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 安息の地

 絶対者であった、父は死んでしまった。
 私とは違う血の繋がった、実の息子に惨殺されたのだ。
 年を取るホムンクルスとして生まれた私は、父の野望を満たす為だけに生きてきたといって
もいい。
 その父が死んでしまった今、私達ホムンクルスは二つの選択肢を迫られた。

 父の野望を実行するか。
 父を殺した人間に復讐するか。

 兄二人は、野望の達成を望んだ。
 誰咎めるものもない状況下、兄達が、本気になれば世界の浄化など簡単だろう。

 私は姉と二人。
 復讐を誓った。
 姉は、父を殺した実の息子の惨殺を。
 私は、実の息子が愛した唯一の人間の破壊を。
 
 ただ単に、今の私の立場ならば破壊が簡単だろうと思ったからだったのだが。

 それは恐ろしい誤算だった。

 「ただいま」
 人間らしくある為にと、父が選んだ妻と血の繋がらない息子を事故に見せかけて殺した。
 「おかえりなさい、キング」
 その、代わりにと娶った年若い妻の名を。
 本当の名を知るのは。
 私と姉と。
 鋼の錬金術師、エルリック・エドワードだけ。


 「只今、ロイ。いい子にしていたかね。ん?」

 殺すよりも、自分の大切な人間が、目の前。
 汚されるのを見せた方が、より効果的な拷問だと思ったから。
 姉を止めて、当時、鋼の錬金術師の最愛の恋人であった焔の錬金術師を陵辱した。
 普通ならばそれは、考えもつかない陵辱だっただろう。
 エドワードを動けぬように拘束したその目の前。
 指を伸ばせば届くか届かないかの絶妙な距離で。
 私は、マスタングを女性に変えてしまった。
 身体も心も犯し尽くした挙句に、男性性器を消滅させて、変わりに女性性器を創造した。
 ホムンクルスである私に、その程度は造作もないことだったのだ。
 大総統の地位を狙って、殺された親友の復讐も果たそうと思っていたマスタングの精神はと
ても、強靭ではあったが。
 幼い恋人の前で、女にされた醜態は、未だ嘗てない衝撃だったらしい。
 『大佐っつ!大佐ああああ!ロイっつ!ロイいいいい!!』
 己の体が絡んだ鎖に挟まれて血塗れになるのも構わずに、暴れて絶叫したエドワードの前
には、完全に自我を放棄してしまったマスタングの姿があった。
 その時点で二人、殺しても良かったのだが。
 この程度で許せるわけがないでしょう?と言った姉の言葉に頷いて。
 二人を飼う事にしたのだ。
 姉はペットとしてエドワードを。
 私は妻にしてマスタングを。

 「ええ。買ってきていただいたお料理の本を読んでおりました」
 「では、味は期待してもいいのかな」
 「一生懸命頑張りました!」
 女性に生まれたのならば誰でも憧れるだろう見事な肢体。
 烏の濡れ羽にも似た腰まである長い黒髪。
 これだけは変わらない、漆黒で切れ長の瞳。
 何よりも違うのが、私を見つめる恋慕と従順のまなざし。
 
 愛くるしいと人間なら評するだろう容姿は、自分でも驚くほど気に入っていた。
 「それでは、食事にしようか?」
 「はい。準備はできております」
 私の背中からコートと上着を脱がした彼女は、ハンガーにそれらを掛けるとぱたぱたとリビン
グへ向かう。
 レースをふんだんに使ったスリッパは姉の贈り物だ。
 自分がおぞましい身体になったという自覚がないマスタングは、私ほどではないにしろ、姉に
も掌を預けている。
 無心の親しみは、初め姉を狼狽させ、すぐさま慣れさせた。
 今まで、そんな感情を向けられた事がなかったから、抵抗があるかと思ったのだが、心の底
では求めていたものだったのだろう。
 皮肉にも、慈しむ、という感情を、姉も私もマスタングで覚えたのだ。
 綺麗にセッティングされたテーブルの上には、一通りの家庭料理が並ぶ。
 レタス、サニーレタス、キュウリ、シーチキンのマヨネーズ和えはまとめて中央に、半分に切
ったミニトマトが全体に散らされているサラダ。
 千切りポテトをバターでこんがりと焼いた上に、バジルが少量振り掛けられたロスティ。
 ソーセージとキャベツだけを長時間ことこと煮込んだ、コンソメ仕立てのスープ。
 メインは、皮付きフライドポテトとオリーブをアンチョビで巻いた付け合せに、程好くからりと
揚がって、バター控えめでさっと炒められたウイーン風カツレツ。
 パンは定番のゼンメルにけしの実がふんだんにまぶされた、モーン。ゼンメルと癖がなく馴
染みやすいライ麦50%ミッシュブロート。
 ワインは当然の白ワイン。
 マドンナのシュベートレーゼ。
 「おや?ワインはシュベートレーゼにしたのかい」
 「キング、お好きでしたよね」
 私のグラスにワインを注いだ後、自分のグラスにも注ごうとするのを制してボトルを受け取り、
私自らが彼女のグラスに注ぐ。

 「ありがとうございます」
 「後で、君の好きなのも開けようか?」
 「そんなには、飲めませんから、また今度にしましょう」
 「そうかね?それでは、いただくとしようか」
 お互いが持ったグラスを軽く、あて合う。
 チンと高価なワイングラスが綺麗な音を奏でる。
 人間としての優秀な性質は損なわれなかったようで、私がいない間、時に姉を相手に作って
いる料理の味はなかなかで、しかも私好みに仕上がっていた。
 男性であった頃、料理は不得手だと聞いていたから、女に変化した今も期待はしていなかっ
たのだが、男性として失ったモノを補填するように、女性的な面が充実しているようだ。
 料理だけに、留まらず、凡そ女性的な作業はそつなくこなす。
 最近はレース編みなども覚えたようで、家の中が少しづつ愛らしい創作品で埋められていっ
た。




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