東洋活性白土専用線について

 

この線の廃線は1982年ごろだったと思います。私は国鉄の

最後の現役SLも小学生だったため渡道出来ずに終わった

ため、これが唯一撮影できた現役のSLでありました。その

専用線がなくなると雑誌で知り、あわてて夜行に飛び乗り

糸魚川を目指したのです。夜行急行「越前」が早朝の

糸魚川駅に到着すると西に向かって歩き出します。線路の

かなたに動いているKATOやSLの立ち上る煙を見ると

なかば駆け足で工場を目指します。きょうのさよなら運転は

羅須地人鉄道協会の所有する車両も総出で出るという事で

これもまた楽しみにしていたのでありました。東洋活性白土

の工場の建物は非常に趣があって、建ち並ぶポプラ並木

とともに今から思えば貴重な風景でありました。以前訪問した

折りはあいにく天気が悪く、うら淋しい専用線のイメージで

あったのですが、今日は天気も良く相当な人出となり賑やかです。

少々お祭り気分で拍子抜けした感もあったのですが、カラフルな

機関車がいろいろな編成で駆け抜けていきました。当線の主役

2号SLはこの日のためにかライトがついたり、連結器周りが赤く

塗られたりと、ずいぶん演出されてしまっていました。

羅須地人鉄道協会(RASS)の車両達も虎の子の3号.6号が元気に、

走ってくれ本当に楽しい一日となりました。RASSの人達も

このフィールドを失いさぞ残念であったことだと思います。

このさよなら運転会も終盤を迎え、この線の機関車を運転してきた

松沢氏への花束贈呈や、SL3台の顔合わせなどで盛り上がり、

日の暮れかかる専用線を国鉄をまたぐ国道の上から見送った後、

後ろ髪を引かれるおもいで帰途に就いたのでした。


廃線後あまり時経たぬ間に、機関車を守ってきた松沢氏の訃報を

知りびっくりしたのを思い出します。羅須地人鉄道協会もその後の

活動はあまり耳にしなくなりましたが、最近成田の方で新たに

運転会を開かれている事を知り、また眠っていた虫が騒ぎ出すのを

感じます。この場で勝手なことを言うのも何なのですが、

私は一度RASSのSLのもっと渋い姿を見てみたいと常ずね

思っておりました。見ることのなかった基隆炭鉱のイメージを

彷彿とさせるような、すすけた黒一色の機関車が数両のナベトロを

ごろごろ転がしているようなそんな世界を見せていただけないもの

でしょうか。運営の苦労も知らない部外者が勝手なことを

言うのは恐縮なのですが、それを可能に出来る鉄道はもう日本には

なくなった今、RASSだけが実現可能なことだと思います。


今ではあの専用線の跡もすっかり宅地化され、もはや昔日の

風景を思い起こせぬくらいと聞きます。幸いなことに

あそこにいた2両の機関車は現在も保存されて残っているそうです。

一度その2両に会いに再び糸魚川を訪れる日を楽しみにして、

この章の終わりといたします。

 

その後の東洋活性白土へ