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 瞳を閉じて、そう、まるで何時だったに見たオペラ歌手のように大きく両腕を広げて、声が発
せられた。
 特に綺麗な声でもない。
 紛れも無い男の声だ。
 ただ、その音は恐ろしく澄んでいて。
 聴いているだけで、涙が零れるほど、切ない色で満ち溢れていた。
 『神よ、いつの日 すくいたもう、虐げられて なやむ者を。人こそまさしく み国の御子なれ、
  救わせ給えや、その民を』
 暖かな空気はゆるゆるとロイと俺の周りを動かしている。
 俺の近くにある光球なぞはロイの謳うフレーズに合わせて、ふよ、ふよとリズムに乗っている
ようにも見えた。
 凛とした声が闇を切り裂くように響く最中。
 三番ほどあった歌詞を、三度繰り返し謳った所で。
 ロイは肩を下ろした。
 魅入られたまま固まっていた俺に、ロイが穏やかな微笑をくれる。
 「……今日は、ここまでだ。明日、またな」
 肩の上から自分の手の甲の上、光球を引き取ったロイが囁くと、一瞬輝きを増した光球は、
すうっと闇に消えていった。
 気が付けば周りに数多あった光球は一つもなくなっている。
 「今日は、ヒューズがいたせいかな?何時もより浄化された数が少なかったようだな」
 「浄化?」
 「そう。私の賛美歌を聞き、神の御国に心引かれるもの達から、現世を離れてゆくのさ」
 霊体が現世に留まっているのは、未練があるからだという。
 何より忘れられるのが嫌なのだと、聞いた。
 「悪霊に、なってしまう前に。本来行くべき場所へ私の唄如きで逝ってくれるなら。容易いも
  のさ」
 ぬくもりを失ったロイが、ぶるっと体を震わせる。
 俺はあわてて、ロイの体を自分のコートを広げて抱き込んだ。
 「なぁ、ヒューズ。少しでも、魂が安らぎを覚えるのならば、いいよな?」
 「そうだな。終わった後の事も考えて、ロイがちゃんとコートを持って行くのなら。良いと思う
  ぜ」
 「明日からは、そうするよ」
 促すロイの瞳は静かな色を湛えていた。
 狂気に走りかねない状況下。
 こんな夜中の些細な儀式が、ロイをこちら側へと引き止めているのか。
 自分が殺した人間達を、自らの謳う歌で、癒して。
 天の国へ送りながら。
 少しでも、罪悪感を薄めているのだろうか。

 「ひゅー?」
 気が付けば、ロイの体を抱き締めていた。
 何事かと上目遣いに覗き込んでくる瞳を伏せさせて、唇を重ねる。
 しっとりとした感触。
 確かに生きている、証。
 とくとくと聞こえる心音のリズム。

 ロイ。
 ……ロイ。
 お前が、やりたいのならば。
 やればいいと、俺は思うよ。
 でもな。
 例えば俺じゃなくって。
 こうやって死んだ物達相手でしか安らげないのなら。
 それはとても、寂しい事だと思うんだ。

 「どうした、ひゅー?」
 離れた唇に指先で触れて、くる。
 このぬくもりこそが、生きている証なんだよ、ロイ。
 なぁ。
 わかるか?

 「……お前を、奴等に取られそうな気がして、不安になったの」
 「……馬鹿だな。これはただの自己満足。でもそれで彼らも安らげるのなら一石二鳥だろ
  う?」
 「そうだな」

 困った奴だ、と優しく抱き返してくるロイの体。
 絶対に、絶対に死人にはくれてやらない。
 この誰よりも何よりも大切な存在を。

 「そんな顔をするな。私は、大丈夫だよ」
 お前の、側にいるよ。
 と、ロイは笑った。
 とても、子供っぽい無邪気な顔で。

 本来の、ロイの素顔のままで。

 俺だけに晒す笑顔に、ようやっと安堵する。
 
 そうして、お前がこの先。
 こんなにも悲しい唄を謳い続けなくてもいいようにと。
 戦争の早期終結を願った。

 強く、願った。




                              
                      END




 *またしても賛美歌を使ってしまった。
  えーと、これは232番 神の国になります。
  本文に使わせて頂いているのは、3番まであるうちの最後の唄です。
  イメージに合う唄がなかなか探せずに、悪戦苦闘しました。
  戦争が終わったその日。
  まばゆいばかりの光を放つ無数の光球に包まれたロイは、最後の唄を謳うのですよ。
  泣きながら。霊が姿を止めて置けなくなる夜明けまで。
  ……切ないなぁ……。





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