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 ああ、これでやっと。
 ヒューズに会える。
 と。

「はあはあはあ」
 全ての材料を、小屋に運び込んで、私は額に浮いた汗を手荒く拭う。
 時間がない。
 早く、早く、錬成を始めなければいけない。
 この日、この時のために、ヒューズが死んだ瞬間から準備をしてきた。
 失敗は許されないのだから。
 
 大総統の地位を下りたその足で、私はここへやってきた。
 嘗ての部下達が、ささやかな祝賀の会を設けたいというのすら断って。
 先約があるのだと告げれば、大人しく引く。
 きっと私が鋼のと二人、穏やかな喜びを分かち合うのだろうと勘違いしてくれているのだろうが、
実際はそうではない。
 私は、鋼のと一緒にいるのも拒んだのだ。
 やるべき事はただ一つ。
 軍が滅んで、大総統の地位も失って、ただのロイ・マスタングという人間に戻ってようやっと、
成し遂げられるべき、事。
 今日は、奇しくも私の誕生日。
 人間、生まれた日が一番死に、近しいと言う。
 魂を手放すのに、これ以上の良き日はないのだ。

 日付が変わるまで、後一時間。
 さあ、始めよう。
 
 私は、一枚の紙を取り出した。
 ヒューズを錬成する為に必要な物を全て書き出した紙だ。
 一番上から丹念に確認してゆく。
 まずはヒューズの亡骸。
 棺桶に入れた献花の一本に細工し、棺桶を包んだ軍旗にも同様の細工を施して、遺体をその
まま保存できるように努めた。
 ヒューズの身体を破壊する菌が生きていけない低温で包み込んだのだ。
 献花からは常に一定の冷気が発せられ、軍旗がそれを逃がさずに包み込む。
 死後一ヶ月、一年、三年と墓を掘り返して、保存が成功しているのを確認してあった。
 先ほど掘り出してきたヒューズの死体は、まるで死にたてのほやほやだ。
 人体錬成をした過去の人間達は、一から人間を作り出すことに固執しすぎたように思う。
 だから私は、死体をそのまま錬成に使えるように、もたせたのだ。
 
 リスクは僅かでも少ない方がいい。
 人体錬成に欠かせない肉体の元素は一切排除した。
 ヒューズの身体に余計なものがついてしまっても困る。
 足りない部分だけを上手く、補填せねばならないのだ。
 部下に徹底させておいた献血のシステムにより、ヒューズの血液も保管されていたので、それ
だけは使うようにした。
 人間が生命活動を維持するのには足りない量だったが、ギリギリ他者の血液を混ぜても拒否
反応が起きないレベル。
 同時期にストックしてあった私の血液の中、拒絶が起きない成分だけを抽出したものを、合わ
せて使えば事足りる。
 体中の血管を巡る血液には、ありとあらゆる肉体を維持する情報が詰まっているはずだ。
 肉体の部分は、恐らくこれで問題ない。
 腐れもしなかった肉体に魂が呼び戻せれば、万事丸く収まるはず。
 だが、この魂が一番難しい。
 散々悩んだ末に、血の繋がりが一番濃いエリシアの情報は入れないことにした。
 子煩悩で愛妻家な部分も含めてヒューズだと思うのだが、万が一。
 生きている二人に何らかの影響がでたら、取り返しがつかない。
 美しく若くもあった彼女は、既に他の男の元へと嫁いでいる。
 時折様子を伺うに付け、私ほどではないにしろ、エリシアも相手の男に懐いているようだ。
 忘れてしまえるのならば、忘れた方がいい。
 本当は、それが人としての正しい道なのだから。
 血は繋がらなくても、一番長く近くにいた私の情報をやはりこれも血液に込めて。
 錬成ができる程度の力があればいいと、小さなバケツに一杯分抜いた。

 そして、肉体と魂とを繋ぐ、不透明な部分に。
 私は、禁じ手を持ち込んだ。
 真理を司るという少年にも似た存在は、これをどう判断するかはわからない。
 ただ、鋼のの話を聞くにつけ有効ではないかと、思ってしまったのだ。
 ヒューズが死んだその瞬間から、私は己が手がけた人間全ての魂の一部分だけを、発火布
の錬成陣に繋ぎ止めた。
 血で描いた錬成陣に結界に見立てるのは、よくある話。
 邪道中の邪道。
 許されるべき所業でないのは百も承知。
 私の魂だけでは、きっと等価交換に満たないだろうから、幾千、幾万とも知れぬ魂の欠片が、
あちら側からこちらへと戻る代償になればいいと。
 ヒューズを戻すために、私は己の全てを捨てるつもりだ。
 肉体も精神も。
 焔の錬金術師と言われた技も知識も。
 
 どんな結果になるかは分からない。
 ただ私が、今の私のままで戻れないことだけははっきりしている。

 準備を整えた私は、大きく息を吸い込んで構築式を紡ぎだした。
 何を見ずとも暗証するほどに繰り返した式を、一言一句間違えないようにゆっくりと言の葉に
乗せてゆく。
 最後の詠唱を終えて口を噤む。
 ……何も、起こらない。
 鋼のに聞き及んでいた、リバウンドですら。
 「まさか……失敗したのか?」
 絶望に血が滴るほど唇を噛み締めた瞬間。

 世界が暗転した。

 体全体が、真綿で包まれているような不確かな感触。
 自分の手を見ようとしたが、私の手であるはずの部分が目に映らない。
 足に当る部分もわからなかった。
 いつも通りなら見えるべきものが、何一つ見出せないのだ。
 もしかするとここでは、身体というものの概念がないのかもしれない。
 思念体だけが生息していられるような、特異な空間だと考えるのが無難だろう。
 『さすがに、動じないなあ。』
 声だけで、実際の質量はたぶんない。
 だが、確かにそこには、何かが存在している。
 影だけで構成されている人のような、モノ。
 「君が?」
 首を傾げて見せれば。




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