住友セメント唐沢鉱山

 

 

 この線は今はなき月刊誌「蒸気機関車」の紹介記事で知りました。思えば葛生との付き合いはこの鉄道の訪問から始まります。日立製のDLと東洋工機のDLで、東洋工機の入線で日立製は背合重連に組まれておりました。とにかく本数が多く、15分に1本の割合でどんどんやってきます。好き勝手にいろいろな角度から撮る事が可能でした。起点の工場の片隅には人車が1両残っておりましたが、動くことを見ることは出来ませんでした。貨物の本数からいっても当分安泰かと思われましたが、ある時、地中にパイプラインを埋め込んであっけなく軌道を廃止してしまいました。この時最後に人車をつなげて走ったそうで、見れなくて残念であります。

 

 

 いざ文章書こうと思ったら、あまりエピソードもないことに気がつきました。本数も多く黙々と走っている感じで、出合いというものもなかった気がします。ただこの時以来、石灰で真っ白な葛生の町に魅せられ、私は何度もこの町に足を運ぶことになるのでありました。

 

 


 

 廃止後軌道を見に行きました。近くの小学校に日立のDLと人車が保存されており、ほかの機関車も幸運なことに保存されたのを知ったのですが、その後は会いに行っておりません。一部は個人で動態保存しているということも聞きましたが、今はどうなっていることでしょう・・・。

 

 

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