メニューに戻る次のページへ




 血まみれ


 「マスタング准将!よろしいでしょうか?」

 大総統になるための代償に、大切な部下達をことごとく手放してしまった。
 彼、彼女達は必死に拒んだが、一年だけだ、また呼び寄せるから、と重ねて伝えれば、不
承不承承知した。
 特にホークアイ中尉は、最後まで食い下がったが。 
 私は、優しい人間と、優しい感情の全てを手放したかったのだ。
 君達がいると、残酷になりきれないんだ。
と、低く囁いた時に。
中尉の瞳から零れ落ちた綺麗な涙を、私は一生忘れないだろう。
 唇を寄せて、軽く涙を吸い取れば、まだ、掠れる声で。
 『一年です。それ以上は我慢できません。必ず、お側に置いてくださいね?』
 必死に縋ってきた。
 生きている中では一番近くにいた、彼女だ。
 私が何を考えているのかぐらい、容易く想像がついたのだろう。
 派手な戦争がない以上、早い出世は難しい。

 私はその時軍部内で、自分に不都合な上官の抹殺を誓っていたのだ。

 罠に嵌める策略は、ブレダが練ってくれただろう。
 諜報活動なら、ファルマンとフューリが適任だ。
 ハボックは、抵抗してくる奴等からの反撃から、完璧に私を護衛したに決まっているし。
リザ、は。
 私が指示した標的を殺すのに、瞬時の躊躇いも無く引き金を引いて、変わらぬ冷静を保った
まま、私をサポートしたはず。

 皆がいれくれた方が、仕事は楽だったが。
 心が辛かったのだ。
 大事だからこそ、理不尽な命令を下すのに、耐え切れなかった。
敵とみなす人間が、軍内にいなくなってからでも、やることはたくさんあったから。
 その時には働いてもらおうと。
 一年間だけ、一人で、無体を強いると決めて。

 一時期だけ、皆を手放した。
 
 ところが、思いもかけないところから、援軍があったのだ。
 私も、彼が私の下につくと考えてみたことは一度だってなかった。
 少なくとも、兄が反対するだろうし、兄に逆らってまで彼が軍属につくとは思わなかったので。

 「何だね?」
 わざとらしく大仰に頷いて、ゆっくり新しい部下を振り返る。
 「は!その……また、彼。いえ。錬金術師殿が……」
 歯切れも悪く、報告して寄越すのは、私が彼を大切にしている事実が部下達に知れ渡ってい
るからだ。
 「紅涙が?どうしたんだね」
 紅涙の錬金術師。
 彼が、そんなにも残な術を身に付けると、誰が想像しただろうか。
 私は本人ですら、その瞬間まで気付いていなかったのではないかと推察していた。
 生物が生きるに必要な器官をランダムに破壊して、最終的にはあの世へと送る非道の錬
金術。
 人体に悪影響を及ぼすと言われた突然変異の植物は、彼の手が触れた途端、みるみる
内に枯れていった。
 後に調べたところ、全ての根がどろどろに腐れていた。
 高い知能を持ち人間を大量に殺戮した狼の群れは、己の内臓が焼きつくされる痛みに耐
え兼ねて共食いを始めた。
 生き残りはいなかったと報告を受けている。
 私の密命によって初めて軍の人間を手がけた時。
 標的は、ある日突然こめかみを銃で打ち抜いた。
 遺書もなく、何の前触れも無かったので、不審故に解剖に回された結果、脳みそが通常
の人間の10分の1ほどの大きさに縮小していたと判明したのだ。
 その時々によって、どんな技になるのかはわからない。
 ただ最終的に死が約束された錬金術なのだ。

 「暴走、されたようで」
 「軍内に被害は出たのかな」
 「はい。コーラルネス中将とマルサマ中将がお亡くなりになりました」
 「なるほど」
 さすがに、私の理想通りの人間を屠ってくれる。
 「では、私が行かないとまずいね。人払いは出来ているか?」
 「はい、できております。ですが!危険ですっつ!」
 「……大丈夫だよ。私を誰だと思っているんだね?」
 誰、の部分にアクセントを置く。
 努めて穏やかに装っているので、今ついている部下は、私を優しいだけの上官だと勘違い
しているが。
 「は!ロイ・マスタング准将、焔の錬金術師殿であります!」
 私の本質は、きっとアルフォンス君に近い。
 背筋をぴんと伸ばして、緊張の面持ちのまま敬礼をする部下を促して、その居場所だけ
を聞いた。

 死体を凝視しながら、瓦礫の上。
 座っている彼を背中から、抱き締める。
 己の血ではないのだろうが、少し前までその身体は朱に染まっていただろう。
 濃い、血臭が残っている。
 服はまるで、最初から赤かったように染め上げられて、皮膚に張り付いた血は、既にかさかさ
と浮き上がっていた。
 「お疲れ様、紅涙の」
 首筋についていた血の塊を、指先で払う。
 「マスタング准将……」
 ぼうっとした声音。
 かろうじて、私は認識できているようだが。
 「どうしたね?アルフォンス・エルリック?まだ、こちら側へ戻れていないのかな。ほらほら、
  いつまでも、そんなものを見ているんじゃない、目が腐るよ?」
 頭を撫ぜて、発火布に包まれた掌で目を覆って、死体を遮断する。
 肩で大きく溜息をついた、彼は、私の手を取って、そっと手の甲に唇を寄せてきた。
 人を殺した時に、彼が必ずする仕種。
 許しを請う、儀式めいたそれ。
 「今回は、どんな風に殺してくれたのかね?」
 彼の、まだまだやわらかな心に、余計な傷がつかぬよう。
 




                                             メニューに戻る次のページへ
                                             
                                             ホームに戻る