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 『そう、好きに呼んでくれていい』
 「天使」
 『はは。いいなそれ。あんたにとって俺は、そういう存在なんだ?』
 「そうさ。ヒューズを蘇らせてくれるんだ。それ以外に呼ぶとしたら、神、かな」
 言葉を交わす側から、背後に、怖気だつ気配を感じる。
 たぶん、これこそが真理。
 ヒューズ蘇りに欠かせない、最後の砦。
 『ほんと。面白いよ、あんた。ここまで色々な奴らがやってきたけど、トップクラスの狂人だ。
  あんたなら……もしかしたら見れるかもしれないなあ』
 頬の辺りにぺたりと触れた黒々とした闇。
 見る間にそれは、私の全身を拘束し、身じろぎ一つできぬよう絡み付いてきた。
 『真理の、向こう側って奴が』
 しゅるん、と目を覆った闇は。
 そのまま私を深遠へと、引きずり込んだ。

 そこには、何もかもがあって。
 何、一つなかった。
 私が感知できうる感覚の全てを通じて、人には絶対許容できない叡智が四方八方から強引
に注ぎ込まれる。
 『あああああああああああああああああ!』
 口から阿呆のように放たれた絶叫は、最後の理性。
 ただ、思考を白くして、何も考えないように、己の無意識を信じて。
 必要なだけの情報を種別する。
 私が欲しいのは、ヒューズの魂と精神の構築と、肉体を起動させるメカニズムの理のみ。
 『………あ?……あ』
 切ってしまわねば修復できないほどに交差する無数の糸が、恐ろしい速さで解けてゆく。
 傷みもせず、ましてや切れもせず、変質すら起こさずに、鮮やかに解けた糸は、何本かにま
とまって、きっちりと規則性を持って編み込まれた。

 それはただのイメージであって。

 実際糸が存在した訳ではない。
 情報を勝手に糸に見立てた私の無意識が、わかりやすく、纏め上げたのだ。
 後は、この糸を誰にも渡さずに、あちら側へ、そのままで。
 持ち込めばいい。
 そのためには、今ここで、私を、捨てる。
 全てを等価に交換するならば、私はもう、あちら側へ帰るわけにはいかないのだ。
 今まで捨ててきた、そして作り上げてきたものを犠牲と考えるならば、どう足掻いても少なす
ぎる時間の中で。
 私は最後の決断をする。

 急速にクリアになってゆく。
 無意識が、意識に変わる。
 その、僅かな間に。

 私は、私を放棄した。

 「ひゅうず?」
 頭の中で浮かんだ言葉をそのまま口にした。
 多分、人の名前だろう。
 「まあす、どこ?」
 体が重かった。
 一応は動くけれども、ただ重かった。
 「どこ?」
 何とか動いた首をゆっくりと曲げて、辺りを見回す。
 不思議な文字が浮いた赤い円の中に、目指す姿を見つける
 「良かったあ。成功したんだ」
 何が成功したのかも、わからないまま、ただ安堵して、祈るように指を組んで横たわる男の
側に、這って近付く。
 ざりざりの無精髭。
 眼鏡。
 私を、ロイ、と呼ぶ、懐かしい声音。
 懐かしい?
 どうして、ずっと側にいたはずの人間に対して懐かしいと思うのだろう。
 長く、会っていなかったんだろうか?
 思考が、はっきりしない。
 山中の行軍で霧にでも捲かれてしまったかのように、何もかもが薄ぼんやりとして記憶すら
覚束なかった。
 ただ、わかるのは目の前で眠っているらしい男が、マース・ヒューズという名前で。
私、ロイ・マスタングにとって大切な存在なのだということ。
 それだけ。
 「ヒューズ。起きろよ。なあ?」
 腕を掴んで何度か揺さ振るけれど、全く目を開けようとしない。
 「そんなに疲れるようなことをしたのか。仕事はほどほどにしろといつも言っている、のに……」
 や、その言葉は私がヒューズに言われた言葉だ。
 「あれ、俺。どうしたんだろう、ヒューズ。疲れた、のかなあ」
 ヒューズの胸の上耳を預ければ、こと、ことと脈打つ心音が届く。
 「お前も寝てるし?俺も、寝ようか……ひどく、疲れてるんだ」
 何を囁いても返事は心臓の音だけでも、私は満足していた。

 ヒューズは、蘇ったのだ。

 「はあ?蘇ったって?」
 先刻から私の思考はどこかが、異常だ。
 自分でも気がつかぬ内に、疲れきってしまったのだろう。
 ヒューズが近くにいないと割合よくある事だ。
 こんな時は眠るに限る。
 ヒューズの腕に掴まったまま、腕枕をして目を閉じた。
 当たり前のように私を抱き抱えたヒューズの暖かな腕の中、ゆらゆらとまどろみに落ちてゆ
く。
 何か、とても大切な事を忘れてしまった気がしたのだが。
 眠りに絡み取られてゆくに連れ、それもどうでもよくなっていった。
 



                                                       END




 *エドロイありのヒューロイ。
   人体錬成成功おめでとう、ロイたん!
  ロイたんが得たものは完全版ヒューズですが、さて、失ったものはなんだった
  でしょう?
  それは次作のエド視点話に続きます。
  正気の大佐が残した狂気を具現してゆく、エドの絶望的な愛情をご覧ください
  ませ。




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