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 幼い子供が、必死に母親を求める姿にも似ていた。
 その一点だけ、景時は望美を恋人として求めているので、先生とは違うのだけれど。
 抱き締めても尚。
 不安そうな雰囲気は変わらない。
 「あれ? ごめん。びっくりしちゃったのかな」
 「ちょっとだけですけどね。いきなり抱っこされたら、誰でも驚くと思いますよ」
 「そっかな? 望美ちゃん以外にそんな事したことないから、よくわからないんだ。ごめん
  ね?」
 謝りながらも景時は、自分の膝の上、望美の身体を抱え込んで、しっかりと固定してしまう。
 「嫌じゃないんですよ! ただ、ちょっと驚いただけで」
 「うんうん。望美ちゃん、こーゆーの苦手だもんねぇ?」
 「景時さん!」
 思わず大きな声を上げたのと同時に、きゅう、とお腹が鳴る。
 穴があったら入りたいっていう格言は、こういう時に使うんだきっと。
 景時の腕の中、じたばたと暴れれば、またしても耳に吹き込まれるのは、謝罪の言葉。
 この人は、悲しいくらいに謝る癖がついてしまっている。
 「ごめんね? お腹空いちゃってるのに、抱っこしちゃって。俺が強く抱き締めたから、お腹、
  鳴っちゃったんでしょ?」
 「そういう訳でも、ないと思いますけど!」
 「でも、くっ付いていたいから、抱っこは止めません。だから、ごめんね?」
 「私も、くっ付いているのは、やぶさかじゃないです。でも! これだと景時さんが、ご飯食
  べれませんからっつ!」
 私は、腕を伸ばして魚の刺さった棒を二本、がっしと取ると、景時の腕の中。
 強引に反転した。
 向き合う形になってから、いい感じに焦げ目のついた魚の串を一本渡す。
 「これなら、抱っこして貰ったままでも、ご飯が食べれますから。この格好で良いですよね!」
 恥ずかしさは続行中なので、ついつい声を荒げたままで景時を見上げた。
 景時は、一瞬きょとんとして、後。
 花が綻ぶように笑うと。
 「御意〜!」
 と、何時もの口癖のまま、納得してくれた。

 はぁ。お腹いっぱいです。食べ過ぎました」
 「そう? 望美ちゃんは痩せ気味だから。もう少し食べてもいいと思うんだけど」
 「働き盛りの景時さんと一緒にしないで下さい! 私十分に食べてますよ」
 「そっかなぁ」
 「そうです」
 「俺としてはねぇ?」
 「へわわわあ!」
 突然、ひょいっと横抱きにされたと思ったら、膝の上。
 彼を跨るような格好にさせられて、きゅうと抱き締められる。
 「全体的に、もー少し、ぽしょっとしてる方が好みなんだよねぇ」
 「ぽしょ! ぽしょ! って」
 ぽにょ、と言われるよりはマシかと考えて、首を振る。
 お腹がいっぱいで眠くなりつつある体だったが、それ以上に、もう一つ。
 堪え切れない欲望がじわじわと滲み出しているのだ。
 「……だってその方が、抱き心地も良いし、ね」
 耳朶を優しく噛みながら、囁かれる睦言は、望美の状態を完全に把握しているとしか思え
なくて羞恥が極まる。
 「まぁ、今でも十分過ぎるほど気持ち良いけどさ」
 ふふふ、と低く笑うその声が、頭の中を容赦なく侵食して行く。
 「望美ちゃん?」
 故意に視線から逃れようとしても、こういう時には不思議と驚くほど強引な景時の指に顎を
拾われて、上向かされる。
 頬を包み込む掌が、目線をも固定させた。
 「ねぇ。望美ちゃん」
 慌てて閉じた目も、重ねて自分を呼ぶ、切羽詰った声音に開かざる得ない。
 そろそろと目を開けば、甘さの中に欲情が見え隠れする男の顔をした景時がいる。
 「しても、良い?」
 大人なんだから、雰囲気を察して始めてくれてもいいのに! と思う望美は、恥ずかしい
 気持ちを必死に押さえて頼んだ事もあるのだが、景時は必ず律儀に望美の同意を取りた
がった。
 言葉攻めとか、そういう趣味なのかと思ったが、言わないで行為を進めようとすると覿面
寂しそうな顔をする。
 不安、なのだろうかと思い至れば、今日も望美は頬を紅潮させながらも同意の言葉を
紡ぐしかなかった。
 「はい……して、下さい。私も……景時さんが欲しいです」
 言う側から更に頬どころか体全体が熱を持って行く望美に、これまた景時もみるみる
うちに、甘さよりも情欲の色を強くしてゆく。
 居た堪れなさに彼の肩に顔を埋めれば、景時は鼻歌混じりに褥の準備を始めた。
 望美の数倍は器用な景時の手によるお手製の褥は、不思議と水を弾く薄い布だった。
 普段はくるくると巻かれて、荷物の中に小さく入っているが、広げれば成人男性が二人
寝そべっても大丈夫なくらいの大きさになる。
 二人の頭の上、えいっつと掛け声付きで広げられた布の上、背中に手をあてられながら、
押し倒された。
 完全に背中がついた所で、景時がぎゅ、と強く抱き締めてくれる。
 望美は、行為の前のこの抱擁が大好きだった。
 「……この着物も、随分と草臥れちゃったね……」
 陣羽織の組紐を解きながら、景時が苦笑する。
 「ですね。こちらの世界に着てから、結構な頻度で着てましたからね」
 「逃亡生活に入ってからは、ずっと、だもんね?」
 「動きやすいですからねー。仕方ないですよ。あ! もしかして汗臭い、とかですか!」
 洗える時は、毎日のように洗っているのだけれど、数週間単位で洗えない時もある。
 しっかりした布地なので劣化は差ほどではないとしても、臭いがあるのかもしれない。
 解かれた組紐を持ち上げて、鼻近くに持って匂いを嗅いでみようと思えば、その紐の
先端を景時にぱくりと銜えられた。
 「景時さん!」
 「臭うなんて、そんな事ないよ。だいたい君は、何時も蕩けるように甘い匂いしかしない
  し……」
 ふんふんと首筋の匂いを嗅がれた日には、羞恥もどこかへすっ飛びそうな勢いだ。
 「も! 駄目ですっつ。そんな事しないっつ!」
 「えー。いいじゃん。俺、望美ちゃんの匂い大好きだし」
 って。
 そんな、黒糖の塊を丸齧りしたような、甘ったるい顔をされても!
 うううう。
 こういう時、すっごく彼が年上なんだと思い知らされる。
 景時に取ってはきっと、当たり前の睦み事なのだ。
 弁慶やヒノエ鍛えられた気になっていたが、上には上がいた。

 彼等は彼等なりに、私を大切に思ってしてくれたあれこれだったのだろうけれど、たぶん。
 その、愛情の深さが違うのだ。
 




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