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 妄恋の理(もうれんのことわり)


 ひんやりとした室内に心地好い電子音が響く。        
 私にとってこの音は日頃、離れる事が許されない呪の音よりも耳に優しい。                         
 精神を統一してかなりの時間をかけ、一枚の呪符を書き終えるだけの時間が
あれば、私が操る箱はその数百倍の情報を叩き出してくれる。                   
 陰陽の世界には古来よりのしきたりが存在し、それに乗っ取って儀式を行う
のが通例ではあるが、何もそれを従順しなければならないという制約もない。
 あったとしても私がそれを遵守しなければならない義務はどこにも存在しな
かった。
 弱者の定理にかかわってしまえば、人は何時までたっても先に進めないもの
だ。                
 「……まだ、大丈夫のようですね」             
 条件反射的に慣れたキーを叩きながらディスプレイを見つめる。                         
 忍びこんだ先は拳武館暗殺組が通信用に使っている回線。
 館長、副館長他、暗殺組の人間だけに許されたパスワードを使用しなければ、
その存在すらわかりえない秘密の情報交換場。                     
 お偉方の爛れきった闇の情報が簡単に飛び交う、ここの情報は数秒横流し
できただけでも数百万の値がつく。         
 無論複雑に暗号化された情報を読み解くのは難しい。         
 また情報の流出が認められた時点で、パスワードは変わるし、複雑に組み合
わされた回線のパターンは数万を軽く越える。
 私ですらランダムに組み替えられる回線の癖を掴むのまでは数か月の時間
を要したし、癖すら変えられてしまうのを恐れて一分以上のアクセスは控えて
いた。
 「一分…ジャスト」
 コンマ一秒の狂いもないディスプレイ上の時計を目の端で拾い、電源を落と
した。
 「箱での情報追跡に呪符で編み上げた三重の結界…早々ばれるものでは
  ないと思いますが、不安が募って仕方ないとは……情けない」
 ほ、と大きく息を吐き出して村雨曰くの電脳部屋から続きの間になっている、
寝室へと足を運ぶ。
 更にひんやりとした肌寒さを感じるのは、重ねに重ねた結界から発せられる
霊気による。
 仕事柄何日もの間、人を封じていたことはあったけれど、これほどまでに封
じを施さねば拘束できない人間は未だかっていなかった。
 「陰陽師東の長がこの様では…行く行くの未来が立ち行かないものになる可
  能性もありえるでしょう…でも私は見つけてしまったから」
 さらさらと目にかかった髪をかきあげる。
 髪の毛の隙間から見えたのは。
 獣の血を神水を頂いて浄化させたもので書き連ねた、三重円の中に朧気な
光をゆらゆらと放つ晴明桔梗紋。
 桔梗紋の上にまるで浮かび上がったように佇む人影。
 「ただいま、紅葉」

 ようやっと掴まえて閉じ込めた、揺るぎないまさざしの愛しい人。

 「…どれくらい過ぎましたか?」
 この所沈黙でしか答えなかった口が、珍しく言葉を紡いだ。
 喘ぎ以外で聞いた声は本当に久し振りの気がする。
 「どれぐらい、とは」
 言葉の内容はなるほどと思うものだったので、そのまま促して返答を待つと。
 「僕が御門さんに捕らわれてから、どれぐらいの時が経ちましたか」
 今だ明瞭な声が再度の疑問符をくれた。
 結界に封じられた部屋にある窓はきっちりと雨戸が閉めてある上に、光を封
じる符を数枚貼ってあるので、外の様子は一切伺えない。
 自分の体内時計だけが唯一の時間を計る道具だが、それすらもいつでも抱
きたい時に抱き締める私の手によって狂わされている。
 数時間に及ぶ行為は紅葉の意識を奪い、痛みと羞恥と嫌悪でふくれあがっ
た頭では、思考すら面倒になってしまうのだ。
 まして。
 「そろそろ…一ケ月というところです」
 こんなにも長い時間閉じ込められてしまっては、普通の生き方をしていれば
しているほどにおかしくなる。
 狂いが、生じる。
 いくら紅葉が訓練された暗殺者でも、悪意なき監禁への有効な対抗手段は
持たないだろう。
 「一ケ月…」
 大切な者達に何一ついわずに消息をたってから、そんなにも時間が過ぎて
いたのかと…青白い顔は一層白くなった。
 「母親とは連絡が取れるようにしています…別に不自由はしていないでしょ
  う?」
 紅葉の身を拘束するに至って最大のネックでもあった母親の存在を、私は
いっそ利用することにした。
 式神を放って母親の病室に彼女だけしかいない時間を見計らって、電話を
かけさせている。
 紅葉は"長期間の交換留学制度についている"と母親に説明していた。
 拳武館暗殺組にだけあるその制度は、長期間かかる粛正の仕事のための
表向きの方便だ。
 実際暗殺組に席を置いている人間は成績がずば抜けて良かったり、一芸に
秀でているものが多いので、事情を知らない人間は誰も疑わなかった。
 失踪した紅葉を、宿星を持つ仲間や拳武館の館長あたりは、必死になって捜
そうとするだろう。
 それこそどんな手を使っても。
 だから紅葉が母親と連絡をとっていることを知れば、紅葉を連れ去った犯人
が紅葉を殺す気がないことも、犯人が事情に通じているだろう事を知るだろう。
 お互いがお互いを疑いあって、疑心暗鬼に陥らせるのはそう難しいことでも
なかった。
 拳武館内部でも宿星の仲間達の中ですら密やかな疑惑の目が芽生えてい
るが。
 現時点で私にその目は向いていない。
 皆の認識は私が唯一体切にしているのはマサキ様一人であって、淡い恋心
すら抱いているのだからそういった意味では、紅葉を拘束しないというものだ。
 仕事関係に至っては業を煮やした龍麻が拳武館の館長に直談判に行って、
裏事情を聞き出したので、私と村雨が共にかかわっていないのは確認済みだ。
 裏密さんの西洋魔術でも、劉の風水でも…無論私の陰陽道でも捜し出せな
いとあっては、どう考えても素人の仕業ではない。

 先日も紅葉を"大切な半身"と慈しんで憚らない龍麻と、自分の勘で紅葉を捜
しだせないと苛立つ村雨がぶつかった。
 『だいたい他に完璧なテレトリーを持ってる人間が、ひっかかるよ』
 『…んだ、先生。俺が紅葉を閉じ込めてるってかぁ!んなわけねーだろうが
  よ』


 

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