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 消毒薬と煙草


 「……エッガー大佐?何かありましたか」
 「……よく、私だとわかりましたね。背中に目があるのかと思いましたよ」
  振り返れば驚いた顔をした大佐が、テントの入り口に佇んでいる。
 「煙草の匂いですよ。貴方の煙草はメジャーだが、マッチを使う人間は珍しいですから……
  どうぞ?」
 患者用のイスを指せば、大佐はそこにゆっくりと腰を下ろした。
 「怪我されたんじゃありませんな?坊主が何かしでかしやがりましたか」
 「……彼の著名な焔の錬金術師を『坊主』呼ばわりするのは、先生だけだと思いますよ」
 「クソガキでもいいですけどね。しかしエッガー大佐。俺はアレの保護者じゃねーんですが
 ね……」
 むしろ貴方が保護者でしょうとは、言わないでおいた。
 この人の場合、それもそうですね、とあっさり言って、あの無駄に困った奴等に懐かれる
クソガキの保護者を、正面切って買ってでかねない。
 ただでさえ、部下の人望も厚く頼られ属性にある人だ。
 マスタングまで背負い込むこともなかろうよ。
 「そう言っているのは君と、マスタング君本人だけだ。ヒューズ君まで『ロイに何かあったら俺。
 俺で無理ならノックス先生』と公言してますよ」
 「今度会ったら余計な事、吹聴すんな!って言っておきますわ」
 まぁ、ヒューズ坊も今までほとんど自分だけでアレを守ってきたみてーだから、お仲間が
できたのは嬉しいんだろうが。
 ……そうか、俺はお仲間か。
 マスタングの保護者同盟とか、その内できそうだな。
 「で?」
 どうしました、は省略。
 俺は大佐のようにこじゃれた趣味はないので、風にも砂にも強いと謳われた軍仕様のライ
ターで火を点ける。
 ああ、仕事後の一服は格別だ。
 「いえ、ね。最初は本当に雑談だったんですよ。他愛もない」
 「それを炎上させるのが、奴の得意技でしょう。焔を冠するからって、何も言葉の炎上まで
  得意にせんでもいいと思うんですがな」
 多少の若さはあるが、年齢のいった相当腹黒い相手や正真正銘の電波でなければ、マス
タングは大半の相手を論破し、更には叩きのめす事が出きる。
 奴のご立派な所は、自分が何言われても動じないが、自分が大切な奴等に害が及ぶとな
ると、攻撃モードに入る点だ。
 「怪我をした時にね。一番治療して貰いたい医師は誰だという話になって」
 「ああ。ダントツでマルコーさんだろう」
 結晶の錬金術師。
 噂では死者蘇生も可能ではないかと囁かれる、神の手を持つ御仁。
 本人は至って気さくな人なんだがな。
 一部信者が神格化してるってー、アレな話も聞く。
 「ええ。大半はマルコーさんを支持されました。けれどあの方は忙しいでしょう?」
 「だな」
 「だから、実際は無理だろうという話が上がったんです」
 「なるほど」
 確かにな。
 難しい手術には手間掛かるし、最近は閣下から直々の命を受けての特別な研究もしている
らしいし。
 忙しいのも無理はない。
 「で。マルコーさんを除外してという話になった時に」
 「まさかたぁ、思うが?」
 「ええ。彼が貴方の名前を上げました」
 「あんの、阿呆」
 俺の専門は鑑定だ。
 治療もせんじゃねぇが、専門じゃねぇ。
 
 「阿呆ですか」
 「それ以外何と言えばいいんで?」
 「いや……マスタング君も報われないな、と」
 「そりゃ、俺のセリフですって」
 俺はただ、アレが実験材料みたく扱われるのを見ていられなかっただけ。
 いわば自己満足で治療しているようなものなのだ。
 手放しで褒められたもんじゃねぇ。
 「それで皆が納得しないものだから、マスタング君、切れちゃって」
 「あーあ」
 「ヒューズ君が宥めてますけど、たぶん。こちらへ来ると思いますよ」
 「……っとに、もー。しゃーねぇなぁ。あんのクソガキが」
 「でもね。先生」
 「はい?」
 「マスタング君が消えた後で、そういわれてみればノックス医師って、少なくとも火傷絡みの
  手当ては完璧だよな、とか。口は悪いけど、怪我に関しての治療の腕は断トツかもしれな
  い、なんて話も上がってましたよ」
 「大佐ぁ」
 「勿論。私も先生の腕を信用してますから。がっつんと言っておきましたけどね」
 この人の笑顔ほど怖いものは、そう幾つもないだろう。
 認めて貰ったのは正直嬉しいが、がつんと言われた面々の事を少々不憫に思う。
 「彼と鉢合わせしたくないので、もう戻りますけど」
 「あれの落ち込みを普通の精神状態にまで引き上げるまでは、やっときますよ」
 「助かります、では」
 爽やかとしかいいようもない笑顔を残して、きびきびと去ってゆく姿は、優秀な軍人その
ものにしか見えないが、 これで案外、ひねくれたお人だ。
 そうじゃなければ、俺と親交を持とうなんざぁ、思わないだろうしな。
 「……さて、と」
 マスタングが来るんじゃあ、茶の一つも淹れてやらねばなるまい。
 あいつは、泥コーヒーに飽きると俺の所に紅茶を飲みに来やがる。
 以前、治療のお礼にと偶然貰ったのを飲んでいる時に来て、横取りされて以来の習慣だ。
 お陰で俺は、奴の為に茶葉の手配までする羽目になった。
 まぁ、輸送係の奴は運良くマスタング好きだったから、話はスムーズだったのだけれども。
 薬缶は、どでかい奴しかないので、小さな鍋で湯を沸かす。
 自分のカップに紅茶のティーパックを淹れて、湯を注ぐ。
 気がつけば置かれていたマスタング専用マグにも、新しいティーパックを一個放り込んで
置いた。
 ティーパックでここまでの味が出されば、まぁ、上等だろうという風味を堪能していると、
断りもなしに、テントの布が跳ね上がった。
 「また一人で紅茶を嗜んでますね!」
 「……俺が貰ったもんなんだから、俺の好きにしてどこが悪いんだ。しかも、ほれ。鼻の
  良い誰かさんが来るんじゃねーかと、備しておいてやっった親切なお人に、その言い草
  はなんだ?」
 「すみません。ありがとうございます」
 「感情が篭ってねぇなぁ」
 「頂けば、感情も篭ります」
 好きにしろよ、と顎をしゃくってやる。




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