「再び加世田へ」

 

 鹿児島交通が廃止になって、もう15年以上になる。加世田の車庫跡がどうなったのかはほんのちょっと気になっていた。時折、朽ちかけた車庫に放置された車両の写真を見かけたりしていたからでもある。今回の九州行は、親父を失い元気のない母親を元気づけるための、大枚はたいての旅行と言う建て前であったが、その半分は屋久島の森林軌道などという紛れもない自分のための旅行であった。さりとてこの病気ともいえる趣味を、今さらとがめる家族はだれ一人いない。ありがたいことである。レンタカーで知覧の武家屋敷まで来ると、もう心は加世田に飛んでいた。「ちょっといい?」と車を走らせる。本日は快晴だ。

 加世田に着いてびっくりした。昔の寂れた風景はどこへやら、すっかり今風の街並みに姿を変えていた。加世田の駅跡も、巨大バスターミナル兼ショッピングセンターの駐車場に様変わりしていた。しかしがっかりすることはない、構内にはきれいに整備された機関車が分散して保存されている。

 

 

 

 奥には記念館もあり、いるいる!最終日庫内に入ったまま撮影できなかったDLまで、ちゃんと残っているではないか。気動車は卵形のキハ100型1両のみであったが、軽食屋として再利用されており、車内はなかなかキレイで、今にも発車しそうな感じである。

 

 

 

 

 

 

 どこで使われていたものなのか、KATOまで保存されている。黄緑色のちょっとケバイ塗装であるが、スイッチャーがキッチリとした形で残されるのはうれしい限りだ。そしてもうひとつ気がついたことがある。バスの待合室にある木製ベンチ、塗り直されているものの、これは紛れもない鉄道時代にも加世田駅にあったものだ。それがなんとも言えず、この会社の鉄道に対する思いに触れるような気がして感じいってしまった。

 

 

 

 

 廃線跡をたどる気はなかった。時間の流れを実感して、これで十分だった。ただ、あまりの変わりようにどちらが伊集院か、枕崎なのかもわからない。当時とシンクロさせるものを探していると、遠くに古びたビルが目に入った。それは、加世田の定番カットと言っていい、車庫の俯瞰をする際にだれもが登ったビルであった。それを見つけることで、位置関係がみるみるよみがえってくる。「あのあたりに蒸気機関車が放置されていて、この辺が駅舎。車庫はあの奥だ。」もう十分だった。「もういいの?」家族の問いに、私は笑顔で答えて次の観光地へのルートを思案していた。

 

 

 

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