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  暗殺技術(キリング・スキル)


 
 俺の運が良いのか、悪いのか。
 不思議と紅葉の暗殺現場に出食わす数が多い。
 紅葉が最も厭うケースなので、まあ。
 運が良いのだろう。

 「……っちゃ、まただぜ?」
 マサキの護衛を終えた後、送り狼の役は御門に押し付けて、ネクタイを緩めながら歩き出した
途端。
 これだ。
 決して裏通りを選んで歩いているわけでもない。
 ふらりと足を向けた場所に、紅葉がいるのだ。
 全く、これも愛、故かねぇ?
 やれやれと肩を竦めると、銜えていた煙草をぷっと吐き出してぴかぴかに磨き込まれた革靴の
爪先で踏み躙って消す。
 ついでに肩から力を抜いて気配も絶った。
 やっぱ、知り合いがいちゃあ、紅葉の足さばきが鈍るもんなあ?
 ましてやそれが、恋人じゃあ尚の事。
 似たような職についてたって、関係ない。
 俺ですら、紅葉に人を殺すトコなんて見られたくないからな。
 目の良すぎる俺が、見落とさずに眺められる、紅葉の位置からは死角の場所に腰を落ち着け
た。
 
 『助けて、助けてくれっつ!!』
 人通りが少ないとはいえ、繁華街から少し離れただけの道は上手い具合に人の目から隠し通
せる高い壁に囲まれた袋小路になっている。
 まあ、上手い具合にここへ追い込んだのだろうが。
 それだけでも見事な手際だ。
 暗殺なんてーのは、人殺しの技のように単純に言い切られるケースが多いが、実際それに準
じている人間は、そんなたやすいものではないことを良く知っている。
 本来ならば確実に相手を仕留められるだけの、技量に加えて、紅葉の場合は、依頼に応じた
ダメージを与えねばならない。
 社会的抹殺が、殺人とは限らないのだ。
 無論手馴れの紅葉の元、寄せられる暗殺の依頼は、殺さなくとも肉体的、精神的にかなりの
損傷を及ぼす必要がある。
 紅葉の得意技は蹴り技だが。
 それですら多種多様に作用する。
 こめかみへの爪先蹴りは、一撃瞬殺。
 常人でも手で攻撃する数倍の威力を持つ足技も鍛え上げれば、数十倍に膨れ上がる。
 仕込を済ませた運動靴もしくは革靴で、こめかみに叩きつければ頭蓋骨すら損傷させた。
 僅かに力を抜き足の甲で頚椎を叩けば、瞬時に昏倒。
 意識を失った人間が引き摺られて行く先には、光明は見えないだろう。
 大腿骨を粉々に砕いた上で歩けなくして、時間をかけながら弄り殺す……なんてのも、あるら
しい。

 さて、今回は、どんなもんか?

 興味津々身守るものでもないだろうが、その程度のことができないようでは紅葉を抱き締めら
れない。
 自分にとってイトオシイ存在が、殺戮を繰り返すのは心に痛いし。
 更にそれを止める術がないのは、己の不甲斐無さを呪う。
 例え、紅葉が望まないとしても、心の底では、とめてやりたい。
 何より本人が殺人を厭うが故に。
 そんなことをした日には、俺に対する罪悪感が拭いきれずに、ぎこちない関係になるのが目
に見えているから実行に移さない。
 移せない。
 最も、俺も壊れかけた紅葉を抱き締めてやれるぐらいの器量はあるつもりだが。

 紅葉は、慰めを欲しがらない。
 
 赤茶けた煉瓦の壁、十数メートルはある高さを乗り越えられるはずはないのに、標的にされ
た男は、迫り来る紅葉の影に怯えながら、狂気の形相で壁に爪を立てる。 
 がりっつ。
 がりりっと。
 爪が剥がれても、男は壁を上ろうとする無駄な抵抗を止めなかった。
 無様すぎるが、実際死が真近に迫ってきたら、普通の反応はこんなもんなのだろう。
 『拳武館 戌組 壬生 紅葉……参ります』
 今時どうよ!と突っ込みを入れたくなる古風な名乗り上げは、拳武館の嗜みらしい。
 古来は戦国時代にもあった風習が未だに使われていると知る人間は、死人ばかりだろう。
 『頼む!助けてくれっつ!私には妻も子供もいるんだっつ。こ、子供はまだ、三歳になったば
  っかりなんだ!』
 よりにもよって己の子供を持ち出すとは、何事だ。
 紅葉に持ちかけるには、最悪の交換条件だという事実を男が知るはずはないのだとしても。
 『どんなに、どうしようもない男でも、父親だからだ助けてくれと、言いたいのか?』
 『ああ。ああそうだ!君にも、父親がいるんだろう!父親が死んだら、悲しいだろうがっつ!』
 『いや。嬉しかったよ……どうしようもない、父親だったからね』
 紅葉の母親が病床についているのは、父親による暴力だったらしい。紅葉の告白が嘘でな
ければ、紅葉が手にかけた最初の人間は父親だ。
 『!』
 『三歳になるお子さんも。貴方がしでかしたことを知ったら、死んでくれて嬉しいと。殺してく
 れてありがとうと。僕に感謝するだろう』
 すっと目線を外して、アスファルトに叩き付けるように。
 『自分と同い年の女の子を、さんざん陵辱したあげく、殺害したとあってはね』
  ロリコン野郎かよ!
 俺も大概そっち方面に禁忌は無いほうだが、弱者をいたぶる輩は死ねと思う。
 快楽でも戸惑う幼い存在に、痛みしか与えられない下種は最悪だ。
 どちらかといえば、弱弱しくも見えるぱっとしないサラリーマンが犯すのには、大胆なものかも
しれないが、罪を犯す人間には大まかに分けて二種類いる。
 外見からして、犯罪者って奴と。
 内面の歪みを隠し通して、一見無害の人間を装っている罪人って奴。
 紅葉に暗殺される人間は、比較的要職に身を置く前者が多いのだが、手口や犯罪の種類が
陰惨な後者も少なくない。
 依頼された件を、忠実に果たす紅葉だが。
 人間だ。
 これまで培ってきた暗殺屋としての技術と誇りが、負の感情を押さえ込んではいるけれど。
 個人的に許せない存在ってーのも、いるだろう。
 『己より弱い人間を無理に犯すしか能がないのなら、死んだ方が世の為人の為……奥さん
  の、娘の為』
 静かに歩みを進めた紅葉の足が、たんっとアスファルトを蹴って、男の脳天へ振り下ろされる。
 瞬きする間の、神速。
 
                                     



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