わかっていた。
……わかっている。
でも。
噛み締めていた唇に、先生の舌先が触れてくる。
両の頬包まれて、口付けられた。
煙草の味が深い、キス。
苦い唾液。
近づいてわかる消毒薬が染み付いてしまった体臭。
私が光を失って尚、聞こえる耳も失ってそれでも。
匂いでわかるのは、貴方だけだ。
慈しむように顎を撫ぜられた。
『行け、ボウズ』
『先生…』
『んな面するな。お前は小憎らしい面で笑ってろ。これから一緒に行く奴等のためにも』
『……はい』
『その、情けねー面は俺が覚えておいてやるから』
くしゃっと目を細めて笑って、先生が煙草に火をつける。
それは。
行ってしまえ、の合図。
『先生?』
まだ、居たのか?と言わんばかりの投げやりな眼差し。
ふうっと吐き出す煙を追った目は、私を見てはいない。
あえて、見ないようにしてくれているのだ。
これ以上私が迷わないようにと。
私はこの、変わらない人にどれだけ救われたか。
『ありがとうございました』
さよなら、とは。
言わない。
言いたくもないし、言うつもりもない。
『礼を言われる事なんざぁ、何もしちゃいねーよ』
肩を竦める仕草。
白衣に包まれた肩には、まだ。
私の爪痕が残っている。
いつかは消えてしまうけれど、先生の心の中に私はある。
私の心の中にある以上、きっと。
優しい、人だから。
軍靴を鳴らして、振り向かない背中に敬礼を捧げる。
ひらひらっと掌だけを振ってくれたのが何ともらしくて、泣きたくなった。
この、泣き顔はこの人のもの。
だから、ここへおいてゆく。
私は昂然と顔を上げて、先生のテントから出て行った。
振り返りも、しなかった。
「……大佐?何を思い出しているんです?」
「私をイシュヴァールの狂気に染めないでいてくれた、人さ。ヘビースモーカーで消毒薬の
匂い常に纏った人だった」
「……俺も、そこに居たかったです」
でもって、アンタを抱いて眠りたかった。
囁く様に息を吐き出したハボックは私の体をきつく抱き締めてくる。
首筋の血管をなぞるような口付けは、男に飢えている私をその気にさせるには十分な愛撫。
「お前は、あんな地獄知らなくていい。知らないお前だから救われるんだ」
「そーゆーのもアリなんだと思いますけど。俺はアンタの全部を知りたいんス」
ちゅっと強く吸われた。
間違いなく跡が残っているだろう。
全くナースになんと言い訳をすればイイ?
「まぁ、その内お前には教えてゆくよ。時間をかけてゆっくりと」
「早い方がいいっス」
「焦るな、ハボック。だって私はお前の前で泣くだろう?」
「……可愛いですよ?」
「そうじゃなくてな」
あの人のようには、私の心を読めないお前。
でも、そんなお前もやっぱり愛しい。
「泣き顔は、その人に置いていったんだ。覚えておいてくれると……言って下さったから」
泣いてる暇なんて、なかった。
でも、ヒューズが死んだ時、泣けたのはきっとこいつの存在があったからだろう。
先生以外の前で泣かないと誓ったけれど。
泣けなかったら私は、壊れていた。
ヒューズも私にとってかけがえのない存在だったから。
壊れた私を先生は望まないだろう。
そんな風に考えて、私はこいつを側に置く。
先生の代わりではない。
貴方の代わりは誰も居ない。
けれど。
ハボックの代わりもいないんです。
先生。
「……その人。本当に大佐が大切だったんですね。しみじみ、悔しいっス」
「私は…あの人はずっと好きなままだ。嫌いにはなれない。思い出というのはそういうものだ」
ハボックが、しゅんと項垂れる。
大型の忠犬。
そんなイメージがぴったりくる可愛い奴。
「でもな、今。私の側にいて。私の泣き顔を見るのはお前だぞ?これから先も隣にいてくれ
るんだろう」
「勿論です!」
途端。
ぱっと鮮やかに透き通るスカイブルーの瞳。
澄み渡る空の色。
私がこいつを気に入った理由の一つ。
「ならば、私がその人を思い出してしまうのを許してくれ。そんな私ごと包み込んでくれる
お前だと、信じていいんだよな?」
「……性質の悪い口説き文句ですね」
アンタには、かないません。
口付けは額に。
戯れるように、頬に。
溺れるように、唇に。
後は慣れた体がお互い勝手に暴走を始める。
何時か。
そんな機会があったのならば。
私が見つけた忠犬を貴方にも見せたい。
相変わらず馬鹿な事もやるけれど、元気にやっていると。
何時か。
……伝えられればいい。
END
*はわわ。ハボロイがエロにならなんだ。
まー一応ノクロイお題だから、これでいいんかー。
しかし、思い出の中の先生というのもそれはそれで萌。
いい感じに美化されてしまう辺りもひっくるめて。
『あーよかったなーいい犬見つけられて』とか平気で言いそうだ!