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 本当に痛いのは……


  「……ィ!」
 悲鳴の語尾が自分を呼んでいたような気がして、ぱちりと目を開く。
 無能を装う為に寝汚い自分を演出してはいるが、非常時なら熟睡していてもプロの忍び足
で目が覚める程度の警戒心は持っている。
 目を開けば、何時も私を抱えて眠る男の胸があるはずだが、今見えるのは木目の素っ気
無い天井だけ。
 僅かに視界を広げれば目の端。
 半身を起こしているハボックの姿が映った。
 「どうした、はぼ?」
 殊更ゆっくりと奴側へと寝返りを打って、噛んで含めるように恋人の呼び方で、奴を呼びつ
ける。
 奴は自分の呼ばれ方にとかく敏感で、犬が飼い主を嗅ぎ分ける鼻同様。
 呼ばれ方で、自分がどんな風に必要とされているかを判断した。
 同性同士の恋人で、更には上官と部下の関係を続けていくには、慎重さが必要だった。
 だから、恋人として奴を呼べば、どんな不機嫌でも反応して、呼ばれた嬉しさを表現する奴
なのだが。
 反応がない。
 月明かりを頼りに目を凝らせば、呆然と空に目線を漂わせている奴の目が光っているよう
にも見える。
 肘を付いて、頭を上げて、もう一度。
 「はぼ?嫌な夢でも見たのか」
 尋ねれば、ぎぎっつ、ぎぎぎっと。
 壊れたゼンマイ仕掛けのように、ぎこちない動きでハボックが私を見下ろす。
 「……ゆ、め?」
 「ああ。そうだ。こうやって、お前の側で私が眠る今が現実だ」
 「じゃあ、ろい、は。じゃん、が。すき?」
 「勿論。私、ロイ・マスタングは。ジャン・ハボックが大好きだ。たった一人の恋人として、心か
  ら愛しているよ」
 「っつ!!」
 不意に、反応し切れない素早さで、ハボックが私の身体を押し倒す。
 シーツに手首を押し付ける強さは、強姦魔のそれと変わらないだろう手加減なしの拘束。
 「……そんなに、強く握ったら、痛いよ?」
 「強く、しないと。アンタ。逃げますよね?」
 「この状態でどうやって逃げられるのか、教えたまえよ。発火布はしてないし。力では、
  どんなに頭を使ってもお前には勝てない」
 「でも、俺は、最後の最後でアンタに弱いから、逃げられますよ」
 ぎしっと、鳴ったのはベッドの軋みか、骨の悲鳴か。
 「逃げて、欲しいのか?」
 「まさかっつ!逃げても、どこでも。奈落の底へでも俺は。追い駆けますっつ!」
 「じゃあ、何も問題ないだろうが。何をそんなに不安がる?どんな、夢、を。見たんだ?」
 私を凝視していながらも、どこか違う場所を。
 そう、まるで夢の中の私を見ているようだった、目線がここにきてやっと、現実の私を捕える。
 凍えるような冷ややかなアイスブルーの瞳が、ゆったりと氷解した。
 「…夢…そっか、夢……夢だったんスよね?」
 「そうだ。話してみろ。悪夢は話すとすっきりするから……私だってそうしているだろう?」
 「そう、っスね……ああ、痛くしてスンマセン。痣とかにならんかなぁ」
 手首の拘束が外れる。
 指の跡が見事についていた。
 下手したら、明日まで残るかもしれない。
 手首に、指の跡って、凄まじい話ではあるよな。
 普通、そこまで強く握られたら骨がいかれる。
 平気なのは、奴が無意識下で加減していたお陰だろう。
 「さすがに、痣までにはならんだろう。ま、明日、お互い遅番だし。それまでには落ち着くさ」

 「重ね重ねすみません……」
 「良いと言っている。こうやって執着されるのも嫌じゃないんだ……変かな?」
 こいつの前には、ヒューズと長く付き合っていた。
 奴が結婚を決めて、私を捨てるまでずっと。
 私は奴に溺れ切っていて、例えば不倫は嫌だけれども、そんな関係でも良いから永遠に繋
がっていたかった。
 そう、我ながら滅多にない素直さで告白すれば。

 『鬱陶しいよ、お前』

 の一言で切って捨てられた。
 元々親友だったのを、不安定過ぎた私を、見兼ねて奴が抱き締めてくれるのが始まりだった。
 同情、だったのだろう。
 恋情に、なり得る筈もなかったのだ。
 奴の顔が、本気で心底怒っているのを思い知らされて。
 自分は一人相撲をしていたのだと、自覚した。
 だから。
 今、こうしてこいつが私を、私が望む以上に欲しがってくれるのが、とても嬉しいのだ。
 必要以上に纏わりつけば、鬱陶しがられると思って、なるべく自分からは接触しないせいか、
はぼは何時でも必死の面持ちで私を抱き寄せる。
 「……変じゃないです……ちっとも、変じゃないんですよ?」
 私の髪の毛を、小さな子供にするように何度も何度も撫ぜて、額にキスをくれた。
 奴が沈んでいたはずなのに、何だか私の方が沈んでいる風なシチュエーション。
 真っ直ぐに私を見詰めるハボックの目は、憐れみに溢れている。
 「……夢を見たんです」
 ベッドの上、自分を椅子に見立てて、ハボックが私の身体を抱き抱える。
 私は遠慮も無く、奴の広く暖かな胸に身を預けた。
 「ああ」
 「ヒューズ、中佐が。アンタに酷くしてる夢」
 過去には確かにそんな事もあった。
 私を無意味な執着から逃す為に、自分とのSEXは辛い物だと、思い込ませるような意味合
いだったらしい。
 今は感謝こそ出来ないが、憎んでもいない。
 私の昔を、特にヒューズとの昔を知りたがるハボックに、包み隠さず教えてやったのだが、
こうして魘されてしまうようでは告げない方が良かったのだろうか。
 「……今は普通に親友って奴をやっているぞ。お前が側に居てくれるから、私はあいつを
 過剰に求めないですむ。だから奴も親友を続けてくれるのさ」
 「続けて、くれる、なんて!そんな言い方ないっスよ……」
 抱擁がきつくなった。
 奴はこうして、背中から私を抱き締めるのが大好きなのだ。
 しかし、今は表情が見えた方がいいかもしれない。
 ぽんぽんと軽く二の腕を叩けば、腕の力が緩む。
 私は、身体の向きを変えて奴に向き直った。
 やっぱり、犬が飼い主に置いて行かれてしまったような。
 悲しくて切ない色を乗せている。
 「私はお前と違って友人も少ないしな。親友なんて、奴だけだ。ヒューズはヒューズなりに、
  私を大事に思ってくれてるんだよ」




                                         
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