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  笑門福来(わらうかどにはふくきたる)


 
 「一度、ちゃんとした着物って着てみたいんだよな」
 いつも通りに抱き合った後、紅葉がパジャマのボタンを止める手を拾いながら指に口付けて、そのまま
ぐいとばかりに手首を引き寄せた。
 「着物……浴衣とかでは、なくて?」
 俯いて再びボタンをかける作業に没頭しても、俺の手の中に何の抵抗もなく収まった紅葉が、のんびり
とした言葉の端々に今日も激しすぎた行為の余韻を残して問い掛けてくる。
 「うん。浴衣なら如月んとこで着せて貰ってるだろ?如月の家の効果ってのも勿論、如月の人徳なんて
  のも手伝ってるんだろうが、なんだか着物を着ているとやけにリラックスできる気がするからさ。一度
  正式な奴にチャレンジしておきたいかな……ってさ」
 汗ばんだままにしっとりとした髪の毛に顔を埋めつつ、ふっと息を吹き付ける。
 「ぬるいよ…龍麻…」
 熱いよ、と言わない所が紅葉らしい。
 まだ鮮やかな赤いキスマークを隠すようにきっちりと首の付け根までボタンをし終えた紅葉の指が、そっ
と俺の唇に触れてきた。
 「如月さんにお願いしてもいいけど…どうせなら初詣で着物でも着てみるかい?」
 「うん!……って。紅葉は自分で着れるんだっけ?」
 そういえば寝相が悪くて帯からはだけてしまう京一や、景気良く自分好みに着崩した村雨なんていう対
極の例外はさておき、如月宅に程好く生息するメンツの中で、紅葉はあまり如月の手をわずらわせずに
浴衣の襟を合わせていたっけ。
 「……母さんが教えてくれたから一通り、自分のぶんぐらいならね。人の分は…たぶん上手にできない
  と思うけれど……龍麻なら父さんの残した着物とか、丈があいそうだから…それで、良ければだけど?」
 “死んだ人間の形見なんて!”と忌避するほど神経質な性分じゃあない。
 むしろ“紅葉のお父さんの着物なら喜んで!”ってなもんだ。
 もしかしたら生前その着物を羽織ったお父さんが、小さな紅葉を抱き上げていたかもしれないなんて想
像した日にゃ……嬉しい気持ちを持ったとしても、気持ち悪いなんて感情は絶対に抱かない。
 「良いにきまってるじゃん!…あ…でもするってーと。俺は誰に着物を着せてもらうんだ?」
 「母さんが…喜んでやってくれるよ。僕は自分でできるからね。ちょっと前にも“最近紅葉が着付けをさせ
  てくれないから、つまらないわ”って言ってたし」
 「そうして貰うと俺は本当、ありがたいけど。初詣って夜から行くだろう?そんな時間までお母さんを起こ
  しておいて平気なのか?」
 だいたい病院には面会時間って奴があったと思うんだけども。
 「大丈夫だよ。最近身体の調子はだいぶ良いしね。御門さんを通して秋月系列の完全看護の所に移って
  から色々と……わがままも聞いて頂いてる」
 「持つべきものはツテ・コネが強い友人様ですな?」
 そういえば、そんな話も聞いていた。
 紅葉が一人住まうマンション……ついでに言うとここも御門経由・マサキちゃん系列の一人暮らし仕様
高級マンションだったりする……から拳武館高校へ行く中間地点に病院があるので、以前よりも頻繁に
お母さんを見舞えるらしい…なんて現状は、二人きりの時間を過ごす中で紅葉がぽつぽつと話してくれ
る。
 以前紅葉が拳武館高校へ通い、暗殺といういわば悪の所業を手に染めている事態を、額面通りに受け
取った奴がお母さんを責める言葉を吐いて以来。
 紅葉は俺以外に、お母さんの話を全くといっていいほどしなくなった。
 売り言葉に買い言葉というわけでもなかったけれど。
 京一が言わなければ誰かが言ってしまったのだろうセリフは、静かな微笑と共に紅葉の口を封じてしま
った。
 あのミサにまで“蓬莱寺君の、う〜か〜つ〜屋さんめ〜♪”と言われた京一は傍目から見ていて“何も
そこまで!”と慰めたくなるほど、深く反省して一切の言い訳もせずに、謝りに謝り倒したが。
 紅葉は『もう、いいよ』とは。
 決して口にしなかった。
 京一が京一なりに…あいつは、ああ見えても人の痛みにひどく敏感な奴だから…紅葉を大切にしてい
てのセリフを否定できるほど、紅葉自身が己の行動に自信が持てていないのと、たぶん今後自分が不
用意に放してしまった仕事絡みの些細な言葉で、誰かに嫌な思いを。
 痛い、思いをさせたくはないから。
 「御門さんには感謝しているよ。勿論秋月さんにも、村雨さんにも……芙蓉さんにも」
 「芙蓉?」
 前の三者はわかるが、無用に元は少し意外な気がする。
 芙蓉は御門の式神。
 御門の言う事ならば命を賭してでもその命を全うするが、それ以外の事には指一本、髪の毛一筋動かさ
ない存在だったはず。
 「御門さんが用を言いつけない時は、よく見舞ってくれるんだ。病室で何度もかち合ったよ」
 「ふーん。俺らと関わってあいつも俗っぽくなったけど、それはびっくりだわ」
 舞子や亜里沙から、芙蓉と一緒に行動している話はよく聞いていたが、それは何だかんだ言っても宿星
のなせる技だと思っていたのだが、どうやらそうでもないらしい。
 よもや宿星とは全く関係ないところで、芙蓉の感情がそこまで動かされているとは……。
 「良い事だよ、龍麻」
 浮かんでしまった眉間の皺を伸ばすように、紅葉のしなやかな指先が動く。
 俺が嫌な思いをしかけた時の紅葉の反応は打てば響くようだ。
 俺の気がやわらぐように、そっと触れてくる。
 「人としてはな…。でも式神としては…きっついんじゃねーのかな。 所詮は御門の掌の上、踊らざる得
  ない偽りの命だ」
 「そういう言い方はないだろう?御門さんだって芙蓉さんをとても、大切にしているんだから」
 「そりゃそうだろうさ……芙蓉は大切な、駒……だからな」
 「龍麻っ!」
 叫ぶ声が酷く剣呑な色を帯びる。
 紅葉の妙にいい人っぽい所は大好きだったけど。
 少なくとも怒らせるようなことを言った覚えはない。
 俺的に言わせて貰うなら、芙蓉が人手あることは願ったり叶ったり。
 あれだけ純粋な存在が人として生きられるのならば、芙蓉と出会えた俺の人生、捨てたもんじゃない……
そうだろうが?
 けれど、御門は芙蓉を人にしておくほど、己の意思を持たせてはいない。
 俺が持つ黄龍の宿星とは比べる質が違うが、御門はああ見えても、呪術など怪しげなモノの集大成とし
て嘲笑される現代においてすら“あそこだけは、本物だ”と畏怖と敬意を込めて崇拝すらされる土御門家
の末裔。
 「自分を駒であると思い込んでいる紅葉が、芙蓉に同情するのならば、俺は自分が慈しんでいる存在
を駒として扱わねばならない御門にこそ同情するさ」
 激情を押し殺す日常に慣れた男は、皆、御門のようになってゆくのかもしれない。
                  
 『後悔なぞ、するくらいなら。遠の昔に家を、血を……御門の名を……捨てましたよ』
 まがりなりにも、人として愛しいモノを覚えて戸惑う芙蓉を、御門はいつでもやらわかな、親が子を思う打
算のない微笑を浮かべて見つめていた。
 その穏やか過ぎる微笑の真意を知りたくて、芙蓉の変化を、式神が人に変わってしまう状況をどう、憂う
のかと尋ねた時の返答は。
 迷いの無い即答。
 『変容はいかなものでも、忌むべき必要はありません。停滞よりはずっと良い状況でしょうね』
 『意思を持つ駒を動かすのは、たやすいものじゃないぜ?』
 どこまでも表情を動かさなかった御門は、ぱさりといつも持っている扇子を口元で広げて。
 『駒を御し切れない主こそ、滅びるべきではないですか?』
 目元も鮮やかに、笑って見せた。
                  



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