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 忠犬の末路


 「最近つれないわね。紅葉?」
 洋服越しでも男を狂わせる見事な肢体と、見た目の派手さにそぐわない愛ら
しい性質を持つ彼女が、僕は大好きだ。
 「犬をね、飼い始めたんだ」
 だからこうして、寝る間も惜しんで励まなくてはいけない仕事の合間を縫って
喫茶店で、スコーン付の紅茶なんかを飲んでいる。
 「え?紅葉のアパート動物平気なの?」
 「まさか。だから拳武で。あそこなら、僕がいなくても面倒をみてくれる人がい
  るし、ね」
 「あ!なるほど。そーゆー手もあるのね」
 何も知らない彼女は嬉しそうに微笑んで、相槌を打ってくれた。
 「もう成犬……といってもいいくらい育っているんだけど。僕以外にあまり懐か
  ないから、それなりに心配で。つい……かまってしまうんだ」
 僕の言う犬が、君が淡い、淡い恋心を寄せる男だと知ったら、どんな顔をす
るだろうか。
 「あらあら、愛されているのね。紅葉、犬っていうか動物好きだから。容易に
  想像がつくわ」
 知られるのが怖い、わけではなくて。
 世の中知らなくていいことなどいくらでもあるのだから。
 僕は君を騙し通すよ?
 「僕が、大好きなんだよ」
 こうやって定期的に会って、気の合う友人のふりをして。
 「私もエルが大好きよ?だって可愛いんですもの。ペットだなんて思えない。
  家族の一員よ。ずっと一緒にいたいわ」
 君が似合うと言ってくれる、穏やかな、心乱されることのない風情で。
 「うん。僕もそうだね」
 微笑むことぐらい、造作なかった。

 「ご苦労様」
 拳武館でも知る人間の少ない、地下階層も三階は隠し階段でしか行けないし、
行ける人間も決まっている。
 「あ!壬生さん。お疲れ様です!お仕事の方は?」
 「何時も通りに、今日は二件ほど」
 差し入れにと持ってきた、暖かいコーヒーと肉マンが数個入ったビニール袋
を手渡す。
 「お気遣いありがとうございます!」
 拳武では珍しい体育会系のノリで応える後輩は、大柄でどん臭そうに見える
が拳武でも十指に入る遣い手の一人だ。
 「五号室の鍵をもらえるかな?」
 「はい、どうぞ」
 何十とも知れずある鍵の中から選ばれた所々錆びている小さな鍵が、ちゃり
と、掌に置かれる。
 「様子は?」
 「問題なく。食事もきちんとされていたようですし。粗相もなさってませんでした」
 「それは上々」
 彼はここに入れられている、幾人ともしれない囚われ人の管理をもまかされ
ている。
 完全な防音で設えていても、狂気は、防ぎきれないし、夜昼関係なく溢れ出
る声無き悲鳴は、本人も気付かぬ内に精神を破壊する事もまま、ある。
 囚われ人達を管理するには、度を越した技量がなければ勤まらないのだ。
 彼は、ここ数年ここの管理に携わっていたのだが。
 「けれど、覇気がもう……真神の聖剣士のものではありません」
 「彼を知っているのか……」
 意外な接点に驚き、眉を上げる。
 「自分は剣道をやっておりましたから」
 「なるほど」
 さもありなん、という返事に軽く頷いた。
 そして。
 「今日はもう休んだ方が良い。そしてそろそろ、ここの管理から離れた方がい
  いね」
 「え?」
 「囚われ人に同情をするようでは、引き込まれるのも時間の問題だ。館長に
  は僕の方から言っておくよ」
 真っ当な人間が、いつまでもこんな所にいる方がおかしいのだ。
 僕のように、正気を保っていられる存在こそが、稀。
 彼のここでも仕事ももう、終わりだ。
 卒業したとはいえ、暗殺部で館長の次に発言権のある僕に、彼は逆らう事は
許されない。
 「わかりました。ありがとうございます」
 先ほどとは打って変わって、無気力に呟き、けれど頭だけは深く下げられる。
 「鍵は、管理室へ。しばらくは僕が保管するから」
 「はい」
 返事の後にすぐさま管理室へ向かう彼の背中を見ながら、僕は仄暗い廊下
を歩いて"5"と文字が掠れたナンバープレートの張られた、ドアに鍵を差し入
れる。
 ぎぎ、ぎぎぎぎ、と。
 重々しい音がして、扉が開く。
 そこで、僕は初めて扉の外にある部屋の電気のスイッチを入れて、鍵を抜き、
再び中から施錠をする。
 「誰、だ……壬生?……壬生!来て、くれたのか!?」
 いきなり明るくなって、目が慣れないのだろう、激しく瞬きをした彼がどうにか
僕の姿を捉えて嬉しそうな声を上げる。
 本当に、嬉しそうな声で。
 僕は何度来てもうろたえてしまう。
 「壬生……壬生、だよな?な?どうして、こっちへ来てくれないんだ?」
 うずくまっていたベッドの上から降りてきて、僕の方に駆け寄ろうとするが、彼
の行動は四肢に絡まる鎖によって制限されている。
 扉の近くにいる僕の位置までは、首が絞まるのにも耐えて懸命に手を伸ばし
ても届かない。
 僕を求めて焦る指先が、何度も。
 何度も、空を掻く。
 「そんなにがっつかないでよ。服ぐらい脱ぐ時間が欲しい」
 「俺がする。俺が脱がすから、壬生!」
 ちゃり、ちゃりちゃりん、と。
鎖が擦れる音がして僕は眉を顰める。
 手首も足首にも、しなやかな皮の拘束錠を嵌めているが、激しく動いてしまえ
ばそれは、彼の手を、足を傷つけ、血を流させた。
 「そう言って、いつもびりびりにするんだ。借り物の制服だというのに、君が駄
  目にした僕の制服、これで何着目だと思う?弁償も安くない」



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