共犯者
噂には、聞いていた。
軍部では数少ない、黒髪の黒目。
最年少国家錬金術師。
閣下が寵愛するたった一人の愛人。
恐ろしく、相手の嗜虐心を煽るタイプだぜ?と言ったのは、確か同僚だったと思う。
初めて引き合わされた時に、その姿を見て妙に納得したものだ。
「センセ?」
もにょもしょと目の端を擦る幼い仕種。
そんなマスタングを知る人間は、俺の他には閣下と親友とやらのガキぐらいじゃないだろ
うか。
「……あんだ?焔の錬金術師になるには、まだ早いぞ。寝ておけ」
白衣を羽織っただけの恰好の俺よりも、遥か艶かしい……男に対して使う表現じゃねーん
だが。
そうとしか表現しようがない、裸体を薄汚れた毛布を引き上げて覆い隠す。
「時間?まだ?」
「ああ、まだだ」
一生懸命目を開けようとするので、瞼の上に唇をあててやる。
そのまま寝ておけ、という意味合いを込めて、しばし。
くふふっと、喉の奥で笑いに似た音がした。
「時間になったら、ちゃんと起こしてやるから」
「……目、覚めました」
指先で掴んでいた煙草を奪われて、そのまま灰皿に押し付けられる。
「おいおい。今吸い出した所だったのに。ったく。勿体ねー事をしやがる」
「閣下にオネダリして、送って頂きますよ」
「お前さん、それって。オネダリってー口調じゃねーぞ」。
冷ややかな声音で、俺の言葉を制したマスタングは、ゆっくりと腕を持ち上げて俺の首に腕
を回す。
華奢ではない。
なかなかに鍛えられた軍人の腕だ。
幾千とも知れぬイシュヴァールの民を焼き殺した、素晴らしく残虐な腕でもある、はずなの
に。
どうしてだか何時も、儚い印象を受ける。
重なった唇は、乾いた砂と微かな血の味がした。
「……マスタング。風邪を引くぞ」
肩から滑り落ちてしまった毛布を、再度引き上げて身体を包み込もうとすれば、ゆるく首が振
られる。
「引きませんよ。先生が。温めてくださるでしょう?」
「……あれだけ、してやったのに。まだ足らないのか」
「私だけ、いかされても、ねぇ?」
「淫乱のボウズと一緒にせんでくれ」
溺れるだけならば、簡単なのだ。
噂通りに奔放でどこか清淑な身体は、征服のしがいがある身体でもあり気質でもあった。
「よく、言う。絶倫とは閣下の為にある言葉だと思ってましたけれど。先生もなかなかのモノ
だと思いますよ」
「閣下を引き合いに出すな。光栄なんだか貶されてるんだか、わからん」
マスタングを溺れさせるなら、いい。
ただ共に溺れるならば、親友のガキと一緒だ。
閣下に嫉妬され、引き離される羽目になる。
そうなったら、マスタングは壊れるだろう。
マスタングを壊す為だけに、閣下は最愛の男を、最悪の前線に送り込んだのだ。
壊れてしまえば、自分だけしか見ないだろうと。
凄まじい執着にマスタングは気がついていない。
こんなガキ相手に、一国の統治者が馬鹿なコトをと初めは思ったが、肌を追わせる都度に、
閣下の気持ちがわかるようで、我ながら笑えた。
このボウズは危ういのだ。
心のバランスがとても。
冷徹な顔で幾千とも知れぬ罪なき人々を焼き殺しておきながら、もう殺せない許してと、幼子
のように純粋な涙を流してみせる。
更に、そんな弱音を吐いた次の朝、また何事も無かったように、最前線に立って、非情な行
為に及ぶ。
そのギャップ。
俺には何故だか知らないが、最初から甘えて見せたけれども。
閣下にはきっと甘えなぞ見せずに、頑ななまでに『平気だ』という態度を取るのだろう。
それが、閣下を溺れさせる唯一の手段だと、知ってか知らないでか。
何にせよ、鮮やかなものだ。
「センセに抱かれている間は、何も考えなくてすみますから」
「ほう?光栄だな」
しんねりと笑ったマスタングは、俺の無精髭に唇を寄せてくる。
しましょうというには、ずいぶんと遠回しな愛撫だと思った瞬間には、項垂れもせず、ましてや
硬くもなっていなかった中途半端な俺のナニに触れてきた。
「だって先生、上手だし…優しいし」
「閣下も、優しいだろう?」
「愛撫は、ね。でも、あの人に抱かれるの自体が屈辱ですから」
最高権力者に、愛されて何が不満なのだろうと常々思っていた。
閣下が男だからかと思ったが、俺に抱かれているその面はあまりにも心地良さそうで、少なく
ともそれが原因で閣下が嫌いなわけではないのだと知れている。
「屈辱?」
「だって。あの人。私を、駒だとしか思っていないんですよ?駒なら駒らしく扱ってくれればわ
かりやすいのに。愛情なんか持たれてもうっとおしいだけです」
「…なるほどねぇ」
愛しすぎるのも、問題みたいですよ、閣下。
他でもない、こいつの場合は。
「俺だって似たようなもんじゃねーのか」
壊すと決めておきながら、やっぱり心配で俺を見張り役としてつけたのは、閣下。
本来なら俺は、お前の自由を奪うだけの監視役。
まぁ、今。
お前をモノになんか、見れないけどよ。
「閣下と先生を一緒になんかできませんよ。したくもない。先生は私の特別。イシュヴァール
にいる時だけの、愛しい人ですよ?」
「限定愛人か」
「ふふっつ。だって先生。奥様やお子様を私の為に捨てはしないでしょうに」
俺には出来た女と一人息子。
一度だけ齎された休暇で、俺がこの戦場で何をしているかほぼ正確に把握していながらも
尚。
『生きて帰って下さいね』『死なないでね、お父さん』
と笑顔で見送って見せた。