その後の東洋活性白土

 立山砂防に向かう途中、「頸城鉄道の黒井の構内はどうなったろう。」とか、「東洋活性白土の機関車はどうなったかな・・・。」などと思いを巡らしていた、結局好奇心には勝てず、糸魚川で高速をおり、保存されていると聞いている小学校を探したのであった。予め下調べしていたので、糸魚川小学校はあっと言う間に見つかる。C12も保存してあり、その校庭の隅の方に屋根つきで2号機は保存されていた。一目で状態が良いのがわかる。「よかった・・・。」なんとも懐かしい気分で近寄り、シャッターをきる。廃線時の塗装のまま、黒と赤の塗り分けが少々違和感があるが、とにかく大切にされているのがうれしい。

 

 

 さて、問題はもう一台である。現役時代から庫内に押し込められたきり、一度も満足に眺めることの出来なかった1号機の行方である。玉翠園とかいう所にいると聞いている。地図をたよりに行ったら、翡翠園に行ってしまった。どうにもややこしい。職員の方に聞くと残念ながら最近嫁入り先が決まってもう居ないという。また、やってしまった。「引取先が個人だと厄介だな・・・。」などと思いつつ行方を調べてみた。思いの外簡単に嫁ぎ先はわかった。千葉である。迷惑がかかるといけないので、勝手に公開するのは控えたいと思いますが、うれしいことに動態保存にもっていくらしい。どういう姿で生き返るのかわからないけれど、あの1号機が元気になるのだから、これはもう、うれしいことである。その日が来るまで、再会はしばしのお預けだが、また、楽しみが増えてしまった。

 北陸道をおりてまっすぐ糸魚川に行く道が、北陸本線とオーバークロスする所は、まぎれもない、あの専用線を俯瞰するときに使った国道であった。「あっ、」と思って車を止めようとしたが、結局やめてしまった。なんか、変わり果てた今を見たくなかったからなのかもしれない。ただ、その「あっ、」と思ったときの一瞬、20年前の情景とそれを見つめた自分の思いが、時を越えてシンクロするような、とても良い心持ちになったのがうれしかった。思いがけない小さな偶然が、なんか呼び寄せられたようで、不思議だった。

 

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