡村靖幸」話で盛り上がったんだよね、懐かしすぎ。元気にしてるかな、会社はうまくいってんのかな、榊Bさん。