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 思い出話


 「帰ったぜ!」
 軍服を四六時中着ているのが、こんなにも辛い事だとは思ってもみなかった。
 執務中はワイシャツ一枚で過ごしているとしても、日がな一日。
 机の上で書類と格闘していられるほど、暇な職業ではないのだ。
 大総統というものは。
 「……お帰りなさい……」
 語尾に、ふわぁ、と欠伸のおまけをつけて迎えに出てきた身体を、ぎゅうっと抱き締める。
 強く抱き締めれば折れてしまいそうな、華奢な身体。
 実際、この身体はそんなに健康体でもないのだ。
 「ん?熱があんのかよ」
 腕の中に納まった、真っ白いシルクのネグリジェ越しに伝わってくる熱が、何時もより強い。
 「……微熱だよ。何時もの事だ」
 「どれ……」
 「駄目だよ。風邪ではないけれど。君にうつったら、どうす……ん…んっ…」
 俺はこいつの唇で、熱を測る。
 濡れ具合と熱さで、ほぼ完璧に計測できるのだ。
 「この乾き具合と熱さは、八℃手前ってとこだな。微熱じゃないじゃないか。よっせ、っと!」
 「エドワード!」
 お姫様だっこ、という奴に。
 こいつは何時までたっても慣れない。
 「そんなに照れないでもいいじゃないか。俺しかいないんだし。歩くの、シンドイだろ?」
 「でも……んっつ……んっつ」
 何かを紡ぎたがる唇を塞ぐ。
 こいつの唇はハチミツを舐めるよりも甘い。
 男であった頃から、女になった今でも。

 寝室まで運び込んで、寝乱れたシーツの上にそっと、身体を横たえる。
 「何か、飲むか?」
 「それよりも、君。食事してないんだろう?」
 「ああ……キッチンになんか、あるんだろう?アンタの顔見ながら食うから、気にするな。で、
  どうする?何を飲む?」
 「オレンジジュース」
 「はいよ。温くていいな?」
 「うん。常温のままで頼むよ」
 極端に冷たい物や熱い物を摂取できなくなった身体は、味覚も随分と変えた。
 以前のこいつだったら、そもそもオレンジジュースなんて、飲みはしなかっただろう。
 髪の毛を掻き上げて、現われた額にキスを一つ落とすと、俺は軍服の上着をイスの上に放り
投げながら、キッチンへと向かう。
 テーブルの上には、二人分の夕食がシェフの手によって並べられていた。
 メインの肉だけを二人分、軽く温めて、ライスは自分の分だけ更に盛り上げる。
 サラダボウルも二人分。
 ドレッシングはさっぱりとレモン風味のオリジナルを選んだ。
 そして、忘れちゃいけないオレンジジュース。
 ナイフとフォークもトレイ二枚に乗せこめば、何とか一度で運べそうだ。
 「お待ちどうさま」
 「……そんなに一度に運んで。何時か零すよ」
 「不器用なロイさんと一緒にしないで下さい」
 一度サイドテーブルの上に一式を置く。
 横になっていたロイの身体を起こして、背中にクッションを三個。
 ベッドヘッドに凭れられない反対側の手元にもクッションを一個。
 ワゴン式のテーブルを、ロイと自分の間にセットする。
 ついでに、食事も一式移動させた。
 ずりずりと引きずってきたイスに座り込んで、食事の用意の完了だ。


 「ほいよ。これはロイの分」
 「……ジュースだけでいいのに」
 「サラダくらい食えって。後は、肉。二切れは食べさせるからな」
 昔は健啖家ではなかったが、美食家でそれなりの量をこなしたと言うのに。
 「あんまり無理はさせないで欲しいね?」
 今はもう、食べないのではなくて。
 食べられない身体になってしまった。
 「前と違って吐くまでは食わせないだろうが」
 勝手がわからなくて。
 俺が嫌いなのだと、抵抗が許されないロイの、足掻きなのだと思っていたから。
 本当に、食べられなくなったんだと。
 ノックス先生に指摘されるまで俺は、結構な量の食事を無理矢理させようとしていたのだ。
 「そんな事もあったね……さ、エドワード。せっかくの肉が冷めるよ」
 「そうだな。じゃ、いただきます」
 「いただきます」
 帰るまでに、質量共にそれなりに食べてきたのだが、好きな相手だと原が底なしになるようだ。
 ロイを前にして食べる肉は、数時間前に食べた接待肉より遥かに美味しく感じる。
 「そういえば、今日はアルフォンス君と先生が来たよ?」
 「先生は定期健診として、アルは何だって?」
 もう、年なんだからよぉ。
 引退させて貰いてぇよなぁ?
 と、言って髪の毛に随分白い物を混ぜたノックス先生は、それでも俺とロイに請われて、ロイ
の主治医になって久しい。
 本当は一緒に住んで欲しかったんだが、ロイと先生が二人して嫌がるので、ここからゆっくり
歩いても五分の所に、小さな診療所を開いている。
 口の悪さは健在だけど、腕前も全く衰えないから近所では評判で重宝されていた。
 また、軍からの厄介な患者も度々運ばれる。
 退屈はさせて貰えねぇんだなぁ……が先生の口癖だ。
 「うん。美味しい果実ができたからって、わざわざ、おすそわけに来てくれたんだ」
 本当は軍人になって俺を支えて欲しかったんだけど、もう人殺しはしたくないんだ、と悲しい目
で呟かれて断念した。
 今はウィンリィと結婚して、リゼンブールで農業を営んでいる。
 元々の人当たりは俺より良いし、ずっと努力家だ。
 裸一環で始めた農業で、リゼンブールを代表する一人といわれるくらいの財産家になってい
た。
 「へぇ?ナニ」
 「君の好きなさくらんぼと、私の好きな梨」
 「梨は時期に早いんじゃねーの」
 「品種改良に成功したんだって。真冬以外オールシーズンでいけるってさ」
 「そりゃすげぇ」
 錬金術は民衆の為に、を実践してるよなぁ。
 「後で頂くといい。梨なんか早生物とは思えないくらい美味だったよ」
 「食べたんだ」
 「アルフォンス君が剥いてくれたんだ。あの子は相変わらず器用だよね」
 「……悪かったな、不器用で」
 「人には得て不得手があるよ。果物の皮は向けなくても、国を背負える。ある種、器用だと思
  うけれどね」




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