翌日、百間町から再びスタート。車庫は工場として利用され姿を残しておりましたが、車両はなく、昨夜の雨に濡れた夏草で、Gパンのすそをビショビショにしながら、軌道跡をたどります。

(百間町跡:ホーム側です。)

昨日と違いここからは廃止後10年ほどなので、まだ軌道跡を自転車を押したりしながらもたどることが出来ました。小さな鉄橋・駅舎跡・雑誌で見たカットが現れ、ホジ3の幻を描きながら先へ進みました。本当に素敵なところです。鉄道以外は変わっていない。そんな感じでした。

飯室駅にたどり着くと様相は一変していました。駅跡は宅地開発でしょうか、すっかり整地され駅舎はありません。かろうじて便所と給水塔が残っていました。時間の流れを実感し、虚しくなった私は、その先の浦川原までの道のりをやめることにしました。自分でこんな事をしていて言うのはおかしいのですけれど、最近「廃線跡探索」なんてものが秘かなブームとかで、鉄道界の第一人者と言われる人がこぞって探索本を出しておりますが、私はとても複雑な気持ちであります。やはり若い人がこんな前向きでない事をメインにやってはいけないと思います。どうぞ現役にこだわってください。そうしないと鉄道趣味というものが、どんどん暗くつまらないものになると思います。振り返ってばかりではいけないのです。

(飯室駅跡:画面左の老木の下にホームがあったそうです。)

 

 頸城自動車の現在の本社までもどり、そこに保存されているコッペル2号を撮影して頸城鉄道の面影さがしは終了しました。いつかこの機関車が三度復活することがあれば、今度は絶対に撮り逃さないと心に決めて・・・。

 

 

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