「……ずっと、捜した」
「そうか。心配をかけてすまなかったな」
「元気、なのか」
「すこぶる元気さ。日々甘やかされている。ほら。見てみろ、私の手を」
以前に良く見た手袋を外す所作。
しかし、以前はしたことのなかった長い手袋を抜き取って現われたロイの手には、数多あった
火傷の跡も、小さな、しかし消えないはずの傷も見受けられなかった。
「専属の医師だのエステシャンなどがつけられてな。綺麗に。消して頂いたよ。お前には
この先、一生見せることはないが。全身の傷もなくなった。お父様には、どこにでも嫁に
出せる綺麗な身体だとお褒めの言葉を貰った」
「結婚! するのか!」
「まだ、無理だな。礼儀作法がなっちゃいない。淑女の嗜みのあれこれも、お母様に教えて
頂いている最中だ。今は、セリムが貰ってくれると言うが……さすがに駄目だろう。お父様は、
私を大事にしてくれるどこぞかの貴族に嫁がせる気らしい」
すうっと水を飲むようにワインを飲み干したロイは、頓着もなく俺のグラスを取り上げて、
口にする。
いいのかよ、間接キスなんかしちまって。
なんて。
馬鹿な思考が頭の中を流れる。
「お母様は、手元において置きたいらしいから、婿を取る可能性も高いな。私は二人が一番
良いと決めた方法に従うつもりだ」
初めて聞く。
ロイが誰かに、従う、なんて言葉。
偽りでなく、心からそう思っている言葉は。
「マース・ヒューズ」
フルネームを囁かれ、逸らすともなしになしに外していた目線をロイに合わせる。
俺が大好きだった吸い込まれるような瞳は健在で、久しぶりに見るそれを思う存分堪能して
いれば、ロイは花が綻ぶように笑った。
そして、笑い声すら混じる声で言い放った。
「私は、今。幸せだ」
「ロイ……」
「だから、もぉ。私の事は何も。なぁんにも。心配しないで良い。お前の手を煩わせることは、
この先一生ないからな」
「っつて!」
「お父様から聞いたんだろう? これはお前への復讐だ」
笑顔は微塵もその色を変えなかった。
ロイの。
心からの本音なのだ。
「私を一度たりとも受け入れてくれなかったお前が憎かった。それまで全てを捨ててしまえる
ほどに、許せなかった」
「でも、俺はっつ。お前の為を思って!」
「……そうだな。ヒューズ。お前は何時だって私の為を思って行動してくれた。だけどそれが。
私の本当の望みではないのに、自分の思い込みを押し付けただけに過ぎない事に結局。
気付けなかったな?」
「なん、だよ。それ」
「昔から、お前は。そういう所があったよ。でも良かったんだ。お前を好きで好きで仕方ない
私には、お前に従順であろうと思っていたからな、そうしたら、愛して貰えるとわかっていた
から……」
すいと目線を外して、何かを思い出しているロイの横顔は寂しげだ。
まさか、ロイに。
長く。
そんな風に思われているなんて、思ってもみなかった。
だって、実際。
誰がどう考えたって。
俺が、ロイを拒否した方が良いっていうだろう?
「でも……もぉいいんだ。私に絶望したお前の顔を見て。復讐は叶ったよ」
「ロイっつ!」
絶望したのは、ロイにではない。
自分にだ。
それだけは、間違って欲しくないとロイの腕を掴むが、するりと抜けだされてしまう。
三歩ほど開いた距離が、永遠に縮まらない隔たりに思えた。
「さようなら。まぁす。グレイシアとエリシアと三人で……どうか。末永くお幸せに」
確かに俺の中。
グレイシアとエリシアは絶対の存在だ。
何があっても消えることはない愛しい者達。
けれど。
ロイが居ない未来で。
どうして、彼女等と幸せになれるというのだろう。
俺にとって、ロイは彼女等と別のカテゴリで失えない物だと言うのに。
去って行く背中を追おうとすれば、何時の間にか近寄っていたらしい元マスタン組のメンツに
阻まれる。
「これ以上ロイを追えばストーカーです、中佐」
リザちゃんは、珍しい子供のように無邪気な笑みを浮かべていた。
清楚なロイの純白の衣装と正反対の妖艶な純黒の衣装を着た彼女は、とても美しかった。
「ロイさんをストーカーする奴は、一般人でも軍法会議にかけられますよ? で。その後は
行方知れずなんですわ」
ブラックスーツは、彼の三段腹をしっかり修正している。
スタンドカラーのシャツは少々苦しげだが、迫力だけは凄まじいブレダ少尉は、性質の悪い
笑みを刻んだ。
「行方知れずって言いますけどね? 本当はアレちょん切った挙句。売春宿で死ぬまで客
取らされるらしいですよ。女として」
濃紺のスーツを着る彼は、どうにもスーツに着られている風合いだった。
サスペンダーも彼の幼い風情を損なうことはない。
ただ、誰よりも俺に向ける笑顔が歪んでいるフュリー曹長。
「それは、閣下以外の誰も手を出せない絶対の決め事です。ですから、どうぞ。ロイさんには
纏わりつかないで下さい」
グレーのスーツは彼に良く似合っていた。
髪の色に合わせているのだろう。
案外と洒落者なのだと、ここに来て知った。
普段より細い目を尚細めてヒューズを見詰める眼差しは、穏やかに冷ややかだ。
こんな拒絶もあるのだと、気付かされる静かな風情のファルマン准尉。
そして。
まるでロイと結婚相手とでも言うように、純白のタキシードを着たハボック少尉が、にっこりと
全開の笑顔を向けた。
「ロイは。俺達に任せて下さい。アンタはお役ゴメンです」
何かを言い返そうと思うが、上手く口が回らない。
今だ、情報を整理しかねている。
滅多にない恥を晒すのは、屈辱だが、そんなコトに拘っている場合じゃない。
「俺は! ロイの一番近くに居れる唯一の存在だ。その、権利を誰にも譲るつもりも、奪われ
るつもりもない!」
しかし、それだけは言っておかないとまずいと本能で思ったのだろう。
彼彼女等が、それぞれの笑みを浮かべる前。
俺は一人で、宣言をした。
そう。
俺は、ロイを手放すつもりなんか、ない。
例え、ロイが。
そういう風には、二度と。
俺を望んでくれないのだとしても。
「……相変わらず、ロイの欲しがるものを何一つ与えない男」
呆れた風に肩を竦められて、笑み続ける彼女を睨みつける。
すっと、目線の盾になるよう男達が動いた。
リザ嬢は彼等にとって、ロイの次に守るべき相手。
己の立ち居地をロイに置いての希少価値だと理解している彼女は、彼らの庇護を拒絶しな
い。
しなく、なったようだ。
「いいじゃないですか、好きにすれば別に。閣下がきちんと排除するでしょうし、俺らも頑張
れるし……」
「何より、たい……ロイさんが、受け入れないからな」
「……ブレさぁん! どうしてそやっていいトコ持ってくかなぁ」
「日頃の行いだろう」
「違いないです、少尉」
「曹長に同意しますよ、少尉」
「きー! お前らまでっつ!」
仲良さそうに笑い合う様は、以前と全く変わらない。
俺が、その輪から弾き出された以外は何一つ。
「さぁ。あまりこいつに関わっていると、ロイが心配するわ……行きましょう」
ええ、はい、そのとおりに、行きましょ、とそれぞれが同意し。
「ああ、中佐。これ、餞別です」
全員がリザちゃんに従って歩み去る中。
くるんと、ハボック振り返って腕を突き出してきた。
「ん、あ?」
胸辺りに押し付けられて、反射的に受け取ったのは小さな紙袋。
「ロイさんからじゃないっスけど。どんな形であったにしろ、アンタに取ってロイさんは、特別
だったと思うから。これぐらいはあん人も許してくださるでしょう」
そいじゃあ!
と、気楽に手を上げたハボックの姿が完全に消え去るのを待って、俺は紙袋を開く。
中に入っていたのは、小さなビニール袋。
髪の毛が一本入っていた。
艶やかで長いそれは。
ロイの髪の毛のようだ。
「ふざ、けるな」
ロイが俺に残すものがこれだけだなんて、冗談じゃない。
俺は、ビニール袋ごと髪の毛を引き千切ろうとして、止める。
ロイの意思と関係ないところで渡された物でも、破棄をするのはやはり忍びない。
ふぅと溜め息をついて、ビニール袋をそっと、懐に仕舞う。
ぽんぽんと上から軽く叩いて、顔を上げた。
「……待ってろよ、ロイ」
そうして、失えるはずのない存在を取り戻すべく、頭の中で状況整理を始めながら、軍靴を
鳴らして踵を返した。
END
*ふう、終わった、終わった。
続いて暴走するひゅたんをどう書こうか(しかもハボ視点で!)模索中。
しばらくネタ練り勤しみます。