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 『ヒューズを……マースを捨てないで下さい』
 と。
 『奴には、支えてくれる女性が必要ですから』
 と。
 『私の為に死のうとする奴です。どうか、貴女の為に生きると、そう思わせてやって下さい。
  貴女にしか、できないことです』
 ……と。
 私は、マースを愛していた。
 だからこそ、私だけを見て欲しいと思った。
 けれど。
 マスタングさんは、マースを愛していて。
 自分の側から離れてでも、幸せになって欲しいと、言った。
 この時、私は自分の負けを悟った。
 恋愛事に勝ち負けはないというけれど、それは嘘だ。
 少なくとも私は、負けたと実感した。
 そして、私が愛して止まないマース・ヒューズという存在は、ロイ・マスタングという命より大
切な存在があってこそ、より輝けるのだと。
 素直にそう思えた。
 
 今でも時折揺り返しが来て。
 マースを責めることもあるけれど。
 仕方の無いことだと、諦めも交えつつ納得していた。
 
 が、先ほど疲れて、壊れかけているマスタングさんを見て、私は悟った事がもう一つあった。
 私は、マースがいなくても、例え死んでしまったとしても、寂しくてとても悲しいけれど、生き
てゆけると思う。
 マースを優しい想い出に代えて、例えば他の男性を好きになることもできるだろう。
 でも、マスタングさんは、きっと。
 マースを失ったら、生きてはいけない。
 今も、正気と狂気の狭間、何とか正気の側に引き止めているのは、マースの存在だ。
 それだけ、マースの存在は大きくて、マスタングさんにとっては、最後の良心でもあるのだ
ろう。
 己の所業を見届けて尚、変わらない相手が少ないのはよく知っている。
 私とて軍人の妻だ。
 焔の錬金術師が、此度の戦争でどれほどの功績を上げたがぐらいは存じている。
 優しいマスタングさんに、課せられた重責の凄まじさとそれを大きく上回った功績と、傷。
 想像でしかない切ないくらいの、痛み。

 下の人間が理不尽な思いをしなくてすむようにと、先陣を切って出るマスタングさんを、どうし
たら、憎めよう。
 マースの唯一と、憎むには、マスタングさんはあんまりにも、いい人過ぎる。
 生きて還ったのが、とても嬉しくて。
 壊れて欲しくないと、切実に願う。

 「……グレイシア、すまん。ロイの分の食事をとっといてくれるか?」
 はっと気がつけば、マースがバスタオルで頭をがしがしと拭きながら、ダイニングルームを横
切ってくる所だった。
 「どうかされたの?」
 「肩まで湯に浸かって、限界がきちまったんだろうな。バスの中で気絶しやがった」
 「……湯中りではないのね」
 だとすれば、看病の仕方も違ってくる。
 「多分。身体に熱は篭もってないし、呼吸も穏やかだったから。客室に寝かしつけてきた」
 「わかったわ。貴方が都合良いと思う時間を教えてくれれば、すぐ召し上がれるように準備
  しておきます」
 あらかじめ用意しておいた食事よりも、もっと病人食よりにした方が良いだろう。
 スープをそのまま流用してリゾットでも作ろう。
 胃に優しく、食欲を少しでも刺激するように、酸味は強い方がいい。
 「貴方も、食事を取ったら少し休んだ方がいいわ」
 「すまない……グレイシア。今日はロイの様子を見るよ」
 久しぶりに戦地から帰ってきた夫は、妻の私ではなく、親友を抱いて眠るという。
 寂しさはあったけれども。
 悔しさは、もう、ない。
 「わかっているわ、マース。マスタングさんを……ロイさんを、こちら側に引きとめてあげてね」
 「……ありがとう。君が妻で、俺は本当に幸せものだ」
 瞼に下りてきた口付けと、穏やかな抱擁。
 そう、私はこれでいい。
 これぐらいが、いい。
 「さあ、食事はすぐ準備できるわ。少しだけワインを飲んで待っていらして?その方が食欲が
  進むでしょうから」
 「うん。わかった……本当にロイの好物ばっかしだったんだな。元気になったら悔しがるだろ
  うなーあいつ」
 「でも、ワインは貴方好みにしたわよ?辛目の白。ワインクーラーに入ってるから、ちゃんと
  冷えたままよ」
 「はー久しぶりの真っ当な食事が、愛妻の手料理で俺様は恐悦至極だな!」
 嬉しそうにワインの封を切るマースを横目に、私は幾つかの鍋に火を入れる。
 早く、マースに久方ぶりの手料理を堪能させてあげたくて。
 ……早く、食事を終わらせて、マスタングさんの側へ送らねば、と。




                                      END




 *ヒューロイ(グレイシア視点)
  こんな都合の良い妻がいてたまるかああああ(苦笑)
  でも、たぶん、女ってーのは孕めない存在に、結構寛容なんですよね。
  優越感めいて。
  グレイシアさんは、そんなぬるい感情でもなく。
  真っ向から嫉妬と向き合って、保護欲で相殺させた感じ?
  何にせよ、夫に必要不可欠な存在として、ロイたんをきちんと認識してるって事で。








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