メニューに戻る次のページへ




 勝ち戦


 「さて、行くとしようか?」
 最前線の中で、一番造りの凝った大きなテントの中から出てきた閣下が、私達国家錬金術師
を見て、心の底から楽しそうに微笑んだ。
 狂っているのかと勘繰りたくなる、場違いな華やかさを伴った慈愛に満ちた笑顔に、背筋から
怖気が走る。
 大半の錬金術師は私と同じ様な感想を抱いたのだろう。
 心の中で感情を噛み殺した私と違い、明らかに顔色を変えた人間は多かった。
 「ああ。焔の錬金術師は私の元へ残ってくれたまえ」
 誰もが認める最強の名を持つ閣下の側に侍るという事は、足手まといにならないと認定された
証。
 つまりは、その戦闘能力を買われたとそういう事だ。
 「おや?私ではないんですねぇ」
 不満げな物言いよりも腹の立つ、心底不思議そうな声音。
 紅蓮の錬金術。ゾフル・J・キンブリー。
 「君の性質はこの上もなく好ましい。術もまた、あからさまで良い」
 人体を構成する物質を火薬に似せて錬成し、爆発を起こせるという、極めて非人道的な錬金
術。
 「たが、人がいないと物の役にも立たない。でもロイ君の術は発火布さえあれば、実に有効的
  に膨大な数の人間を瞬時に焼き殺せるし。ピンスポット攻撃も容易い。今回のように肉体よ
  りも精神が弱い輩には大変効果的なのだよ」
 数だけを頼りに立ち上がった小国の連合軍。
 徴兵する側から逃走されるというその、精神的な脆さ。
 逃げる、という思考が存在できる人間は弱いのだ。
 私達が。
 国家錬金術師が最強の軍隊と呼ばれる根拠に。
 絶対に逃げられないという不可侵の拘束がある。
 逃げ道を絶たれた人間は、通常の何倍も強くなるのが道理。
 「何より私はあくまでも個人的に、ロイ君のやわらかさを買っているのだよ?」
 命令に従順でありながら、戦局にあった柔軟な対応ができるからだろうか。


 「では仕方ありませんな。私は、やわらかさには縁遠い」
 何が嬉しいのか、くつくつと声を立てて笑った紅蓮のは、私に歪みきった微笑を見せて一歩下
がった。

 紅蓮のに鷹揚な風情で頷いた閣下は、だん、と大きな音をさせて、鞘に収まった剣で床を叩い
た。
 「それでは打って出ようかな。国家錬金術師の皆の衆」
 無言の敬礼が閣下の言葉に付き従う。
 一人反旗を翻すのはまだ、早い。
 私も皆に倣って敬礼をしながら、閣下の心の声を聞く。

 『さあ、皆殺しの時間だ』

 三々五々散った術者の背中を満足げに見送った閣下は、ふと、何かを思い出したように手を叩
いた。
 「いけない、いけない。君にこれを渡すのを忘れていたよ。発火布をしたままでよい。手を出しな
  さい」
 掌を差し出されたが、何を意図しているのかわからずに躊躇する。
 「遠慮はいらないのだよ。ロイ君」
 左手をまるで捧げ持つように恭しく、取られた。
 「これをね。してあげようと思ったんだ」
 それを、目にした途端血の気がかっと脳天まで上り、瞬時に冷めて。
 顔色が青白く変化してゆくのが自分でも、わかった。
 「綺麗だろう?」
 閣下は私の左手の、薬指に、指輪を嵌めた。
 真っ赤な、まるで炎のような宝石が輝いている。
 「賢者の石だ」

 
 「完成していたんですか……」
 「材料が材料だけになかなか作れないのが難点だがね。術の増幅力には満足している」
 賢者の石の研究に関わっていたのは天才としても名高い、結晶の錬金術師・マルコー。
 ドクター・マルコーと呼ばれ錬金術を扱う人間の中では私が尊敬できる数少ない人だ。
 不治の病を治すために、賢者の石を作るのだと。
 ご一緒する機会があった時に、穏やかに微笑んでいた。
 その、賢者の石が、人を殺す為の増幅装置として使われるなんて、きっと考えてもみなかっただろう。
 万人にも優しい、あの人は。
 すみません、結晶の。
 ごめんなさい、ドクター・マルコー。
 私は、貴方の作った賢者の石で、人を殺します。
 貴方が本当に望んだ使い方を、いつかするために。
 今、殺戮の道具として使うことをお許しください。
 「おや?君はクリスチャンだったかね?」
 「いえ。何故ですか」
 「ああ、無意識だったのか。今、十字を切っていたから」
 そんなことをしていたのか。
 「ドクター・マルコーに敬意を払っていたのです」
 「彼もいいね。君と一緒で側に置いておきたい人材の一人だ」
 満足そうに微笑んだ、閣下は目線で先を促す。
 「後数メートルで境界線を越える。準備はいいかね?」
 手にされていた一本のサーベルを鞘から抜き取る。
 専門の職人が磨き上げた真っ直ぐな歯が冷え冷えと光る。
 「はい」
 緊張で汗が滲んだ発火布に軽く熱を走らせて、完全に乾かしておく。
 いざという時にしけていて使えない、などという、情けないことのないように。

 「良い返事だ。雑魚は私が引き受けよう」
 「閣下!」
 「君は大人数用だ。中央に踊り出るまでは、己の身のみを守りなさい」
 「ですが!」
 何の為の、護衛か。
 「私に護衛は必要ないのだよ、本来はね。邪魔なだけだ。君の事は気に入っているから側に
  置いておきたいだけにすぎない」
 だったら最初から、連れてこなければいいのに。
 私だって見なくてすむ殺戮なら、見たくはないのだ。
 ましてや、殺さなくていいのならば、誰一人、殺したくはない。
 「そんなに怒るものじゃない。君は感情を上手に隠していると思っているかもしれないけれど、
  私から見ればまだまだ」
 閣下は私の不敬を怒りもせず、むしろ楽しんでいる風情で、笑って。
 「甘い」




                                             メニューに戻る次のページへ
                                             
                                             ホームに戻る