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 気になる感触ではあったのだが、あまりにも瞼が重くて目が開けられない。
 古い記憶を辿れば、イシュヴァールの頃。
 深手を負ってテントに運ばれて。
 治療を終えてしばらくして、痛みのために失っていた意識を取り戻した時が、こんな感じだっ
たように思う。
 もう一度今度は、ばたばだったっと。
 まるで雨でも降る勢いで、水滴が頬に滴ってくる。
 私が頬を滑る水を拭おうとして、もったりと持ち上げた手首が、きつく誰かに掴まれてしまう。
 「……水、拭きたい、だけだ……」
 喉に何か絡まっていて、言葉が出てこない。
 続けて『だから、離してくれ』と言う代わりに、げふげふと咳が漏れて。
 ごふっと身体が跳ね上がるほど咳き込んだ。
 息苦しい最中、目を開ければ。
 紅蓮のの顔が、驚くほど近くにあった。
 お互いの溜息が感じられそうな、位置だ。

 驚愕に大きく見開かれた、瞳からは。

 涙が零れていた。

 「紅蓮、の?何を泣いているんだ」
 「……貴方が、生きているからですよ」
 「悪かったな……こう見えても悪運が強くて……」
 死神にも見放されているからねと、続けたかったのに。
 よりにもよって紅蓮のの唇に、自分の唇を塞がれてしまった。
 離れてゆく途中、唇を嘗められて。
 ああ、血を拭ってくれたんだなぁ、と何もかもが覚束ない頭で思う。
 「違います。貴方が死ななくて悔しいのではなくて」
 次の口付けは滴る涙と一緒に、瞼の上に。
 「貴方が、生きていて嬉しいから、泣いたんですよ」
 「え?」
 「……良かった……」
 抱き締めてくる腕は、震えていて。
 信じられないが、紅蓮のが。
 私が死ななくて良かったと、安堵して泣いているのだと、知る。

 「とりあえず、体内の弾丸を抜き取って、大急ぎで血止めをしたんですが。私は殺せても生
  かすような錬金術は学んでいなかったから!」
 「……でも、私は生きている。君の、お陰で?」
 「恩に着てくれと言うつもりはありませんから、安心してください。私の、好きでしたことです
  から」
 「……紅蓮」
 「そんな可愛い顔をしないで下さい。色々と、困りますから」
 もう一度触れてきた唇は、発熱しているのではないかと勘繰るほど熱く。
 やわらかく。
 疑い様がない優しさで、心地良く。
 突き上げてくる甘い感情に身を任せたくなった。
 「困るのは、私の方だよ、紅蓮の」
 涙を拭き取りたくて伸ばした指先は、そのまま拾われて頬に添えられた。
 「駄目ですよ。そんなに私に心を預けてはいけません」
 苦笑した紅蓮のは、背中を向けて私の身体を軽々と背負い上げる。
 「紅蓮?」
 「……送ります。やっぱり私の術では心配です。早く医者に見せないと安心できませんし」
 「君は、馬鹿か?」
 そんなことをした日には、再び。
 あの永遠に光差ささない牢獄に閉じ込められるだけだと言うのに。
 「自分を助けようとしている人間に向かって、馬鹿は無いでしょう。馬鹿は」
 ま、それぐらいの方が貴方らしくて安心しますけどね、とゆるく首を振って後、私の身体がな
るべく揺れないように、重心を低くして走り出す。
 
 この男が。
 紅蓮の、が。
 私を助ける為に、また捕らわれ人となると、いう。
 出来の悪い御伽噺のようだ。

 「二度と出られんぞ?」
 「別に。慣れっこですしね。あそこも慣れればどうというほどでもないですよ。衣食住は保証
  されています……ああ、でもあれですね。一度ぐらいは元気になった顔を見せて下さいね?
  それぐらいのご褒美は許されると思いますから」
 「紅蓮……紅蓮……馬鹿だ。お前は、本当に。大馬鹿者だ」
 「……焔の?まさか、泣いているんです?」 
 「誰が!貴様の為になんか泣くもんか!」
 言ったその先から、涙が、後から後から溢れてくる。

 紅蓮のは、軍の負の遺産だ。
 この狂気が世に放たれたら、一見平和を保っている時世が、簡単に覆される力を持ってい
る。
 私とて、彼を再び幽閉させる為に派遣された駒。
 この事態は本来ならば、喜ぶべき事態だというのに。

 ……紅蓮のの、狂った思考は未だに理解できない。
 できる日は永遠にこないだろうけれど。
 それでも私は、この男には拘束よりも自由が似合うと思う。
 軍などに捕らわれず、真逆のテロリストの方が性にあっているだろう。
 私の、せいで。
 捕らわれていい存在では、ないはずなのだ。

 「まいったなー。貴方、私の事がそんなに好きです?」
 「嫌いだ!大嫌いだ!」
 それだけは、断言できる、けれど。
 「……そこまで嫌われると清々しくなってきますね」
 「嫌いだっつ!私の為に、軍に戻る、お前なんか嫌いだっつ」
 嫌いな男の足枷となった、己はもっと嫌いだ。
 「焔の……」
 「大馬鹿者めっつ!」
 しゃくりあげる情けなさに唇を噛もうとするが追いつかない。
 「ああ、あれですね。昔の人は偉大ですよ、本当に。素晴らしい格言を残している」
 「……どんな格言だっつ!」
 「『泣く子には勝てぬ』」
 「誰が子供だというんだ!言う事に欠いて」
 まるでイシュヴァールの頃のような、会話。
 私とこんな風に話せる人間は、実際少ない。
 紅蓮のが、狂気の存在でなかったのなら。
 軍属で、なかったのならば。
 私の側で、友人として、たわいもない言葉を交し合えたのだろうか。

 「泣かないで下さいね?」
 「だから、泣いてなどないと言っている!」
 
 傷の容態は良くないのだろう。
 先ほどから脂汗がじわじわと滲んで、足元から震えが走っている。
 発熱もしているようで、口を噤めばかたかたと歯が鳴った。
 きっと、正気でもないのだ。
 頭の片隅がぼんやりとしている。
 そうでなければ、思うはずがないだろう?

 このまま、ずっと。
 紅蓮のの背中の上、揺られて。
 間の抜けた漫才のような会話をずっと。
 話し続けていたいなんて。

 思うはずが、ないだろう?


                 
   
                                        END




 *キンブリー×ロイ
  認めてしまえ、ロイたんたらっつ!
  と、囁きながら書いておりました。
  何で自分の書く攻め様は、ロイたんを溺愛するのか。
  どうしようもないロイの片想い話も書きたい。
  書きたいんだけどなぁ(苦笑)




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