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 信頼関係

 
 できるなら、私はヒューズ中佐になりたかった。

 「大佐昨日お願いしてあった案件ですが、どうなっていますか?」
  今日は朝から雨が降り続いている。
 激しい雨足ではないのだが、傘無しで歩くのは厳しいだろう。
 こんな日。
 普段はふらふらと出かけたがる大佐は、大人しく溜め込んでいる書類に向かってくれるのだ。
 「ああ、仕上げてある。右二列目。赤い付箋がついている」
 事務的な処理が苦手と思われているが、単純作業に弱いだけで、他の上官と比べて、否。
 専門的にできるといわれた上官と比べても遜色なくこなしてのける。
 「はい。確認できました」
 しかも、私にとって一番手際が良いだろうと思われる、手順で。
 「中尉。朝の賞罰はどうなった?」
 「将軍にお願い申し上げました。犯罪に至るまでの詳細は添付してございます。恐らく大佐が
  望むかなり“ぬるい”賞罰が下されるでしょう」
 「そうか……良かった。ありがとう中尉」
 「いえ」
 軍部機材を横流ししていた軍曹の処罰は、規定に添えば一ヶ月以内の横領した機材の完全
な返還と速やかなる退職。
 もしくは地方へ飛ばされて最下級の兵士に降格後、その一生を償いにあてねばならない。
 しかし、あまりにも家庭環境が急激に劣悪な状況に陥ってしまったのを理由に、恩情を賜る
よう書類を仕上げたのだ。
 大佐なら、そうすると思って。
 「次はですね。南方司令部との合同訓練の件ですが……」
 やわらかい笑顔に、見惚れているのを悟られないように、手元の書類を見て話を続けようとし
たその時。
 りりり。りりりり。りりりりりりん。
 電話が鳴って。
 りん。
 切れた。

 「はぁ。またか。忙しいはずなんだがなー」
 と、困っている風に肩を竦めるが、声が弾んでいるので喜んでいるようにしか聞こえない。
 「ヒューズ中佐ですか?」
 「ああ。こっちに向かってるみたいだ。後一時間以内にはこちらに着くんじゃないかな?」
 大佐の机に置かれた直通の番号を知っている人間は、そもそも少ない。
 知っていたところで、エドワード君のように早々かけてこない人間が多い中。
 相手がヒューズ中佐だと判断するだけなら、私でもできる。
 大佐直通電話は言うに及ばず。
 外線も含めた大佐宛の電話の大半が、中佐によるものだ。
 大半は愛娘・エリシアちゃん語りと愛妻・グレイシアさん自慢なのだが、時折。
 や、また何時もの自慢話か……と盗聴が外されたのを見計らったように漏らされる中央の
最新情報。
 酷く物騒な内容が交わされる事も少なくなかった。
 「……一時間で、終わるかなぁ?」
 「終わらせてください。それ以上加減はできませんよ?増やす事はできても」
 「中尉〜」
 そんな可愛らしいおねだり声を出しても駄目です!
 と、心の中の声に苦笑する自分を悟られないように。
 「大佐?」
 にっこりと口の端を上げれば。
 「わかってます。書類を溜め込んだのは私です。迅速丁寧に処理させていただきます!」
 やけくそのように、びしっと敬礼をして、諦めのペンを握った。
 私は容赦なく、書類をもう一山積む。
 恨みがましい眼差しを寄越す大佐の視線をさらりと交わして、自分の席についた。
 「……しかし。何だって電話が切れただけで、中佐が来るってわかるんスかね。何時も不思
  議なんスけども」
 ひそっと声を潜めて話し掛けてくるのは、ハボック少尉。
 「……煙草の灰、落ちるわよ?」
 「あ、スンマセン」
 上官にも銜え煙草で話し掛ける彼を、咎める人間は東方司令部にはいない。
 直の部下が『煙草臭い犬だ!』という割に、一度も止めろとは言わないからだ。
 その上官を食った態度が、できる部下の顔を隠すのだから構わないというのが、大佐の言い
分。
 確かに、少尉は部下の信頼も厚く、実践の戦果もずば抜けて高い。
 大佐より上の上官に引き抜かれないのは、一重に、上官を上官をも思わない態度故。
 大佐がよく笑って『東方に来ていい部下を拾ったからなぁ』と言う、筆頭の一人がこの飄々と
した人物。
 「貴方が、大佐の昼寝場所を探しあてられるのと一緒だと思うわ。それの進化版でしょう」
 「進化版、ねぇ。じゃあ、あれっスかねー。その内俺も大佐が抜け出す前に気がつけるよう
  になるんスか?」
 「そうなってくれたら、皆助かるわ……難しいと思うけれど。中佐は、大佐の特別ですもの」
 胸がちくり、と痛む。
 私だってきっと、大佐の中では大切な人間に数えられるだろうけれども。
 一番、ではない。


 「そうっスねぇ。中佐がめろめろに大佐を大事にしてる風に見えますけど。大佐も中佐には甘
  いっスし」
 「……ええ」
 どころか、その愛妻や愛娘にまで甘い。
 本来ならばするであろう、嫉妬の代わりに。
 溢れんばかりの愛情を。
 中佐にだけ、向けたいのを我慢して。
 二人にも向けているのだ。
 中佐が、喜ぶだろうから、と。
 「中尉、どうしたんスか?」
 我知らぬ内に、書類を握り締めていたらしい。
 「……大佐が、気もそぞろなのが、ちょっと気になったのよ」
 激情を悟られぬよう押し込めて、何食わぬ顔で呟けば。
 「ああ、本当だ。にやけてますね。大佐ー!集中してないって、中尉がお冠ですよー」
 はっと書類から目線を上げた大佐は、少尉が指差す私の手元に注目している。
 クシャクシャの書類に、自分の未来を見たのかもしれない。
 慌てて浮かべた愛想笑いと共に、猛然とペンを動かし始めた。
 「さすがは、中尉っスね?」
 「そうでもないわ。この書類は書き直しだもの」
 「はれ。そりゃ珍しい」
 てっきり白紙か、いらん紙かと思ってました。
 と少尉が、目を細めた。
 何だか時折、少尉には私の感情を読み取られているような気もする。
 二人ともきっと、同じ風に大佐が大切だからだとは思うけれど。
 「少尉も、急ぎの書類があったら、渡しておくといいわ。今ならきっとスムーズよ」
 「あ!それもそうっスね。早速探してみます」




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