47歳からの鉄

 

 

「 和歌山〜石川〜和歌山〜静岡 疲れたびー 」 

 

 

 

 紀勢線にトワイライトが入るという、ところがこれだけだとなかなか腰が上がらない、翌日仲良し鉄道でキハ1803も撮れるところで、やっと気持ちが動き始め、トワイライトが重連とわかり、気持ちが決まった。「行くしかない。」50歳にもなると、全てこんな感じだ。

 それにしても前回の更新が2012年4月だから、3年近く更新してなかったわけで、こつこつ頻繁に更新できていた30代の頃を思うと、情熱がこうも衰えるものかという感じだ。HP作成ソフトが現在メインのパソコンにはなくて、HP作成だけのために残しているG4をほとんど稼働させなくなったのが原因とも言えるが、無料HPスペースも予告なくどんどん閉鎖されていき、世はブログなどに移行、HP項目も半減してしまった。そして自分は保存できない掲示板から派生したブログなどが受け入れられず、今に至っている。まさにおじさん的な乗り遅れ方ではないか。

 金曜日仕事が終わると、車を出した。今回圏央道が東名までつながったので、このルートで下ってみたいと思っていた。早い早い。浜松まで3時間、名古屋まで4時間。四日市への湾岸ルート抜けて、車は快調に和歌山へ。途中で仮眠を挟んで、高速をおり、新宮をぬけ、古座へは明け方到着。道路環境はどんどん良くなってゆく、自分はいつまで運転できるだろう。環八渋滞を避けながら、ゴハチを撮りに東海道を目指した日々を思いだす。5:00に和深駅到着。三脚を構えて待つが、5:15に列車がやって来ない。時変?同業者もほとんど見かけない、ウヤだったら、オレは何をしに来たんだろう。古座の俯瞰まで戻ってみても、同業者は2人。理由はだんだん確信になってきた。いただいた情報が和歌山からの時刻だったが、大阪の発日が今日になっている。和歌山が深夜ということは、マルヨしてこちらに来るのは明日の朝なのだ。痛恨のミスをしてしまった。明日まで和歌山で撮影すると、小松のキハ1803の走行は9/14までなので、撮影できない。つまり、小松は本日撮影に行き、和歌山に戻ってくるしか、当初の予定をこなせないのだ。けれど、どちらもあきらめる気になれず、7:00に小松へ向けて走り出した。最後の1往復は撮れるだろうけど、出来れば2往復は撮りたい。ということは14:00前に着かなくてはならない。時間との戦いであった。3連休、一の宮付近はかなりの渋滞でダメかと思ったが、その後は順調。14:00前に何とか滑り込んだ。

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 キハ1803は、言わずと知れた尾小屋鉄道のキハ3であるが、今回はさらに前所有の遠州鉄道時代の塗装になっての走行であった。快晴なのは嬉しいのだが、ここは木々が深くて、影が濃く車両にのってしまうため、撮影にはいまいち向かない。数少ないアングルを求めて歩き回る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今日は乗車する人が多く、尾小屋塗装のキハ1を増結することになったそうで、ちょっと残念な結果に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 2往復撮って、何とか撮影終了。最後の1往復は同業者の姿も減り、思い通りのアングルで撮影できました。尾小屋色のDL・キハ1をスナップし、粟津を後にしました。

 

 

 

 

 

 

  引退した489系が保存されたときいてたので、見に行っておく。ついに現役ボンネットがいない世の中が来てしまった。583系も1編成のみ。いろんな意味での時代の変わり目を感じる。くたびれた中年が残されて、過去を懐かしく思う。オレの引退はいつ来るのだろうか。ほとんど寝てないけれど、再び和歌山へ引き返さなければならない。日本海で日没を狙って、武生から高速に乗ったのは、23:00ごろ。今度は草津回りで四日市をぬけ、古座へ。何とか間に合ったのは、高速道路のおかげだ。

 

 

 

 

 

 

 

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