「お願い」

 このページを作ったのには、チョットした訳があります。この鉄道にいた私のこよなく愛する車両が、とある個人に売却され今も残っております。私はこの車両を一度この目で見てみたく、その所有者の方に交渉しておりましたが、以前、心ない人によって部品を盗まれたということで、山中のトンネルに保管したまま、山道も潰してしまったとのことで、ついに許可はいただけませんでした。ご高齢であるということもあって、もう行くこともないだろうとのことでしたが、興味を持ったお孫さんが引き継がれるとのこと。もしいつかその方がこのページに立ち寄ることがあるのならばと思った訳なのです。

 「どうぞ是非一度見学させていただきたく、心よりお願いする次第であります。きっと死ぬまで、吉報をお待ちいたしております。」

 

 N.SAKAMOTO

 

その後のお話 (2004年12月19日記)

 

 

 すでに皆様もご存知のことと思いますが、上に書いた頸城鉄道車両達の里帰りが決まり、すでに新潟へ搬出されました。六甲のトンネルから永き眠りから揺り起こされ、眩しそうに出てくる姿を写真にしたいと心待ちにしていたのですが、予想もしないことから願いかなわず、残念ながら夢に終わりました。そんなこんなで少しくさっていたのですが、皆様より予想以上のご連絡のメールを頂き、素直に喜ばなくてはいけないことと元気づけられた次第です。メールをくれた皆様には、心からお礼申し上げます。そんな中に、このページの呼びかけの相手であった所有者のご子息からのメールがあり、ご紹介させていただく次第です。

 

 

 旧頚城鉄道の車輌を保管しておりました神戸の○○○と申します。

 

貴ホームページを拝見させていただきました。一度、父にご連絡いただいたので

すね。下記のホームページにも書かせていただきました通リ、33年間、父も私も、

どなたにも実物はお見せいたしませんでした。失礼の段、ご容赦賜わりますよう。

 

紆余曲折の末、ようやく「本来の場所」へ戻すことができました。

ご報告もうしあげます。

http://www.fulviart.jp/kb.html

 

長きにわたり暖かく見守っていただきましたこと、感謝申し上げます。

 

 亡くなられた氏には、この車両達を長きに渡り守っていただけたこと、そのことで実車を見られる機会を得られることを、心から感謝したいと思います。そして、こうして奇跡の眠りから覚めた車両達が、心ならぬ者達から盗難・破損の災難に遭遇せぬよう、我々ファンのモラルを確立していきたいものです。奇跡が奇跡を呼ぶのであれば、いつしか百間町から延びたレールの上を、再びホジ3が走る姿が見られるかもしれません。それを見るために夜の高速をワクワクしながら駈ける自分を想像するだけで心が躍ります。そのためにも我々はその奇跡を自身の手で守らなければならないと思います。

 頸城の車両達に会える日が、もうすぐやってきます。

 

 

 

頸城の風に恋をして(2005年初公開の記録から)

 

 

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