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  遠雷



「うわ!本気かよ、これ」
 バンドの練習帰りの道すがら、突然大雨が降ってきた。
 バケツをひっくり返した、という国語的な表現が頭に浮かぶ凄まじさだ。
 「ギターだけは死守しなきゃな!」
 革のジャケットを素早く脱いで、ギターを抱え込む。
 ケースに入っているから、水が入る心配はないのだが、染みてこられても困
る。
 シャッターの下りた店の前、庇が広い場所を探して走る。
 「げー!ぐしょ濡れだ」
 髪の毛からは、ぱたぽたと雨水が垂れて、視界を濁らした。
 だから、気がつかなかったのだ。
 
 『雨紋君?』

 自分を呼ぶ声がして、バッグの中、たまたま入れてあったタオルを取り出す
手をとめる。
 「気のせいか?」
 辺りを軽く見回したが、人らしき姿はない。
 これだけ凄まじいどしゃ降りだ。
 余程事情がなければ、歩く人間はいないだろうと、思った矢先。
 視界の端に、黒いモノが映った。
 取り出したタオルで目を擦って、顔を上げる。
 足元から濡れていく、雨などまるで降っていないかのように、歩く黒づくめ
の姿があった。
 濡れるのを楽しんでいるとしか思えない、のんびりさ加減で近づいて来る、
人影。
 「壬生、さん」
 見知った顔だった。
 「奇遇だね?」
 俺がここにいなければ、きっと足をとめなかったのだろう。
 雨の中を歩いてきたとは思えない自然さに半ば呆然としながらも、自分が使
っていたタオルを差し出す。
 「使い掛けでスミマセンけど。使ってください!」
 まー親しい部類に入らない先輩とはいえ、あの如月さんが親友と謳うたった
一人の人物だ。
 どう考えたって無碍にはできない。
 「いいよ。君の方が大変なんだ。ギターに湿気は大敵なんだろう?きちんと
  拭いた方がいい」
 「でも!」
 言いかけたセリフは、すうっと細められた眼差し一つで封じられた。
 遠くで鳴っている雷の音が、奇妙なまでに近く聞こえる。
 「それに、血がつくかもしれない。そんな失礼な真似はできないからね」
 「っ!」
 低く囁かれた言葉で、壬生さんが今まで何をしてきたかを悟る。
 伝え聞きでしか知らない、壬生さんの『暗殺者』である一面。
 正義の名の元に誅殺を繰り返す拳武館の、一の手慣れが、この人なのだ。
 「……風邪ひくと、如月さんが心配するんすよ!俺がタオルを貸さなかったの
  がばれたら、間違いなく出入り禁止を喰らうから!」
 と、言った所で、壬生さんが頷かないのはわかっている。
 「失礼します!」
 だから。
 壬生さんの頭の上に、タオルを置いてわしゃわしゃっと掻き混ぜた。
 怒られるかなーと、思ったが。
 「全く」
 雨に濡れた唇から漏れたのは、微かな苦笑だった。
 「僕だって、君に風邪を引かせたら、如月さんに怒られるよ?」
 俺の手を止めて、タオルを取り上げた壬生さんの手が。
 タオルと共にふわっと、頭に被せられた。
 不器用な俺と違って、壬生さんの手は丁寧に俺の頭を拭いてゆく。
 もう随分と濡れたタオルなのに、俺の顔や髪の毛がすっきりするのは、壬生
さんが耳の裏から髪の地肌までをさらってくれるからだ。
 タオルと壬生さんの指先の隙間から覗いた壬生さんの顔がいつもより全然
子供っぽく見えるのは、髪の毛が全部降りているせいか。
 額から頬を伝う水滴を見るにつけ、水も滴る何とやらってーのは、壬生さん
みたい人なんだとしみじみする。
 「この辺りが限界かな、もうびしょびしょだ」
 ギュっ絞ったタオルからぱたぱたと水滴が落ちた。
 「後は、服の上から軽く水滴を拭っておくといい。夕立みたいなものだから、
間を置かなくてもやむだろうしね」
 「ありがとうございますっ……しっかし凄い雨ですね」
 「本当、突然降って来るのはいただけない」
 「まー、練習の行きよりは帰りだったんで、良かったんだと思いますケド」
 「ああ、練習だったんだ。ライブが近いんだろう?」
 「よく、知ってますねぇ」
 口コミだけでチケットが完売してしまうので、派手な宣伝活動は控えているし、
そもそもライブが決定したのがつい数日。
 しかも、シークレットライブっていう奴で、身内以外は知らないはずなんすけ
ど。
 「拳武館の生徒にCROWの大ファンがいてね。教えてくれたんだ。僕が前、
  彼からCDを借りたことがあったから」
 「え!聞いてくれてたんすか?」
 麻雀大会の時なんかで、ライブの話をしても無反応だったんで、てっきり興
味がないもんだと思ってた。
 「ジャンル的に不得手なはずなんだけど。君の曲は好きだな。歌詞がない
  方が特に好みだ」
 それって、本当に俺の曲を気に入ってくれてなきゃでない言葉っすよね?
 「じゃ、じゃあ、今回のライブのチケットとか上げたら来てくれるとか?」
 「知人に聞いたら、日程的には大丈夫だったから、チケットも頼んであるよ」
 「ちょっと待ってください!買うことないっす。今ここにありますから!えーっと
  お友達の分もいけますっ!」
 「巷ではプレミアがつくと聞いているよ?ただで頂くのは申し訳無いだろう…」
 「や、本当に……あっ!それじゃあ今度チケット代分奢ってくれればいいっす
  から」
 何とかして、ただで受け取ってもらわねば。
 だいたい他の先輩連中には無料配布前提なのに、壬生さんからお金を貰う
なんて申し訳無い。
 こんなことなら、如月さんにもっと余計な数渡しておくんだった。
 「では、ありがたく頂くよ。知人もすごく喜ぶだろう」
 いい様、くすっと、いきなり笑う。
 「??何か、おかしかったんすか」
 思いだし笑いしか、検討がつかず、尋ねれば。
 「いや、ね。僕が君と知り合いだっていったら、驚くだろうなと思ったんだ」




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