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 消毒液と煙草


 「……大佐ぁ。やっぱしお互い無理があると思うんスけど?」
 「……お前なぁ。この段階でそんな事言ってどうするんだ?」
 ハボックの焼き加減は絶妙のミディアム。
 私に至っては、も少し焼いておけば良かったレアもレア。
 お互い腹部を中心にド派手な火傷を負って、ハボックに至っては、足の感覚が全くないと
いう馬鹿げた重傷具合。
 さぁ、解しも万全。
 後は入れるだけ!なんて状態で告げられたセリフでなかったら、そもそもこんな行為に
及んではいなかった。
 「今、私が欲しいんだ。お前は欲しくないのか」
 「や。欲しいっスよ。半身不随の癖にナニだけは元気なまま、なーんて笑っちゃう状況だ。
  やるしかないってーのは、ありますよ。無論」
 何より、アンタが相手だしと上目遣いは、ご主人様の機嫌を伺う犬そのもの。
 ……そこで、頬を赤く染めるな!
 恥ずかしいのは、むしろこっちの方なのだから。
 「じゃあ、いいだろうが。私なりに不安なのだよ?絶対お前の身体を元に戻す自信はあるけれ
  ど」
 万が一。
 このままだったら、どうしようと。
 目の前が真闇に閉ざされる恐怖。
 ヒューズに続いて、お前まで失ったら、正気でいられる自信がない。
 それだけ、大切なのだ。
 手離せないのだ。
 この男を。
 「……ドクター・マルコーっスか?」
 「ああ。あの方の力量ならお前を完全に元通りにできる。リバウンドなしに……あの方は、賢者
  の石を触媒として使える唯一の存在だから」
 錬金術師を目指し、めでたく成り得た人間ならば、大半が求める賢者の石。
 不安定な状態とはいえ『賢者の石』と読んで差し支えないモノを作り上げたと、本人が軍から
逃亡する前に聞いた。
 この石は封印すると、そうおっしゃっていたが。
 優しい方だ。
 真摯に頼めば恐らく聞き届けてくれるだろう。
 イシュヴァールという巨大な実験場で、道具にされたのは私だけでもない。
 ドクターとて、検証する側だったが、結局の所。
 閣下の掌で踊らされていたのだから。
 正気と良心を保ったままイシュヴァールを切り抜けた数少ない同志。
 同じ闇を見た私の願いならば、きっと叶えて下さると……信じている。
 「行方知れずスよね」
 「……潜伏場所は聞いている」
 「へ?」
 「お前が考えている以上に、私とドクターは親交があるのだよ」
 暗号で綴られた文章は、偽名を名乗って時折届く。
 今は運良く東部の端に住んでいらっしゃるとのことだから。
 私の身体が落ち着いたら、直接一人で訪ねようと思っている。
 「だから、お前の足に関してはそんなに心配していないんだ。ただ……」
 ハボックを喪うと思ったあの体中を侵蝕した衝撃を薄れさせたいだけ。
 それには身体を繋げるのが一番イイ。
 「お前を感じたいだけだ」
 「……俺だって、何時でもアンタを感じてたいっス……ただ、ね」
 言うかどうかしばらく躊躇って、歯切れ悪く言葉が続く。
 「アンタ病室でしたり、怪我してっ時にすると……俺以外の誰かを思う時、あるんスよ……気
  がついてるんでしょう?」
 「……終わった事だ。では駄目か?」
 「最初はヒューズ准将かと思ったんですけど、違うんスね……」
 「ああ、違う」
 お前に勝るとも劣らない、ヘビースモーカーで。
 濃厚な煙草の匂いに紛れて、消毒薬の香りを纏っていた、かの人。

 『……起きろ、ボウズ』
 『…センセ?』
 最近では夜ずっと、こちらのテントで眠っている。
 自分のテントなぞ、連絡事項の確認に戻るくらいか?
 部下達が指示を求めてくるのはいいとしても、上官までもが様子を伺いに迷わずこちらへ
来てしまうのはどうかと思う。
 『先刻、戦争終了の無線が入った』
 待ちに待っていた、地獄の終わりを告げる鐘の音。
 『っつ!起こしてくれなかったんですか!』
 己の耳で聞きたかった。
 『よく、寝ていたんでな……』
 そこでようやっと私は、先生が常とは違う眼差しで自分を見つめているのに気がついた。
 私をからかう風な色合いが欠片もない。
 びっくりするほど真摯な眼差しの中に、何かを惜しむような、懐かしむようなそんな色が垣
間見えて。
 私は嫌な予感に囚われた。
 そして、私の嫌な予感は外れた例がない。
 『起きたら自分のテントに戻れ。おいたは、ここまでだ』
 『ノックス鑑定医っつ!』
 今更、私を突き放すというのか?
 こんなにも溺れさせておいて!
 貴方しか、見えなくさせておいてっつ!
 『焔の錬金術師。ロイ・マスタング』
 生真面目なくらいの音。
 初めて聴きました、先生。
 できれば、聴きたくなかった。
 別れを告げる、言葉なぞ。
 『お前さん。これから道なき道を行くのだろう?』
 先生には話してあった、副官と親友しか知らなかった私の野望を。
 『ならば、老兵は捨て置け。邪魔なだけだ』
 『先生っつ!』
 『……俺には女房がいる。お前さんに、全てをかけてやれんのだよ』
 ああ、そういえばそうだった。
 先生は元々、私を正気でいさせる為に生贄になってくれていただけなのだ。
 ただ、私がその優しさに甘えて溺れてしまっていただけの話。
 この人には切に、帰りを待つ人がいる。
 『足手まといにしかなれんのも、癪だしな』
 ぽんぽんと肩を叩かれる、気安い仕草。
 狂気の戦場で私に触れてくる数少ない存在の一人。
 そこに、甘い色を見出したのはこの人だけなのに。
 手離したくない。
 離れたくなんか、ない。
 でも、ここから一歩出てしまえば二人の関係が許されない関係でもあり。
 私が抱く野望に邪魔なのはわかっていた。




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