アオスジアゲハ



 目の端を蝶がひらりひらりと、羽根をはためかせながら飛んでいる。
 飛ぶ事に飽いたのか疲れたのか、蝶が羽根を休むのに選んだ場所は僕の
肩の上。
 「他の男だったらどうかと思うけれど、如月とかさ。壬生は似合うな。…そー
  ゆーの」
 旧校舎帰り、家路へとつく僕らはたまたま隣り合っていた。
 「そうかい?君にも似合うと思うけどな。ほら、こんな感じでどうだい」
 肩に止まる蝶に指を差し出せば、蝶はおとなしく僕の指の上に移り渡りはた
りと、一度だけ大きくはばたかせてとどまった。
 そのまま彼女のポニーテールを飾るリボンの上に、止まらせようと指を移動
させる。
 真っ赤なリボンの上にアオスジアゲハの色味はどうかとも思うが、僕の肩に
止まるよりはずっと絵になる光景だろう。
 「あ!」
 蝶は一瞬だけリボンの上に移ったが留まることなく飛び立ってしまう。
 少しだけ残念そうな色合いを浮かべた雪乃さんはおとなしい雛乃さんに反
発して……それは必ずしも嫌な言葉でなく、自分が雛乃さんを守ってやろう
という健気な優しさの現われでしかないのだが……男っぽい風情を漂わせ
ているが、以外に乙女だったりするのだ。
 喧嘩仲間という方が近い、恋人の雨紋君からそれらしい話もよく耳にする。
 「……アオスジアゲハは、死体に群がる蝶だからね。君の頭の上は居心地
  が悪かったんだろう」
 「へえ?蝶々っていえば花にたかるもんだと思っていたけれど、違うんだ?」
 「勿論花にも止まるけれど、特にアオスジアゲハは死体を好むんだ」
 「壬生は豆知識に強いよなー。雑学帝王っていうの?」
 「如月さんほどではないと思うけど」
 「骨董屋の場合は、どっちかってーとおばあちゃんの知恵袋だろう。何となく
  年寄り臭いんだよな」
 如月さんが側にいれば苦笑を誘うかもしれないが、歯に衣着せない表現は
雪乃さんらしく、不思議と嫌味にならない。
 「あ、れ…戻ってきた?」
 先ほど飛んでいった蝶がまた、僕の肩の上に止まる。
 「壬生の肩の上には止まるんだなー」
 「僕は人殺ししか能がない男だからね…きっと死体と似た匂いでもさせてい
  るんだろう」
 雪乃さんが驚いた顔をして、すぐに申し訳なさそうな表情を浮かべる。
 人殺しという言葉に反応してしまった自分を悔いるように。
……本当に素直な女の子だ。
 「壬生さーん。駄目ですよ。そんな事言っちゃ!これで案外怖がりなんです
  からこいつは」
 話し掛けるタイミングを狙っていたのだろうか、雨紋君が僕の背中越し肩を
叩きながら現われる。
 反対側の蝶はそんな衝撃にも微動だにしない。
 「こいつなんて言うな!雷人ごときが!」
 僕の肩越しに、女の子にしては結構な力強さで雨紋君の腕を引き寄せた
雪乃さんは、ごっといい音をさせて雨紋君の頭を殴りつける。
 「ごときとは酷いっすよねー壬生さん」
 痛てて…と頭を抑えながら上目使いに見つめてくる様は、叱られた犬がご
主人様のご機嫌伺いをする様子にとてもよく似ていた。
 「それは、どうかな」
 「ああん殺生なー。冷たいのは雪乃様だけで十分です」
 「本当に冷たければ……雷人の彼女、なんてやってないよ」
 低く囁いた雪乃さんは、とんと雨紋君の身体を突き放した後で、すっかり旋
毛を曲げてしまったらしく、すたすたと先に歩くメンツに合流してしまう。
 「雪乃……こーんなにラブなんですけど」
 とほほーという効果音でも聞こえてきそうな落ち込みっぷりに、思わず口の
端を上げる。
 「こんな事壬生さんがわからねーわけないと思いますけど、一応言わせて
  下さいよ」
 「ん?」
 「雪乃ね。壬生さんの言葉に驚いたの、人殺しって所じゃないんですよ。人
  を殺した壬生さんがアオスジアゲハに囲まれてね、佇んでいる姿を思い
  浮かべて……それを綺麗だなって思って……驚いたってわけで」
 「綺麗、か。女の子らしい発想だね」
 人を殺す事のおぞましさなんぞ微塵も考えず、反射的に綺麗だと情景だけ
を思い描けるある種健全な精神は、何も雪乃さんのものだけではないだろう。
 「でね。壬生さんが誰のために人殺しに甘んじているかと、思い起こして…
  ごめんなさい……なんですわ。こんな事言ってるってばれたら雪乃に刺さ
  れるかもしんないですが」
 「僕も多少誤解があったから。ありがたいよ。怒られたら壬生がそう言って
  いたと伝えればいい。……君達はお似合いだと思うよ……さあ、早く追い
  かけないと」
 僕に促されて、雨紋君は雪乃さんを追いかけて行く。
どんなに邪険にされても、その一生懸命さに雪乃さんも機嫌を直さざるえない
のがいつもの二人のパターン。
 誰が見ても初々しい、お似合いの、カップルって奴だ。
 「何、卑屈になってるんだろうね、僕は」
 深い溜息をつく僕の視界の端をふわっとよぎった物は、またしてもアオスジ
アゲハ。
 実際僕には、アオスジアゲハを呼び寄せるフェロモンでも出ているんじゃな
いかと、勘繰りたくなるほどにアオスジアゲハだけに懐かれる。
 今もまた、新たに飛んできた蝶は、先ほどからずっと動かない蝶の隣に落
ち着いた。
 歩いている人間の肩に、ましてや二匹並んで止まっているなど、常識の範
疇では考えられないことだろう。
 それほど僕の体には腐臭が、死臭が、染み付いていると言うのか。
 「こんな身体で、誰かを思うなど…相手の迷惑にしか、ならないのに…」
 見ているだけで、良かった。
 こうやって彼が歩いている姿を後ろから、密やかに見つめているだけで良
かった。
 のに。
 君があんまりにも、屈託なく笑いかけるから。
 何の気取りもなく、頭を叩き、肩を抱き寄せ。
 酒が入った席での冗談でも『俺の紅葉に触ったら駄目だぜ?』と、僕を特
別に扱うから。
 君を好きに、なってしまった。
 さすがに、告白なんかは一生できそうもないけれど。
 見ているだけではもう、物足りないのは事実。
 暗殺者たる者、特別を作ってはいけない。
 感情を乱すような思いを抱いてはいけない。




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