「貴方に、問われるまでもなく」
「……ですよね。私は間違いなく帰れないでしょうから。事の後は貴方方で上手くやって
下さい」
ロイさんの身体を抱えたまま立ち上がる。
鷹の目からの返事はなかった、代わりに。
彼女を含め、その場に居たロイさんの部下全員は、一糸乱れぬ敬礼をくれた。
軍靴を鳴らす音は、墓場に広く、響き渡った。
「ご苦労様でした。貴方、このままここに残る勇気はありますか?」
「許されるんなら、同じ現場に居たいんすがね」
全く物怖じしない。
忠犬の見本なんでしょうねぇ。
けれど、立ち位置は弁えて貰わないと困ります。
「それは、無理です。貴方に何かあったらロイさんに怒られますから」
「じゃあ、隣室なら?」
「許可します。貴方、練成反応の光は判別できますか」
「愚問っすよ」
肩を竦められた。
ロイさんの錬金術の癖を知り尽くしているのだろう、意味がわからないままでも完璧に。
それはまた、中々に見事な物。
「上々。でしたら光が消え失せて、正確に三十秒後。部屋に入って下さい。何か異変を感じた
のなら、ロイさんがどんな状態にあっても、一旦引く事。いいですね?」
「……アイサー。何か手伝える事は?」
「特には……ありません。材料の準備も構築式もロイさんが、成しているでしょうから」
その点、ロイさんが致命的なミスを犯したとは思えない。
ここに至るまでに念入りな準備をしたのだろうから。
ロイさんに足りなかったのは、技術ではない。
賢者の石、唯一つ。
人体練成には欠かせない、人の命の塊。
自分の命だけでは駄目なのですよ?
誰かの命が、石になった状態でないと。
意味がないのですよ?
准将を甦らせる為とはいえ、自分以外の命を使えなかったんでしょうけど。
もしかしたら、准将に怒られるのが怖かったのかもしれませんね。
嫌われたく、なかったんでしょう。
何より、彼の人が大切だったから。
「全く羨ましい限りで」
「あ?」
「こちらの話です」
着々と準備をする中で、今だ背中に視線が痛い。
「……隣室で控えていて下さい、と。二度言わないと駄目なんですか?」
ロイさんにナニをするか心配なのだろうけれど。
さすがの私も気が散ります。
「や。アンタ。本当に大佐が好きなんだなって、思っただけっスよ」
「……ロイさんには、解ってもらえなかったんですけどね……」
どれほど言葉を尽くしても、態度で、示しても。
他の人間のように、理不尽な否定はしなかったけれど。
どころか、認めてくれる部分すら数多あったけれど。
私はそれじゃあ、足りなかった。
「後は俺等が引き受ける……アンタのコトは話した方がいいか?」
「おやまぁ……」
このわんこさん、私の遺言を聞く為にこの場を離れなかっただけらしいですよ?
全く。
貴方の部下は、お人よし軍団ですね。
貴方が、キング・オブお人よし!だからでしょうね。
「どうする?」
「貴方の判断に任せますよ。ジャン・ハボック少尉。あの人が知りたがったら、教えて
あげて下さい」
「アイ、サー」
「うーん。後はそうですね。思いっきり情感を込めて『愛していますよ』と」
「……『愛していましたよ』じゃあ、ないんスね」
「ええ。だって死んでも愛してますから」
死んでしまい何も残らなくとも。
僅かにでも、私が貴方をどれほど愛していたのか。
伝わればいい。
「男性に愛を伝えるなんて、おっぱい星人の貴方には過酷なお願いでしょうが?」
「……あん人が例外なのは、何もアンタだけじゃないってね?」
「おや、私。敵に塩、送ってますか」
「かもな」
なかなかに楽しい御仁だ。
私と会話を成立させられる人間は、しみじみ少ない。
「それでは、集中しますので」
「アイ、サー」
日頃だらけている奴が、ぴしっとしまると様になるな…と、ロイさんが言っていた通り。
ちょっと彼に好意を持っている人間なら、めろめろになるだろう、鮮やかな敬礼を一つすると
わんこさんは、一瞥もくれずに部屋を出て行った。
「さて、ロイさん。二人きりですよ。久しぶり…ですね?」
恋人同士になってから、会えたのは数える程度。
私は表向き逃亡者で、貴方も多忙を極める軍人であったから。
「冷たいキスは……初めてですか?」
けれどその僅かな逢瀬の中で、呆れるほどに抱き合った。
この人は、抱き合う事に遠慮のない性質だったから。
何時も熱い身体を持て余す風に私の腕の中で、奔放に乱れてくれた。
「貴方、何時もこんな気分だったんですね」
お前のキスは冷たい!愛がない!と、子供のような我侭を言っていた。
いざ、自分が感じてみると、確かに少し物悲しい冷たさの気もする。
己ばかりが熱いような。
自分ばかりが、生きて、あるような。
「最後まで貴方が感知する私のキスは、冷たいでしょうけど」
全く温もりのなくなった死人の唇に、己の唇を押し当てる。
ちろっと、硬直すら始まった唇を舐め上げた。
「貴方を思う心は、本当に熱いんですよ?」
冷たい身体でも、この人の身体だ。
死んでも愛しい、唯一の人だ。
このままずっと、この身体を抱えたままで朽ち果てる至福が、胸の中に湧き上がって首を
振る。
「さ。名残惜しいですけど、始めないといけませんね」
ふぅと、大きく息を吐いて私はロイさんが編んだ人体錬成の構築式通りに、材料を確保して
ゆく。
元々がこちらに用意してあったのだろう。
それこそ賢者の石以外には全部が、きちんと揃っていて。
私は一人で苦笑する。
まさかロイさんが。
自分は失敗しても、私が同じ事をするんじゃないかと思ったんじゃないかなんて、思い
至って。
あの人の事。
普通、保険はかけただろうが、あの男の錬成だけは失敗なぞする気はなく挑んだ
だろうし。
「……それにしては、些か不可解な事が多すぎますけどね……」
鋼のおちびさん達を知っていて、私が賢者の石を保持している事も知っていて。
それでも、あえて己の力だけで人体錬成を実行したロイさん。
本当は。
失敗するのを承知で錬成したんじゃないかって。
そうやって、ヒューズ氏の元へ行くのを望んだんじゃないかって。
「違いますか?ロイさん」
返事は勿論ない。
ロイさんの睫すら動かなかったかれど。
どうにも真相は、そんな所じゃないだろうか。
「まぁ。どうでもいいんですけどね」
私はとんとんと腹部を叩いて、普段は体内に納めている賢者の石を二つとも取り出した。
一個をおちびさん達に残してもいいかと思ったけれど、ロイさんを完全に戻す為に保険は
必要不可欠だ。
悪いけど、二つとも使わせて貰おう。
私は、大きく息を吸い込んで、錬成陣を掘り込んだ両掌を床の上に置いた。
ぴたりと掌が、描いた人体錬成の為の陣に馴染んだ途端。
錬成時特有の、青白い光が滲み出す。
首を伸ばした私は、冷たいロイさんの唇にもう一度だけ、口付けた。
「ロイさん。ろいさん?愛してますよ。愛してます。どこへ消え失せても。貴方だけを愛して
います」
だから、どうか。
貴方は、幸せに。
私は最後の瞬間までも、幸せですからね?
私に関する記憶も、ヒューズ氏に関する記憶も連れてゆきます。
それが貴方の代償です。
それだけが、貴方の代償です。
貴方は、貴方を慈しんでくれる優しい人に囲まれて。
どうぞ、心穏やかに生きて下さい。
視界が青白に侵される。
程なく、思考も青白に溶け入った。
己の何もかもがなくなる最後に、私が呟いた言葉は勿論。
ロイさん。
貴方の名前だけでした。
END
*これ、本当にキン様?と首を傾げながら書いてました。
や、でも、まー。うちのキン様らしいかなーとも思いつつ。
ロイさん視点の続編予定もありますので、良かったら覗いて見て下さい。
『嘘!』のロイさん視点がそれになる予定です。 2008/07/13