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 焔と切っ先


 身体に纏いついていた空気が根こそぎ持っていかれる感覚に、俺は構えていたタガーを腰の
ケースに戻すと、数メートル先に毅然と立ち尽くすロイの背中を見詰めた。
 掌を上に、真っ直ぐ伸ばされた腕。
 もう、見慣れてしまった独特のポーズ。
 ぱしゅ、と。
 ちょうどサイレンサーの起動音に似た、発火布の擦れる音が耳に届く。
 次の瞬間。
 目の前を物凄い閃光が走り、どん!とも、がっ!とも表現できない音を伴って炎が踊る。
 温度を低く設定しているので、即死はできない。
 火に巻かれた十数人の人間は、人が出すとは思えない絶叫を振り撒きながら踊り狂う。
 必死に炎から逃れようとするのだが、炎はそんな人間を容赦なく包みこんでじっくりと焼い
てゆく。
 豚や牛を焼くのとは、どこか違う独特の香りが濃厚に鼻に進入してくるのに、眉根を顰めた。
 「畜生!殺せっつ!せめて一思いに!殺してやってくれっつ!!」
 新たなアジトを吐かす為の拷問は熾烈を極めたのだが、皆、がんとして口を割らない。
 郷を煮やした上層部がロイに下した命令は『捕虜の前でなるべく苦しみを長引かせながら
仲間を殺せ』
 「……貴方が、口を割れば。皆、一息に殺すがね?」
 どこまでも静かな口調で話すロイは、酷く残忍な男に見える。
 「それだけは、できぬ!」
 「では、全員が悶え苦しみ抜いて死ぬだけだ。怨嗟の声は、勿論私に向けられるだろうが。
  止められなかった貴方にも向くよ」
 耐えられるかね。
 と、場違いなくらいに、婉然と微笑むロイを。
 神か悪魔でも見るような、恐れを擁いた目で凝視している。

 「さあ?仲間の命を助けるんだ。誰も貴方を責めはしないよ」
 炎に巻かれても『絶対に口を割るなー』という絶叫が上がった。
 恐ろしい程の意思力だ。
 軍の人間なら、間違いなく己の命が危険に晒された時点で口を割っている。
 「……口は、割らない」
 「見事だね?ここまで口が堅ければ軍の諜報部がスカウトに来そうだ。なぁ、ヒューズ」
 まずい!ロイが俺の名前を呼ぶって事は!
 止めるまでもなく、ぱしゅっと走った炎の一閃は、目の前にいた男の口を焼いた。
 焼け焦げる唇の感触に思わず悲鳴を上げた、口腔に向かってもう一閃。
 口腔どころか多分、喉の奥まで焼き尽くされた男は、ひ、は、と声に出来なくなった悲鳴を上
げた。
 「いいさ。君が口を割らないのなら。君の妻でも子供でも誰でも。口を割る人間が現われるま
  で、殺し続けるだけだからね」
 痛みにか放たれた言葉の残酷さにか、男は血の涙を流していた。
 彼ら民族特有の赤い瞳が、そのまま溶け出してしまったかのようなおぞましさ。
 叶うはずはないとわかっていても、男は後ろ手に縛られた不自由な身体のまま、ロイに向か
って頭から突っ込んでくる。
 ロイが発火布を擦るよりも早く。
 俺は男の首に向かってタガーを打ち込む。
 丁寧に磨き上げたタガーは、どんっと、男の首を貫いて刺さった。
 どさっと、前向きに倒れ込んだ男の首からロイがタガーを抜く。
 途端、ぶしゅうっと、派手に血が吹き上がった。
 「お前は、こんな事、しないでいいんだ。ヒューズ」
 胸から顔からタガーを握り締める手全体までを、血で染め上げたロイは。
 静かに笑った。
 壊れているとはとても思えない、静かな微笑だった。
 「……お前は、こんなコトするな。な?」
 ぽんぽんと、俺の肩を叩いたロイはついてくるなよと小さく言い残し、サラマンダの紋章がひ
らひらと揺れる己のテントへと一人消えて行った。
 俺は追おうとする身体を、己で抱き抱えるようにして止め。
 影で様子を伺っていた部下を呼びつけると、まだ息のあるものの手当てと焼死体の始末を
指示した。

 殺した分は自分で掴まえてこいと、無線から流れ出た上官の理不尽を通り越した命令。
 思わず聞いた途端無線を叩き切ったロイを諌めるのも忘れた。
 どこまで。
 どこまで人間を、部下を壊せば気がすむんだ。
 「この人でなしともがっつ!!」
 拳をぼろぼろの机に向かって叩きつければ、ロイがその手をそっと取り上げる。 
 無言で傷薬を塗りつけて、不恰好に包帯が巻かれ出すまで、俺は握り締めた拳から、かな
りの出血があるのにも気が付かなかった。
 「ヒューズ」
 ここ数日、眠る時さえもロイは発火布を取らない。
 俺が大好きなやわらなか白さをたもった手を見たくて、生身の手を硬く握り締めたくて、手
袋を外してくれと幾度叫んでも、ロイはゆるく首を振るだけで。
 「私一人で行って来るから。部下の面倒は頼むな」
 憤りを通り越して飽きれ返るしかない上官の命令をロイは遵守するつもりなのだ。
 「俺も、行く」
 「……や。お前は残ってくれ。頼むから」
 「ロイ……」
 俺の縋る眼差しに、ロイは苦笑してもう一度諭すように呟く。
 「最近術の制御が難しい……お前も、部下も、万が一にも巻き込むような真似はしたくな
  いからな・……残ってくれ」

 ここにきて、消耗しきった国家錬金術師の暴走する術のあおりを食らって味方にも被害が増
え出してきた。
 ロイも壊れているんですと、虚偽の報告を打とうかと惑うほど。
 それくらいには頻度の高い危険だった。
 今のところ、ロイの手によって直接的な被害を受けた味方は一人足りともいなかったが、限界
は本人が一番よくわかっているのだろう。
 「わかった」
 不承不承といった風情で頷けば、心の底から安堵するロイが、ぎこちない微笑を浮かべる。
 こんな時のロイ相手に、無駄な口論をするほど付き合いの浅い俺じゃない。
 部下達は無論、置いてゆくつもりで。
 自分は絶対について行こうと誓って、俺はテントの布を跳ね上げて背中を見せたロイを黙っ
て見送った。

 小型の通信機をポケットに入れて、イヤホンで繋ぐと最前線の情報が途切れ途切れではあ
るが、聞こえてくる。
 敵さんの無線を傍受しての所業だが、一度これを手にしてしまうと手離せなくなった。
 次の一手を読む時に、必要不可欠なアイテムだった。
 素早く動く為に銃器は必要最低限。
 水も水筒一個分。
 飯に至っては、カロリー補給を重視した為に、本来の味とは掛け離れてしまったキャラメル
数個。
 これだけは、絶対手離せないタガーを腰に数本装備して。
 俺は無線から溢れる情報だけを頼りにロイの位置を探った。




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