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 四面楚歌


    「中尉っつ!」
 飛んで来る弾丸を避ける間はなかったが、燃やし尽くす時間はあったはずなのに。
 中尉は私の前。
 限界まで両腕を広げて、私を庇った。
 男性にしては差して大きくはない私よりもずっと小柄な彼女は、それでもその身に、私の身体
に食い込むべきだった弾丸のほとんどを受け止めた。
 「しっかりしないさいっ!」
 腕の中、後ろ向きに倒れ込んでくる身体を片腕で抱きとめながら、利き手で発火布を擦る。
 瞬間で編んだ構築式は僅かに狂った。
 思いの他、私の胸の中崩れ落ちた中尉の体が、やわらかく、華奢だったせいかもしれない。
 私達二人を囲むように立ち上った炎のうねりは、裏切り者を焼き尽くし、潜む敵をも沈黙させた。
 火が威力を弱めるまでの僅かな時間で、中尉の容態を伺う。
 左肩、右腹部にめり込んだ弾丸は、そのまま突き抜けたようが、どちらも出血が酷い。
 携帯していた包帯で止血を施す側から、真っ白いはずの布が鮮血で染め上げられてゆく。
 こめかみを掠った弾丸のせいで額からも血が伝い、視界を奪っている。
 「大佐っつ!マスタング、大佐……ご無事、ですか!」
 がたがたと震える指先が私を探して空を彷徨う。
 「大丈夫だ。君が庇ったおかげで、傷一つ負っていない」
 これは嘘だった。
 太ももが燃えるように熱い。
 中尉の身体を穿った弾丸とは違い、私の身体の中には今、鉛弾が残されたままだ。
 「った。良かった。ご無事で、何よりです」
 はあ、と大きく息を吐いた中尉が、見たこともない晴れやかな笑顔を浮かべた。
 背筋を冷や汗が伝い落ちる。
 私は、この笑顔を良く、知っていたからだ。


 「しっかりしなさい。ホークアイ中尉っつ!」
 死を目前にした人間が見せる笑顔。
 とても透明感に富んでいて、尚、穏やかな憐れみが漂う。
 何度も何度も何度も見てきた。
 見せられて、きた。
 死の微笑。
 「死ぬのは、許さない。私より先に、死ぬのだけは許さない」
 守るべきはずの存在を失うのはたくさんだ。
 ましてや、一番近くにいたこの優しい女性を失った、自分が正気でいられる自信もない。
 「……汚れ……ます……私の、血……」
 一番深手の箇所を抑えていた掌を、己の目の前に翳して。
 「こんなに……出、血してます……もう……助かり、ませ……」
 まじまじと見つめた視線が、そのまま私に向けられる。
 同意を求めるかのように。
 「大丈夫だ。この程度の出血で、音を上げる君ではないだろう?」
 首がゆっくりと、大きく振られた。
 「私は……駄目・……です。申し訳、ありませ……」
 「謝罪なんかいらない!諦めるな!」
 視界が不意に歪んだ。
 涙が浮かんでいるのだと気が付いたのは、血に塗れた中尉の指が私の頬に伸ばされたからだ。
 「ナか、泣かないで……くださ?」
 最後まで、最後まで中尉は微笑もうとする。
 普段微笑む事など滅多にしない、君が。
 泣いている場合でないのに、ぼろぼろと涙が溢れた。
 失ってしまう痛みよりも、己の不甲斐無さが歯がゆくて、情けなくて。

 「泣いてなんかいない!」
 「……も、すぐ……来ますから……誰か、来てくれます……か、ら」
 「誰が来るんだというんだ!」
 これは!と思う部下がいなかったわけじゃない。
 中央にはいない朴訥で忠誠心が強そうな人間も何人かはいた。
 だからといって、まだ東部へ来て5日目の今日。
 誰がこんな凄まじい戦区に助けにくるというんだ?
 少なくとも私なら、ごめんこうむる。
 煤と砂と血で汚れた発火布でぐいっと涙を拭く。
 やわらかい粘膜をびりびりとした痛みが走って、私を僅かに正気づける。
 「失礼するぞ、中尉」
 一番危険だと判断した、右下腹部の軍服を切り裂いて傷口を露にさせる。
 せめて消毒をと思い、携帯救急キットの中に入っていたアルコールを口に含みぷっと吹きか
けた。
 「きゃあああっつ!」
 中尉の口から甲高い悲鳴が上がった。
 可哀相だが痛みを感じられるのは、まだ患部が生きている証拠だ。
 女性にこんな酷い怪我、人によっては死なせてやった方がいいのかもしれないのだけれど。
 私は中尉を失えない。
 失って、たまるか。
 「錬金術を使う。リバウンドは全部私にかかるようにするから!」
 「……大、佐っつ!」
 咎める必死の声音も今は無視をする。
 治癒系の錬金術は得意ではないが、全く出来ないわけではない。
 呼吸を整えて、中尉の患部の近くに血で錬成陣を描く。
 十字架と天使の羽とこれだけは欠かせない炎蜥蜴の紋様と。
 「構築式は、確か……」
 記憶を辿り、殊更ゆっくりと構築式を紡ぐ。
 慎重に、絶対に違えずに。
 さりとて途切れさせず。
 詰まる事も許されず。
 額から伝った脂汗が二筋顎から伝い落ちる間に、何とか構築式を完成させた。

 「傷は!」
 目を見開いてみれば、表面的な傷は塞がっている。
 恐らくは、中身も完治とまではいかずとも、通常の状態に近いレベルまでは持っていけただ
ろう。
 「見た目は塞がった、な。痛みはどうだね、中尉」
 「先程よりは、よくなった気がします」
 「……気がする程度では、ダメだな」
 やはり私の術では、痛みを取り除くまではできなかったらしい。
 傷自体は悪化しないだろうが、痛みがある以上中尉を動かすわけにもいかない。
 炎の揺らめきによる目くらましは、もう後数秒ももたないだろう。
 中尉を置いてゆくのは心配で仕方ないが、私が囮となり打って出るしかあるまい。
 僅かな時間で決断を下して、私は発火布を嵌めなおす。
 「君は、ここにいたまえ。動いては、いけないよ?」
 「大佐!だめ、です。ここを動いては!狙いう、ち……つう」




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