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 接触


 「貴方!」
 地面を見詰めて、外界の全ての音を遮断して。
 黙々と目的地へ足を運ぶ俺の腕を、不意に誰かが掴んだ。
 「……っつ!」
 どうせ、空気の読めない上官の誰かだろうと重い顔を上げる。
 そこには、驚くべき男が居た。
 「ゾフル・J・キンブリー」
 「おや、光栄ですね。私のフルネームをご存知だなんて」
 「……この戦場で、貴様を知らぬ者はおるまい。紅蓮の錬金術師」
 同じ炎属性とされる術師。
 きっと、奴が特殊な存在でなくとも知ってはいただろうけれど。
 「そうです? 貴方の方が有名だと思いますよ。ロイ・マスタングさん。……焔の錬金術師殿」
 私が、悪魔と呼ばれるのならば。
 こいつは、狂犬と恐れられている。
 吐き気がするが、きっと。
 根本が似ているのだ。
 同族嫌悪に限りなく近い感情で、俺はこの男が大嫌いだった。
 できれば、近付きたくないと思う程度には。
 しかし、奴は。
 紅蓮の錬金術師は、そうでもなかったらしい。
 いきなり、にっこりと、この男がこんな笑顔を? と一瞬疑ってしまうような屈託のない無邪気
な笑顔を向けてきた。
 更には、警戒心の強さには絶対の自信がある俺の体を、軽々と抱き上げたのだ。
 「なっつ! きさっつ!」
 「貴様、じゃなくて。名前で呼んで下さいよ、ロイさん」
 「……マスタングと呼べ」
 「嫌ですよ。貴方が、ちゃんと私の名前を呼んでくれるなら、再考の余地はありますけど」
 女性なら憧れるかもしれない。
 しかし、男に取っては普通、屈辱だろう姫だっこで俺を抱え上げた紅蓮のは、周りの好奇
心マックスの視線なぞ、何処吹く風。
 飄々と歩いている。
 「紅蓮の」
 「ああ。それでも良いですね。私、知ってますよ。貴方は、仲間と認めた国家錬金術師しか、
 二つ名呼びしないんですよね?」
 「ああ?」
 指摘されて、我に返る。
 心優しい豪腕の錬金術師や、懐の深い結晶の錬金術師を、そういえば二つ名で呼んでいる。
 他にも、この戦線で活躍する国家錬金術師は数多居るが、彼ら以外は普通に階級や名前で
呼んでいた。
 と。
 例外にエッガー大佐がいらした。
 あの方も国家錬金術師だが、二つ名が知られていないのだ。
 聞いても、気に入らないのかもしれない、教えては貰えなかった。
 そこまで、考えて。
 やはり、自分は好意を抱いている相手は、二つ名で呼びたいのだと気付かされて、愕然とす
る。
 「もしかして、気がついていらっしゃらなかったんです?」
 「……余計なお世話だ」
 「私は、貴方の事なら何でも知っているんですけどねぇ」
 不公平ですよねぇ、と首を振るが、全然不機嫌そうに見えないのが不思議だ。
 「だったら、俺がこれからどこに行くのかわかるんだろう? 下ろせ!」
 「ノックス医師の所でしょう? 大丈夫ですよ。私、あの方とは顔見知りですから」
 「先生とか!」
 「はい。爆発で下手売った時とか。お世話になりますよ。医師不足の最前線とは思えぬほど、
  素晴らしい技術だと思います。火傷治療に限定するなら、ドクター・マルコーに次ぐでしょ
  うね」
 こんな風に人を褒め、認めることが出来る男だったのか。
 噂と随分違うらしい。

 「私もちょうど、火傷した事ですし。あの方に治療をお願いしたいと思います」
 「はぁ、お前が火傷?」
 する、と言うのも何だか不思議な気がして。
 更にはそれを、ノックス先生に治療して貰っているのにも、納得が行かなかった。
 彼は何となく。
 独りでこっそりと。
 人に慣れぬ野生の獣がそうするように、万が一怪我をしても自力で治すと思い込んでいたの
だ。
 「お疑いです? はい」
 紅蓮のは何の頓着もなく彼は、ひょいと私を腕一つで抱え直しながら、己の腕を捲くって
見せた。
 「ちょ! ぐれっつ!」
 骨が見える、酷い火傷だった。
 「馬鹿か、貴様は! 私なんかを抱えている場合じゃないだろう!」
 しかし、紅蓮のはすっと袖を下ろすと私の身体を抱き直し、にっこり笑った。
 きっと、自分が嫌な上官にしてみせる笑顔と似ているんだろうなぁ、と思えば無性に腹が立つ。
 「じゃあ、静かに抱かれていて下さいね?」
 「大体、何で私がお前に抱かれて運ばれなきゃあ、ならないんだ!」
 「そりゃあ、坊主が足に酷い怪我してっからだろ?」
 「ノックス先生!」
 気がつけば、ノックス先生がいらっしゃるテントまで来ていたらしい。
 「うおーい、皆。キンブリーとマスタングが来たぞ!」
 テントの中。
 先生が声をかければ、何人かの兵士が飛び出してきた。
 しかし、紅蓮のに抱かれた私を見て、眼を丸くしている。
 そりゃあ、驚くだろうな!
 ぷうと、頬を膨らませれば、紅蓮のの指先が、頬を突付く。
 先刻とは違う、優しい笑顔に戸惑えば。
 「貴方方、何を見ているんです?」
 ちょっと気の弱い者なら、漏らしそうな迫力の声で、足を止めた兵士をねめつける。
 兵士達は派手に飛び上がって、地面に足をつけた途端に深々と頭を下げると、脱兎の如く
走り去って行った。
 「先生。彼等、大丈夫なんです?」
 「ああ。平気だろ。大体重体で俺んトコに来るのは、お前とキンブリーぐらいだ。ああ、後。
  エッガー大佐と、嬢ちゃん。ヒューズ坊も顔出すな」
 「と、おっしゃいますが先生。あの方々も休憩しに来られるだけだった気がしますが?」
 「……だったな。まぁ、入れや」
 テントの中に入って行った先生は、二つある椅子の一つに腰を下ろした。
 もう一つの椅子に、私は恭しく下ろされる。
 ありがとうと、言うべきか悩んだ。
 「俺が知らんうちに、随分仲が良くなったんだな」
 が、先生の言葉に謝辞が吹っ飛んでしまった。
 「私は嫌だと言いました!」
 「でも、ロイさん。足を怪我していらっしゃるじゃないです」
 「だな。ほら、見せてみろ」
 「でも! 私の怪我なぞより紅蓮のの怪我の方が酷いです!」
 私が負ったのも火傷だが、彼のように骨が見えるほど、組織が崩れちゃいない。
 「だとしても、お前の怪我が先。そうだろう? キンブリー」
 「ええ。さすがはノックス医師。わかっていらっしゃる」
 「何でです!」
 「後で教えてやるから、ほら。お前はこれを噛んで我慢しとけ」
 紅蓮のの前で、情けない姿を晒すのはゴメンだったので、先生が下さった厚手のガーゼを
ありがたく受け取って噛み締めた。

 「つつ!」
 しっかりガーゼを噛み締めても、苦叫は殺しきれなかった。
 先生の手当てが乱雑な訳ではない。
 自分でも想像していた以上に怪我が深かったようだ。
 「ほら! 痩せ我慢できるレベルじゃないんですよ、本当は」
 「き! さまに、だけは言われたく、ない」
 思わずガーゼを外して叫んでしまう。
 その。
 大きく開けた口に、先生の手によって何かが投げ込まれる。
 「せんせ?」
 「んだけ悪態つけんならいらねーかと思ったがな。後で痛むし熱も出るから、鎮痛剤と解熱
  剤だ」
 「さすがは、お見事ですね。ノックス医師」
 「……何でだろうな? 貴様の物言いだと褒められてる気がしねぇ」
 本来ならば、苦いはずの薬は二錠とも、喉越しが僅かに甘い。
 薬の調合に長けた先生が、わざわざ自分のためだけに、飲みやすい薬を作ってくれているの
だと気が付いて、涙が零れそうになった。
 ここで、俺を人間扱いしてくれる人は、とてもとても少ないのだ。
 すん、と鼻を啜り上げれば紅蓮のが眉根を顰める。
 「ノックス医師。ロイさん痛がってますよ? 鎮痛剤、増量投与された方が宜しいのでは?」
 「んあ? お前さんもマスタング好きな割には、修行が足りねぇな。こいつは、痛みでなんか
  泣かねーぞ」
 くしゃと、頭を撫ぜられる。
 器用な指先は、既に俺の治療を迅速完結完璧に終え、包帯止めをつけた所だった。
 「そうなんです? じゃあ、どうしてこの人が泣くのです」
 「本人に聞いてみりゃあいいだろう。ほれクソガキ。あーん」
 「あーん?」
 もう否定するのにも飽きているので、幼子扱いに腹も立てず、口を開ける。
 口の中に広がる濃厚な蜂蜜の味に、眦が下がってしまった。
 「……さすがは、マスタング・マスターの異名を取られるだけは、ありますね。お見事です」
 「あーなぁ。そう言うけど、こいつ。かなりわかりやすいぞ」
 深々と溜め息をつく先生の手は、しかし俺の頭を撫ぜている。
 たぶん無意識なんだろうと思えば怒ることもできない。
 「そうですか……私も大概修行が足りませんねぇ」
 「んな修行は必要ねぇだろう。おら、お前の怪我も寄越せ」
 「あーはい、すみません。後ろの椅子お借りしても宜しいでしょうか」
 「……お前も、時々。無駄に律儀だよな。遠慮せずに使え」
 「それでは……」
 紅蓮のは、目を細めて俺の様子を見詰めた後で、先生の前に座った。
 そうして、左手を出す。
 先刻、俺に見せたのとは反対側の腕だった。
 「ひゅっつ!」
 勝手に喉が鳴ったのは、仕方ない。
 紅蓮のの眦がやわらかく撓んだのも許してやる。
 左腕は、右腕よりも遥かに酷い怪我だったのだ。
 「キンブリーよぉ」
 「はい?」
 「お前。これを俺に治せってのか?」
 「出来る限りの治療でいいです。後は自分でなんとかできます」
 「そりゃぁ、そうだろうけどよ……お前、もちっと控えろ」
 一部が炭化している酷い状態だ。
 幾ら先生が火傷の治癒に長けているからと言っても、限界があるだろう。
 しかし、紅蓮のは先生の苦言にも何処吹く風。
 「そうですねぇ。ロイさんが控えてくださるんなら、考えないでもないです」
 「……だとよ、坊主」
 「俺を巻き込まんで下さい!」
 

 

                        ああ、ノックス先生が頑張りすぎてしまう罠。



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