「はかなき軌道」

 

 

 

 

 

 何故これほどまでに、軌道にひかれるのかと考えることがある。鉄で出来た二筋のレール。木造とは違い燃えずに硬質、それは私にとって「永遠」を意味していた。私の生まれた昭和30年代は、まだ木造建築が主流で、鉄筋コンクリートの建物が台頭してくる過渡期にあった。戦後の復興期を過ぎ、勢いに乗った日本経済にあって、その振興はすさまじいもので、あっと言う間に古いものは切り捨てられ、姿を消していった。スチール製の物が生活を変えていく時代であった。

 

 

 

 

 

 

 木造の建造物に対し、鉄製のそれは朽ちるというイメージが無く、「未来」へとつながる確かな道を連想させたものだ。それは21世紀へと続く「希望」だったのかもしれない。それが「鉄」と「コンクリート」だった。

 

 

 

 

 

 

 それが30〜40年代にモーターリゼーションによって力尽き、廃止されていく鉄道を目の当たりにすることで崩れてゆく。風化し形骸をさらす遺構があればまだいい方で、時には全くその存在の形跡を消してしまう時代の流れ、そこに身を置くことで戸惑いつづけた。

 

 

 

 

 

 

 あれほど大地にしっかりと影を落とし、長い月日をかけて敷設したはずの軌道が、あっさり姿を消す。「永遠」の否定が「はかなさ」を印象づけ、切ないまでの情感を生んでいた。

 

 

 

 

 

 歴史を紐解いていくと、100年に満たない歴史の中で、各所に鉄道は生まれ消えていっている。上の小道もかつては線路だった。小さな気動車がお客さんを乗せ、1日数回往復していた。延々と続く枕木も、鉄で出来た2筋のレールもどこへ消えていくのか。

 

 

 

 

 

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