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 切っ先と焔

 
 天地がひっくり返っても、お前が私の敵に回ることはないと。
 そう、思っていた。

 死んだはずのヒューズが私の元を訪れたのは、彼の葬式から四十九日がたった日。
 毎日ヒューズの夢ばかり見ていたから、これも夢の続きなのだと、最初はそう思った。
 「一カ月ぶりぐらいか?ロイ」
 その日私は、中尉の心遣いの下、半ば強引に休暇を取らされていた。
 起きぬけのコーヒーを口に含み、見るともなしに新聞を広げていた所で。
 「四十九日ぶりだ、ヒューズ」
 差し入れの軽食とワインと。
 普段と違うアイテムは両腕に抱えきれんばかりの薔薇の花束。
 私が教えてもいない、突然の休暇にヒューズが押しかけてくるのは、不思議に何度もあった
話で。
 招き入れた途端、後ろ手に手早く施錠をされて、きつく抱き締められた上、激しい口付けがさ
れるのも、割合とよくあるパターンだった。

 幾度も見た夢。
 
 足元に落ちた薔薇の芳香が噎せ返るようで。
 触れてきたマースの唇が、氷よりも冷たくて。

 これは、本当に夢なのかと、思った途端。

 「現実だぞ、ロイ。ほら、俺は生きている」
 離れた唇の端が、にいっと吊り上がって、ヒューズの手が私の手首を掴む。
 掌がヒューズの心臓にあてられた。
 とく、とく、と。
 眠るヒューズの胸に耳をつけて聞いたのと同じ、確かな鼓動が刻まれている。

 「……タダイマ」
 「おかえり……どうやって、還ったか聞いていいか?」
 正直自分以外にヒューズを錬成できる人間がいるとは思えなかった。
 実力も執着も。
 全ての面に於いて。
 悪い予感が、するすると背筋を這い回る。
 「これで、わかるか?」
 生前と変わらない、個人的にはどうかな?と思うセンスの、ど紫のワイシャツのボタンがぷち
ぷちと、まるでコトの前のように外されてはだけられた。
 「……お前……どうして……」
 頭の回転が鈍い方ではない。
 もしや、と。
 その可能性を考えなかったわけじゃない。
 でも、まさか。
 あのヒューズに限って、そんなことをしでかしてまでも、生者の世界に拘るとは思っていなかっ
た。
 「ウロボロス……」
 ちょうど心臓の上に鮮やかに浮き上がっているのは、血塗れの紋章。
 死者の世界から、ホムンクルスとして蘇った証。
 「想像していたよりは、快適だ」
 「そんなはずないだろうが!」
 「いや?何でホムンクルスになったことのないお前が、そう断言できるんだ。ロイ……お前さ
  んらしくもない、憶測で物事判断するのはよくねーぞ?」
 「だって、マース。よりにもよってホムンクルスなんて……お前を殺した相手なんだぞ」
 お前に傷を負わせた色欲のホムンクルスは、殲滅させた。
 同時に、ハボックを失うこととなったが、奴は生きている。
 どこまでも忠犬だから、遠くはない未来、また私の背後を護ってくれるだろう。
 生きてさえ、いれば。
 何でも、どうとでもできるのだ。
 でも、ヒューズは死んでしまった。
 しかも殺されたのだ。
 志も半ばで、愛しい幼子や妻を残して死ぬのはどれほど無念だったのか、私は知っていた。
 のに。
 「知ってる。直接俺を殺した相手を今、兄、と呼んでいるよ」
 憎しみはないな、と笑うヒューズが信じられない。
 「……馬鹿な」
 「ホムンクルスとなって、一つだけ絶対的な感情がある。創造主である父上への服従だ」
 「ここへ来た、理由は?」
 ホムンクルスとなってしまった以上、ヒューズはもう、私の知るヒューズではない。
 ましてや、ウロボロスの総責任者でもあるのだろう、父上、に盲目的な忠誠を捧げる以上。
 私の所には何らかの意図があって訪れたはずだ。
 「俺もよくはわからんのだけどな。父上の為に人柱になってくれ」
 「人柱?は、ごめんだな。そんな死に様」
 ホムンクルスの言う人柱が、どんなものかはわからなくとも、我ら人間に仇なす所業だという
ぐらいは、想像するまでもない。
 「……そう言うと、思った」
 ヒューズが綺麗に笑う。
 年を考えれば吃驚するほど無邪気な微笑みは、私がとても大好きだったモノ。
 「じゃあ、仕方ない。俺はお前の敵に回るよ、ロイ」
 「……そう言い切るのならば。お前は、私の手で殺してやるよ。マース」
 愛していた。
 愛している、誰よりも。
 ……今でも。


 「俺にお前は殺せても、お前に俺は殺せんよ」
 「どうかな?」
 「だって、お前。俺を愛してるだろう?」
 気が付けば、腰を抱かれていた。
 もう、私のヒューズ知るヒューズではないと、頭では分かっていても、身体がついてこない。
 奴を敵だと、理解しないが故に、ヒューズの行動を甘んじて受け入れてしまう。
 自然と閉じた瞼の上に、やわらかく、けれども冷たい唇が触れた。
 「ほら、反射的に目を閉じて、俺のキス待つくらい。好きだろう?」
 「ああ、マース。好きだ。愛してるよ。お前が、ホムクルンスとなっても変わらずに、愛してる
  ……でも私は、ロイ・マスタング。焔の錬金術師だ。この名前の呪縛を、知らぬお前では
  あるまい?」
 攻撃系最高峰とランク付けされて久しいこの錬金術で、どれだけの人間を殺してきたか。
 殺戮兵器として優秀な私は、残念ながら壊れてしまえるほど、弱くはなかった。
 人殺しの禁忌は持っているし、出来得るなら、殺したくはない、けれど。
 眉根一つ動かさず、心に傷一つ残せもせず。
 殺せるのだ。
 罪悪感の欠片すら擁けず。
 人を、自分を。




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