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 舞台裏では


 「ちょっと起きて下さい、大佐!」
 午後から大総統閣下も出席する式典が三時間後に迫った、こんな時間に。
 俺は何だって、大佐の家にいるんだ?
 「やっぱり……寝てらしたのね」
 ふう、と肩で大きな溜息をついた中尉は、何だかこの状況を予想していたような感じで、寝室
に備え付けられていたクローゼットの扉をぱかーんと景気よく開く。
 「ん。クリーニングには一式出してあったのね?ファルマン准尉!」
 「はい。何でしょうか?」
 長身が、のっそりと寝室に入ってくる。
 ベッドの上で丸くなっている大佐を見て、細い目がまるで糸のように絞られた。
 たぶん。
 飽きれ返っているんだろう。
 「申し訳ないけれど、シューズボックスの中から式典用の革靴を取り出して、ぴかぴかに磨
  いておいてくれるかしら?」
 「わかりました」
 「靴磨きセットは、シューズボックスの左下にまとまっているから」
 頷いたファルマンはすぐさま、玄関へと向かった。
 しかし中尉は、何でそんなに大佐の家に詳しいんだろう?とか思ってみる。
 長い付き合いの二人だけれど、プライベートでの親交まではないと聞いているのだが。
 「さ、ハボック少尉。大佐をお姫様抱っこしてちょうだい」
 「はあ?」
 「バスルームに連れてゆきます」
 「ええ?」
 「さ、大佐。少尉が抱っこしてくれますから、大人しくしててくださいね」
 きびきびとした口調に、どこか甘い色を滲ませながら、ついとベッドに近付いた中尉が大佐の
耳元で囁く。
 「ん」
 中尉の言葉に頷いた大佐は、もったりと腕を差し出して。
 「ハボ?」
 と俺を呼ぶ。
 抱き上げられる気満々なんですか!
 思わず心の中で突っ込みを入れるも、何をしているの!と目線で訴えてくる中尉に勝てるはず
もなく。
 俺は、大佐の身体を抱き抱えた。
 慣れた風に、首に手を回してくるってー事は、一度や二度じゃないんだろう。
 部下に抱えられて、バスルームに向かうのは。
 俺がやるのは初めてだから、他にできそうな人って……。
 いたね。
 一人。
 大佐を甘やかす事にかけてはウルトラエキスパートな御方が。
 「……今までは、中佐にお願いしていたんだけども。良かったわ、貴方がいて」
 間違っても、私の腕には抱かれる方じゃないし?
 えり好みが激しいから、大佐。
 すたすたとバスルームに向かう最中に、予想通りの言葉を貰った。
 そっかー。
 俺、大佐の抱っこ係りに選出されちゃったんだー。
 どうせだったら、中尉の方がいいよねーとか、思ったけれど口にはしない。
 いきなり撃たれたくないっスから。
 「フュリー曹長。準備はどう?」
 「はい。すぐに入れますよ」
 バスルームに一歩足を踏み入れればそこには、浅いけれど広いバスタブに湯気の立つ湯
がたっぷりと張られており、ズボンを膝上までたくし上げ、肘まで袖まくりをしたフュリーが、
万全の準備をして待っていた。                                                

 「じゃあ、後はブレダ少尉と大佐が読む原稿の草案を練るか、ファルマン准尉と一緒に、仕
  度を整えておいてちょうだい」
 「はっつ!」
 中佐の指示に敬礼で応えた奴は、袖を下ろしつつ大佐を抱えた俺に苦笑を寄越して、ぱたぱ
たと走ってゆく。
 「少尉、大佐を下ろして」
 「ふい」
 我ながら間抜けた返事だが、なんてーかこう、真剣になんかやってられないじゃないです?
 「大佐。万歳して下さい。はい、ばんざーい!」
 んう?とか目を擦りながら、腕を天井に向かってのろのろと持ち上げている。
 「私では届かないから。少尉がシャツを脱がしてあげてちょうだい」
 ともすれば、すぐさまだらーんと垂れてしまいそうな大佐の腕を支えつつ、何とかシャツを抜
き取ろうとした時。
 そう。
 ちょうど大佐の首にシャツが引っかかって、抜けなくて困っている真っ最中。
 しゅたんと膝を曲げた中尉が、大佐のズボンと下着を一気にずり下げた。
 「ホ、ホークアイ中尉ぃ?」
 それはないでしょ!いっくらなんでも?
 つーか、オトコとしてどうなんスか、大佐ぁああ!
 声が裏返った俺を責めないで欲しい。
 つい咎める色が入ってしまったのも同様に。
 「どうかしたの?ああ……大佐、少尉がシャツ脱がせられないって、困ってますよ」
 だからそうじゃなくって!
 なんて、言葉も口にはできず。
頭の中に大きなゴシック体で浮かべてみせましたよ、俺。
 「…これれ、ろうら?」
 これで、どうだ?って言いたいんですかい!貴方様ときた日には、今時そんな口調はエリシ
アちゃんでもしませんよ!
 くったりしていた首が持ち上げられて、確かにシャツは脱がせやすくなって、すぽんと抜けた。
 何で俺が、あんたのオールヌードなんか見なくちゃならないんですか。
 まだ、日も明るいってーのに、もおぉ!
 心の悲鳴は中尉にも、大佐にも届かず。
 どんな状況下に陥っても冷静沈着な中尉の声が、次の指示を飛ばす。
 「少尉、もう一度。お姫様抱っこよ!そっと、泡を殺さないようにバスに沈めてちょうだい」
 「……意識はあるんスから、自分で入ってもらったらどうです?」
 何も分かってないのね、貴方は。
 と目で語られた上で、肩を竦め、更には首まで振られた。
 「この状態の大佐が、自分でバスに入ろうとしたら、滑って転んですってんころりん泡だらけ。
  ついでに私達も、びしょ濡れ泡だらけになるわよ」
 うわーん、怒ってる!
 ほとんど一息で、言い切ったよ、このお方!
 「……スンマセン」
 もう、反論の余地すらなく。
 諾々と従うしかないっスね。 
 「大佐?お湯に沈めますよ。温めの、あわあわですから、暴れちゃだめですよ?」
 先刻から、なんだってか、中尉が滅茶苦茶大佐に甘い。




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