「ああ、これだ。これが欲しいんだ。龍麻!」
「これって……」
またしてもデジャヴ。
どこか覚束ない足取りの紅葉の腕を絡め取るようにして歩けば、紅葉が指差したのは以前も
訪れた中国宝飾を扱う店。
ガラスケースの中に鎮座する指輪を食い入るように見詰める紅葉に、強欲の印象が強い店主
もドン引きの様子だった。
金には全く不自由していないので、定価買いをしてもいいのだが、これなら値切りの主導権は
こちらで握れるなぁ、と思いつつ。
「この中のどれだ?」
何かに憑かれたような眼差しの紅葉の視界に己を割り込ませながら尋ねる。
紅葉は瞬時、何時もの怜悧なくらいの瞳を見せて。
すぐに、ぼうっとした眼差しになり。
「ここから……ここまで。九個欲しい」
ガラスケースの上で指をつつっと滑らせる。
「ああ。いいぜ……翡翠のグレデーションが綺麗だな」
「うん……そうだね。綺麗だね」
指輪を見詰め続ける紅葉の腰を抱き抱えながら、店主と値段の交渉をした。
常ならそんな事は言わないのだろう店主は、数を買ってくれたから値引きをすると自ら言い
出して、店員が目を見開く側、震える指で指輪を丁寧に梱包し出した。
「あ!」
「な、何でございましょう!」
突然上がった紅葉の声音に飛び上がった店主は、恐る恐る紅葉に問いかけてくる。
声が上ずっていたが紅葉は、全く気がついていないようだった。
「この指輪は……付けて行きますので、梱包しないで頂けますか」
「はい! どうぞ」
店主は気を利かせたのか、紅葉が怖かったのか俺に指輪を差し出してきた。
「どの指が良い?」
「そう、だね……小指がいいかな。左手の」
「如月の指輪が薬指だからか?」
「うん。二人とも仲良かったから。隣り合わせにした方が良いだろう?」
前回は確信までには至らなかったけれど。
やはり紅葉は指輪を俺が殺した相手にみたてているらしい。
しかも、何時もの紅葉だったなら、俺を怒らせるような事ならば何事もなかったように否定した
だろうに、それをしない。
俺が思っている以上に病んでいるのだろうか。
「……紅葉?」
「なんだい?」
愛しそうに両方の指輪を撫ぜ、宝物をしまう手つきで懐深く他の指輪を仕舞い込んだ紅葉が
愛らしく首を傾げる。
心配をかけまいとする仲間の前でもこの姿かどうなのかを見極める為にも、俺は一つの提案
を出した。
「ちょっと調子悪いトコがあるから、舞子ん所行こうぜ」
「君が調子悪いって? ……早く行かないと!」
俺を心配する心根までは歪んでいないのだろうか。
蒼白な顔で俺の指を握り直す紅葉に、胸の内で大きく安堵しながら二人で桜ヶ丘中央病院
へと向かった。
「わあぃ、ダーリンだぁ♪ 久しぶりぃ。紅葉くんも、元気だったぁ?」
産婦人科に男二人で訪れるのもどうかと思うが、仕方ない。
診察待ちの女達の好奇心に満ちた目線をまるっと無視して、駆け寄ってきた舞子の身体を
抱き締める。
出る所が出た、女の体。
こいつは高校生の頃からナイスバディだった。
紅葉に出会うまでは下半身的なお世話にもなったもんだが、紅葉に出会ったから彼一筋。
宿星の絡みだけでなく、緋勇龍麻一個人として、壬生紅葉だけが愛しいのだと。
何物にも変えがたいのだと。
きっぱり言い放てば、懐の深い舞子は笑って『運命の相手に出会えて良かったねぇ〜』と無
邪気に微笑んで、俺の女の一人から文句の一つも言わずに降りた。
そう。
文句を言わなかったのは、舞子ぐらいだ。
他にも頻繁に手を出していた亜理沙は口と同時に手が出た。
『紅葉が相手じゃ仕方ないけどね!』と派手な平手打ち。
見事な紅葉形が残ったものだ。
紗夜には『別れるなら、貴方の子供を下さい』と土下座された。
選んだ相手が紅葉でなかったら、きっと孕むまでSEXを強要されただろう。
今でこそ落ち着いているが、別れを切り出した当時は紅葉を殺しそうな勢いだった。
情の強い女だと知っていたがこれほどとは思わなかったので辟易した。
……うぜぇよ! と一言浴びせかけた時の絶望に満ちた眼を今でも覚えている。
それぐらいには気に入っていた女だったのだ。
無論、紅葉とは比べようがないのだけれども。
相手がいるのを承知で手を出していたのは三人。
雛乃は静かに涙を零して、わかりました、と頷いた。
雪乃は血が滲むほど唇を噛み締めて、紅葉を泣かすなよ! と睨みつけてきた。
桃香は、捨てないで! 何でもするから! と縋り付いてきたので、俺の目の前、紅井と黒崎
にサンドイッチで犯させたら快楽に堕落した。
その後も紅井と黒崎は二人で桃香を溺愛しているので、終わり良ければ全て良しと言うもの
だ。
つまみ食い程度の女達には連絡の返事を一切絶っただけで方が付いた。
もともと、携帯のメアドしか教えていないので簡単だった。
「うん。僕は元気だよ。ただ龍麻が……」
思考の小道にそれていたのを紅葉の声で引き戻される。
「……ああ、ちょっと調子が宜しくないんで、先生の手が空いたら診て貰いてーんだ」
「ダーリンの調子が悪いなんて! ちょっと待っててね! 先生に言ってくるからね!」
「おい、舞子! 後で良いんだって!」
「……行っちゃったね?」
この病院の院長である岩山たか子は、外見は頂けないがその能力は優秀この上ない。
紅葉の歪みも正確に診断するだろう。
「ダーリン? 取り合えず顔だけ見せてって」
ほとんど間もおかずに舞子がひょこりと顔を覗かせる。
周囲の患者が怪訝な顔をしたが、俺が冷ややかな微笑を浮かべて待合室に目線を投げれば
100%の確率で、待っていた女どもは惚けた顔になった。
本気など出さずとも一般人の女くらい簡単に落とせる。
潤んだ瞳の奴等は好いた相手の子を孕みながらも俺に抱かれる妄想に浸ってくれるだろう。
妄想は気持ち悪いが紅葉に気を取られなければそれでいい。
最も現時点ではぶっちぎりで最高の暗殺技術を持つ紅葉だ。
産婦人科で男一人座っていても、全く違和感なく気配を消せるのだが。
俺の手で、紅葉を守りたかった。
「んじゃ、悪いけどちょっとだけな。舞子は紅葉と一緒に居てくれないか」
「うん。いいよ〜」
「でも、高見沢さんには仕事が……」
「今は〜紅葉君と一緒に居るのが舞子の仕事だよ? それとも紅葉君は紗夜ちゃんと一緒
の方がいいかなぁ〜」
「舞子さん!」
「ふふふ〜冗談だよぉ」
何やら和気藹々と会話を始めた二人を視界の端で確認してから、診察室に入る。
「ん? どうした。別に具合が悪そうには見えないがね」
でっぷりとした身体を特注であろうしっかりした椅子に預けながら目を細めた岩山の、気を
読む特殊能力はずば抜けている。
今も入ってきた俺の、恐らくは澱みなく流れる気を一瞬で把握したようだ。
「ああ。悪いのは俺じゃない」
「……紅葉か」
「そうだ」
「……何をしたかは聞かないが、色々と噂は聞いているよ」
「紗夜か」
「そんな怖い顔をしなさんな。紗夜はアンタが心配で仕方ないんだよ。振られても尚惚れ抜い
ている女なんだ。少しは気にかけておやり」
「悪いが俺には紅葉しかいらない」
紅葉以外に気にかけるなら自分に都合の良い女の方に決まってる。
面倒な紗夜よりは、健気な舞子を構うだろう。
「全く。紗夜も舞子も……こんな鬼畜のどこがいいんだか」
「SEX」
「……それが一部事実だとわかるのが、世知辛いやね」
「で? 診てくれんのかよ」
「当たり前だろ! でも……時間がかかる気がするんだ……夜にまたおいで」
「診察時間終わってからでいいんだな」
「ああ。今日は今いる患者だけで終わりにするよ」
「悪りぃな」
「お前のためじゃない。紅葉のためさ」
「……俺はアンタにまで妬きたかぁ、ねぇよ?」
「心配しないでいい。紅葉にも選ぶ権利はあるだろう」
にぃ、と笑った顔は醜悪の一言に尽きるが、彼女は信頼できる医者だ。
それ以上でも以下でもないと、信じさせる微笑だった。
「わかったよ。また後でくっから」
くるっと踵を返せば、岩山は何事もなかったように本来診察すべきだった患者の名を呼んだ。
「んじゃ、今度はお前の番な」
「僕も?」
「説明したろ。俺の異変にはお前が強い影響を与えてるって」
律儀に診察終了の連絡をくれた岩山の指示した時間に再び病院を訪れた。
最初に俺が入って、適当に無駄話をして紅葉を診察室へ送り込むべくその背中を押す。
暗殺者という立場がそうするのか、母親への罪悪感がそうするのか。
病院はさて置き、自分への医療行為が苦手の紅葉は、俺絡みだというのに珍しい難色を示
した。
「でも……」
このままでは押し切られるかもしれない。
また、日を改めた方がいいかと考える頑なな紅葉の様子に見かねたのか、紗夜がやってくる。
「壬生君? ちょっと龍麻と話をしたいんだけどいいかしら」
「あ! かまわ、ないよ」
「少し時間がかかるの。その間、壬生君が岩山先生の所へ行って貰える?龍麻の事で色々
と聞きたいそうだから」
紅葉を調べたいのではなく、龍麻の事を聞きたいのだと、しかも紗夜から言われてしまえば、
紅葉も諦めるしかない。
紅葉は紗夜が、龍麻に惚れ抜いていると知るまでは彼女に、淡い恋慕を抱いていたのだから。
久しぶりの更新ですが、話がちょっと本筋からずれていて進まない気分です。